本願寺のタグまとめ
「本願寺」タグの記事(24)
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「内なる<靖国と同質のもの>」
■■■第6章「現実社会を念仏とともに」★6-8「内なる<靖国と同質のもの>」 ■「靖国ー私たちはそれを問えるのかー」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・≪靖国ー私たちはそれを問えるのかー≫2009.7.10 (福井教区教区報『アミタ』2009年号掲載の依頼原稿...
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「戦争と本願寺⑧」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-25「戦争と本願寺⑧」 ■「苦渋の選択」だったのか? ●「宗門の過去をふりかえりますと、あるいは時代の常識に疑問を抱かなかったことによる対応、あるいは宗門を存続させるための苦渋の選択としての対応など、ご法義に順っていないと思える対応もなされてきました。このような過去に学び、時代の常識を無批判に受け入れることがないよう、また苦渋の選択が必要になる社会...
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「戦争と本願寺⑦」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-24「戦争と本願寺⑦」 ■安全保障関連法 前回の末尾に<次の戦争>という言葉を使いました。私たち人間の煩悩性から言って、戦争という状況は極自然な平常的状態だと言ってもよいと思います。一つの戦争状況が終われば、すぐにまた次の戦争への道が作られ始めます。たとえ江戸時代のように戦争状況のない期間が長く続いたとしても、それはそれだけ大きな突出した力で抑え込...
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戦争と本願寺⑤
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-22「戦争と本願寺⑤」 ■本願寺教団の戦後責任 戦後責任という言葉があります。戦争行為を行った人間に対して戦争責任が問われることと同様に、戦後を生きる人間に対しては戦後を生きる人間としての責任が問われると言うのです。自らの戦後責任が明確に問われてこないということは、戦争という人類最大の罪に対する認識が不十分なままであるということです。それはすなわち...
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「東西分裂」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-13「東西分裂」 ■蓮如以降 蓮如の後、その子であった実如が本願寺9代目(覚如の数え方による)になりました。父蓮如によって爆発的に拡大した本願寺の維持に奔走しました。本願寺は完全に世俗的武装勢力として存在していましたが、実如もまた各地の門徒衆を武力として派兵を命じたり止めたりの指示を出していました。実如が死に、その孫にあたる証如が10代目につきます...
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「蓮如の時代と『念仏』⑧」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-12「蓮如の時代と『念仏』⑧」■まとめ・・・蓮如の「念仏」とは何であったのか?長々と蓮如についてお話してきました。現在の本願寺教団にとって、蓮如という存在が名実共に親鸞さんと並んで重要な位置を占めていることは間違いありません。いや、実際のところは蓮如を通して親鸞さんが語られているわけですから、名実共に蓮如教団と言ってもよいのかもしれません。近年本願...
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「蓮如の時代と『念仏』③」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-8「蓮如の時代と『念仏』③」 ■本願寺の念仏理解の継承 覚如によって成立した本願寺が、念仏をどのように理解していたのか。そしてその念仏理解がその後、本願寺における念仏理解の伝統として今日に続いているといことを、★5-5の終わりにお話しました。蓮如における念仏理解も、その流れの中のひとコマとして位置づけることができます。言うまでもありませんが、時代(...
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「蓮如の時代と『念仏』①」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-6「蓮如の時代と『念仏』①」 ■本願寺中興の祖 前回まで、覚如による本願寺の成立と、そのときの念仏理解についてお話しました。今回から少し時代が下って、本願寺8代目(覚如が、親鸞さんを1代目、如信を2代目、覚如を3代目と数えた言い方に倣います)の蓮如(れんにょ)についてお話したいと思います。蓮如は当時寂れていた本願寺を一気に大きくしたという意味で、「...
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「死後の楽園」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-5「死後の楽園」 ■死後の楽園 煩悩の本質を問えない念仏理解は、そのまま単純に、「だからアミダ仏のお目当てなのだ」という「救い」につながります。そしてその「救い」の中身は何かというと、死後の楽園へ間違いなく往けるという安心感でした。 ●「覚信房答へまうされていはく、『よろこびすでに近づけり、存ぜんこと一瞬に迫る。刹那のあひだたりといふとも、息のかよ...
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「世俗との迎合、念仏の変質」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-2「世俗との迎合、念仏の変質」■世俗との迎合前回本願寺の成立についてお話しました。親鸞さんのひ孫にあたる覚如が、唯善との留守職争いに勝ち、大谷廟堂を寺院にしたのが本願寺でした。そしてその争いのために両者が取った手段が、時の権力者から自分の権利を保証してもらう(安堵)ということでした。言ってみれば、本願寺という寺は世俗の権力者から公認される形で成立し...
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「本願寺の成立」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-1「本願寺の成立」 ■この章の目的 この第5章では、「補足②」として「本願寺の歴史」についてお話いたします。現在京都市に、西本願寺と東本願寺という巨大な伽藍があります。浄土真宗本願寺派と真宗大谷派の本山(ほんざん)であり、いずれも親鸞さんをその開祖としています。親鸞さんはすでにお話してきましたように、生涯にわたり寺はもちろん自分自身の住居も持ちませ...
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「国家神道を経て、今日の私たちへ②」
■■■第4章「(補足1)神と仏」★4-13「国家神道を経て、今日の私たちへ②」 ■本願寺の対応 この講座では、親鸞さん以降の歴史については第5章でお話しますので、少し話が前後しますがお許しください。神と仏の問題についてだけ、ここで先に触れておきます。 ★4-11で本願寺が成立した時の神と仏の問題をお話しました。親鸞さんの神祇不拝という教えを捨て、本地垂迹という考えを導入して神祇信仰を受け入れ...
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「本願寺、神祇信仰の受け入れ」
■■■第4章「(補足1)神と仏」★4-11「本願寺、神祇信仰の受け入れ」■本願寺の成立 前回まで、神と仏についての親鸞さんの受け止め方をお話してきましたが、今回は親鸞さん亡き後、それがどうなったかというお話です。本願寺の歴史については第5章で詳しくお話しますので、ここでは本願寺の成立とともに、神と仏の理解がどう変ったのかということだけお話します。とは言うものの、それまでのことも少しだけお話し...
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お寺とホテルが一体に
大阪の本町と心斎橋の中間くらいに南御堂さん(真宗大谷派難波別院)がある。 御堂筋に面した位置に、南御堂さんの大門のような役割をした御堂会館があった。その会館がホテルに変貌していた。中層階までは会館として使用されるようだが、その上部はホテルである。 ビルの中央部が通り抜けになっていて門としての役割を果たしている。抜けると正面に本殿がある。お寺とホテルが一体となった不思議な場所になっていた。
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お東さん、お西さんのちょっとした違い
昨日はお彼岸の中日。両親や先祖の供養、そして感謝を伝えに本願寺さんに行ってきた。年に数回は、お西さん、お東さんを交互に参拝させていただく。今回は、お東さん。当然、両寺院の違いはある。その一つに手水鉢にある水口龍の向き。お西さんは本堂に向いているのに、お東さんは背にしている。理由はわからないが、ちょっとした違い楽しませていただいている。お東さんお西さん
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吉川英治が本願寺を批判
そ今日でも現状の仏教があまりにひどいと改革しようとする人がもし現れるとなると同じような目にあうということは容易に想像できます。吉川英治という作家の書いた「折々の記」という文章があります。吉川英治は作家ですから仏教の専門家ではありませんが作家でさえといったら失礼だが吉川英治といえば今まで大河ドラマで宮本武蔵とか新平家物語という大河ドラマの原稿書いた人はみなこの人です。この吉川英治があまりにも現...
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「子どもたちの笑顔のために募金」
浄土真宗本願寺派が掲げる重点プロジェクト実践目標として<貧困の克服に向けて〜Dana for world peace〜>ー子どもたちを育むためにーにかかる取り組みの一環として「子どもたちの笑顔のための募金」を開設いたしました。この募金は国外では海外にある本願寺派関係機関などと連携して、貧困に苦しむ子どもたちを支援いたします。また国内では子ども食堂や学習支援などの活動、児童養護施設などで暮らす...
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和顔愛語(わげんあいご)
本願寺御影堂門の左手に掲げられた「和顔愛語」、これは今のご門主がご親教で衣用されたお言葉です。「仏説無量寿経」に出てきます。意味は「おだやかな顔とやさしい言葉」という意味です。人と接するときには穏やかな顔で接し、いつもやさしい言葉をかける生き方。尊い生き方ですが、いつも実行することは難しいかもしれません。実はこの「和顔愛語」の後に続く経文は「先意承問」(せんいじょうもん)です。意味は「先に相...
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41.本願寺から天国へ逝った霊魂達(第3回)
本願寺へ行っていたのはもう15年以上前の話になりますから、ブログを書くに当たり昔の事を色々思い出していました。思い出して笑ったのは前にも書きましたけど、男の霊さん達が女の人のお寿司屋さんに行った時の事です。なつかしくなって久し振りに本願寺へ行って、あの回転寿司にも行こうと思ったんです。ふっと気が付くと私の頭の上を小魚が群がる様に凄い沢山の霊さん達が集まっています。「凄いね、霊さん達!明日、本...
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40.本願寺から天国へ逝った霊魂達(第2回)
私は本願寺から天国へ送ってもらった五十前の男性です。あなたに本願寺へ連れて行ってもらう前日、私達男だけで話し合いました。「おいおい、俺達明日天国へ逝くにあたり、風呂に入りたくないか」「入りたいよな」「でもこの家の風呂はまずいよ、世話になってるし・・・」「そうだ!知り合いの家の風呂に入らせてもらおう」そう言って皆で勝手に風呂に入って体の汚れを落とさせてもらいました。翌日、築地でビールを飲み寿司...