東洋蘭・春蘭鉢・植木鉢のタグまとめ

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「東洋蘭・春蘭鉢・植木鉢」タグの記事(7)

  1. 楽鉢は地震に強い                  No.1884 - 東洋蘭風来記奥部屋

    楽鉢は地震に強い                  N...

    ◆2018年6月26日、。   楽鉢は案外地震に強い25日(日曜)は35℃にも届く猛暑でしたね、。みなさん体調はいかがですか?「大阪北部地震」から1週間経過した、。蘭は大丈夫だったか、蘭鉢は大丈夫だったか、とご心配の電話も頂いた、。蘭は今は「鉢掛け」という重宝なものがあるし、大部分はプラ鉢だから大丈夫、。「蘭鉢」特に「楽鉢」は、これが地震には滅法強くて、倒れもしないし割れもしなかった、。不思...

  2. 龍山 鉢                      No.1881 - 東洋蘭風来記奥部屋

    龍山 鉢                      N...

    ◆2018年6月12日、。   龍山 鉢戦後の昭和27年ごろに興楽園・杉浦勘之助が「押し型成形鉢」を発明して、「三河鉢」は「キブシ粘土」を使った大量生産時代へ突入します、。(つまり、この辺で轆轤挽き1点作り」は終了した訳です、。)それから平成15年くらいまでの60年間、「楽鉢と言えば三河鉢」の時代が続き、楽鉢窯元は売れに売れて儲かりに儲かる時代が続きました、。「絵付け」は当初は窯元がしていた...

  3. 交趾鉢                            No.1878 - 東洋蘭風来記奥部屋

    交趾鉢                        ...

    ◆2018年5月26日、。   交趾鉢(こうちばち)先日の「手島鉢スレッド」の文中に、「手島鉢は交趾鉢なのだ、。だから軽い、」と書いた、。だけど、「交趾鉢」が何者であるか、を知らない人には話が通じなかっただろう思う、。「交趾鉢」(こうちばち)は、元々は、中国からベトナムへ輸出の積み荷を積んで行き来する船「交趾船」で運ばれた鉢の総称だた、。この船は日本の九州や大阪へも来た、。中国からの船の呼び...

  4. 三河鉢の陶土                          No.1868 - 東洋蘭風来記奥部屋

    三河鉢の陶土                     ...

    ◆2018年4月14日、。   三河鉢の陶土の色チョッと誤解があるといけないので追記しますが・・・先日来書いて来た「手嶋揫二と西端楽」の件は、愛知県碧南市西端地域の郷土史からの抜粋記事です、。あの記事から「三河楽というのは、古いのは陶土が茶色で、昭和期のは乳白色の2種類だけなんだ」と思われたら困ります、。実際には、三河楽鉢の大部分は鉢の内側や鉢底の陶土の色は大部分が普通一般の人が見れば「鼠色...

  5. 西端楽鉢(古い三河鉢)                     No.1866 - 東洋蘭風来記奥部屋

    西端楽鉢(古い三河鉢)                ...

    ◆2018年4月8日、。   西端楽鉢(明治時代の三河鉢)西端楽鉢(古い三河鉢)はなぜ軽いのか・・・今回「手島揫二の全て」を書く元になった資料は愛楽園杉浦慎治氏から2月の末に送られて来た、。それを基に以後1カ月間、あらゆる方向から「西端楽や手島鉢」について考えて4月1日の記事を書いたつもりでいた、。昨日、BBSの駄々香ちゃんへの返信を書く内に、一つの大きな疑問点に対する回答を得た、。「手島鉢...

  6. 露雪                              No.1865 - 東洋蘭風来記奥部屋

    露雪                         ...

    ◆2018年4月4日、。   日本春蘭大円舌緑苔素「露雪」「露雪」、。自分の登録品なんだけどね、この蘭は木作りは易しいけど、花は開花後10日以上経って咲き上がらないと良さが出ない、。展示会の2週間前には開いてないと良い花が見れない、。そうだとすると、3月20日ごろの展示会になってしまい、3月10日ごろの大阪の展示会には出せない品種てことになる、。咲き上がるまではデレデレしてて見られたもんじゃ...

  7. 手島揫二鉢の全て、奥部屋                    No.1864 - 東洋蘭風来記奥部屋

    手島揫二鉢の全て、奥部屋               ...

    ◆2018年4月1日、。   手島揫二鉢の全て、奥部屋版「風来記ページ」の補足、。◆「初代・釜揫・手嶋揫二」嘉永5年(1852年)三河国幡豆郡(はずぐん)釜谷(鎌谷)村の生まれ、明治9年西端村へ転居、明治30年東京文京区本郷へ転居、大正7年(1918年)東京で逝去(66歳)、。西端時代は「手嶋」であったが、東京へ出てからは「手島」と名乗ったようです、。↑上記の事が分かっただけでも驚天動地もの...

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