松川のタグまとめ

松川」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには松川に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「松川」タグの記事(27)

  1. 浅川、松川散策の写真メモから⑯ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑯

     これは、2008年春の中町丁字路西側付近の様子だ。 この辺りの風景は、これ以前の散策では、八丁目城跡とのかかわりで捉えていた。従って、城下街に伴う街並みとの関りを強く意識した見え方だったと思う。 2008年~2009年あたりの散策では、その城下街とかかわる街並みという見え方から、奥州街道の八丁目宿場との見え方にしていこうという意識が強かったと思う。 この時の主とする散策資料は半沢氏の「歴史...

  2. 浅川、松川散策の写真メモから⑮ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑮

     「松川のあゆみ」で、八丁目文化の高さを自慢するのに幕末の江戸の文人粋人間で「陸奥に過ぎたるものが三つある。石に唐木に鵙の団七」と唄われたと紹介する。 自慢話の類だが、旦那芸の域を超えて高いレベルであると自慢される「石に唐木に鵙の団七」の「鵙の団七」は、先に整理した狂歌の巨匠百舌鳥廼舎こと塩屋の通称渡辺団七氏のようだ。 この方、画も茶も花などにも造詣が深く、とりわけ書の筆札も巧みで、特に細字...

  3. 浅川、松川散策の写真メモから⑭ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑭

     狂歌の巨匠とされる排氏は、屋号塩屋で通称渡辺団七とのことだが、半沢氏の「歴史地図」によると、妓櫻経営とある。 「八丁目家主一覧」では、その斜め向かいに三軒の金沢屋が描かれる。街道散策では参考にさせていただいている「街道Web」の「奥州街道・八丁目宿」で、「八丁目宿・中町の町並み。古い家や土蔵が散見される」と紹介される「加藤絹織物」さんの蔵辺りではないのかなと想像している。 この風景は撮り逃...

  4. 浅川、松川散策の写真メモから⑬ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑬

     ハ丁目宿の昔ながらの屋号を掲げるのは「ますや旅館」。 店前には、「奥州街道八丁目宿場旅人宿、枡屋銀五郎」と白地に黒く大書された看板が掲げられる。 「八丁目家主一覧」にも、この「枡屋銀五郎」が見える。 これは、その「ますや旅館」辺りの2009年夏の風景だ。現在は、手前のスナックはなく、更地になっている。 八丁目文化情報と照らし合わせてみる。 この枡屋銀五郎さんは通称で、加藤候一の名で狂歌狂画...

  5. 浅川、松川散策の写真メモから⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑫

     これは、松川本町バス停辺りから丁字路付近を眺めた風景だ。 「赤浦屋」は「本町108番地」辺りとの情報を元に「浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?③」で整理したが、その続きの風景だ。 この道筋の右手は、今回の散策で「浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?」で、最初に推定した現在更地になっている2009年夏の風景という事でもある。 同じ場所を、中町の丁字路から眺めるとこんな感じだ...

  6. 浅川、松川散策の写真メモから⑪~鼓ケ岡検断 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑪~鼓ケ岡検断

     半沢氏の「歴史地図」をもとに、鼓ケ岡検断佐藤治郎兵衛屋敷辺りと思われる中町丁字路西角を撮ったのは2009年夏の事だ。 八丁目家主一覧図での この角は、「検断佐藤治郎兵衛・明屋敷松田星吉右衛門」が記されている。それで、この中町丁字路西角を撮っておいたものだ。 今回の散策で、半沢氏の「歴史地図」をもとに、八丁目家主一覧図と照らし合わせながら、八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門屋敷、天明根村名主検...

  7. 浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?③

     これは、2009年夏に本陣跡とされるガソリンスタンド側から本町を撮ったものだ。街路灯の向こうに白っぽい建物と黄緑っぽい建物が並んで立っているが、その白っぽい建物が「本町108番地」辺りのようだ。現在は、隣の黄緑っぽい建物の辺りと共に更地になっている。 神奈川県川崎市の民家園に移築された建物は、間口約11m奥行約17m平面積48坪の旧鈴木家住宅が建っていたという事のようだ。 この情報と照らし...

  8. 浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?②

     昨日整理の馬宿は、用水路とのかかわりから想像したところだが、不自然なのは丁字路に近すぎるという事だ。 もう一つの情報である馬宿は「本町108番地」という位置情報と照らし合わせてみると、この更地の東側に残って居る建物よりも更に東側の更地辺りらしい。 案内図と照らし合わせれば、そちらに近いイメージのような気がする。丁字路との位置関係も自然だ。 結果的には、昨日整理の馬宿の位置推定は誤りのような...

  9. 浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ? - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑩~馬宿はどこ?

     八丁目村から眼鏡橋を超えて天明根村、鼓岡村と続く真っ直ぐな街並みを進むと丁字路に突き当たる。奥州道はここを右折する。 その辺りでの興味は、ここから突き当りの本陣跡とされるガソリンスタンドまでの間の左手にあったとされる馬宿だ。 その具体的な位置ははっきりしない。 その道筋の左側の建物の多くが現在取り壊されて更地になっている。多分、道路拡張工事のためなのだろうと想像する。 これは、その丁字路に...

  10. 浅川、松川散策の写真メモから⑨~松川村道路元標 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    浅川、松川散策の写真メモから⑨~松川村道路元標

     稲荷神社境内に松川村道路元標がある。  このアングルは、松川村と記されている部分を意識したというよりは、手前の石橋も気になって一緒に写し込みたかったということだ。 「信達二郡村誌」の里標の項には「元標を中町1等道路の側に建つ」とある。道路脇に建てられたとのことなで、移動されたものだろうと思われる。大正9年時点での建てられていた位置が字中町33とのことだ。現時点でのその位置との照らし合わせな...

  11. 福島の野仏:松川の野仏④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    福島の野仏:松川の野仏④

    「福島の野仏:松川の野仏③」で整理した庚申碑だが、刻まれているのを真言かもしれないとしたが、ひょっとすると文字塔なのかもしれない。 松川の庚申塔情報を拾えば、旧松川小裏には、元禄10年(1697)造立「奉信庚申供養」の文字の下に三猿の庚申塔があるといい、宿地には正徳5年(1715)造立の「奉供養庚申塔 惣衆敬白」の文字塔があるという。字数的にはあいそうな感じがしないでもない。 もし、こちら...

  12. 福島の野仏:松川の野仏③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    福島の野仏:松川の野仏③

     自信はないが、こちらも庚申塔碑なのだと思う。 「青面金剛」像や「庚申」の文字碑でない場合、素人が庚申塔かどうかの見分けに使うのは雄雌の二羽の鶏、三猿像、それに太陽と月と雲だ。 そのうち、この碑で確認できるのは太陽と月だけだ。 「青面金剛」像や「庚申」の文字が刻まれる部分に何が刻まれているのかは、写真をいろいろ加工してみてもよく分からない。 いろいろ検索して、「庚申塔探索」ページに、庚申信仰...

  13. 福島の野仏:松川の野仏② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    福島の野仏:松川の野仏②

     この辺りの散策でよく見かける庚申塔碑は、「庚申」の文字碑や「青面金剛」像の刻まれた碑だ。 この梵字の刻まれた庚申塔碑も初めてみる碑だと思う。 散策の中で庚申塔碑だと気づいたのは、下に三猿像が刻まれていたからだ。 この碑で他に庚申塔碑であることがはっきりしているのが、上部に太陽と月が描かれていることだ。雲に乗っていることもあるようだが、この碑では象徴的に記されている。 散策で素人が簡単に庚申...

  14. 福島の野仏:松川の野仏 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    福島の野仏:松川の野仏

     今までの散策の中で、「馬頭観音」あるいは「馬頭観世音」という文字を刻んだ石塔は見ていたが、馬頭観音像を刻んだ石仏を見たのは初めてだと思う。 馬頭観音は、本来は観音菩薩の変化身の一つであって、必ずしも馬の守護神でないという。しかし、江戸時代以降は、農作業や運搬手段として馬が庶民の生活と強く結びつくようになり、庶民が馬の無病息災を祈願して馬頭観音を立てるようになったのだとか。 散策時に確認でき...

  15. 松川鉱山:古天神地内の精錬場跡の痕跡を求めて② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    松川鉱山:古天神地内の精錬場跡の痕跡を求めて②

     「散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡⑦」では、地図上に描いた水路とのかかわりから古天神地内の精錬場跡を推定してみている。 http://kazenoshin.exblog.jp/23812599/ この写真は、その鉱石の集積地を予測した宿地の☆印辺りの水路を西側から眺めたところだ。 現地では、鉱石を砕く水車小屋を想像するには細いなと思ったのだが、家に戻って確かめると、この位の水路で充分...

  16. 松川鉱山:古天神地内の精錬場跡の痕跡を求めて - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    松川鉱山:古天神地内の精錬場跡の痕跡を求めて

     今回の松川散策では、奥州街道の境川から八丁目宿の南端である八丁目村から天明根村あたりを概観したいと思った。それと共に「松川鉱山」の散策の続きで、人々が搗鉱場と呼んだ自家精錬場跡も探ってみたいとの思いもあって、そちらも散策している。 この「自家精錬場跡」が古天神地内にあったという精錬場だ。 こちらの精錬場は、先に散策した松川鉱山の最盛期である宝鉱業(株)経営の精錬場以前の橋本組経営時代の精錬...

  17. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景⑤

     案内板の解説では、この松川橋も県令三島通庸氏の仕事だとしながら、戸長の任にあった杉内省三郎氏が300円の寄付をしたこと、又、村では人夫780人を寄付したことが解説されている。 しかし、「松川のあゆみ」でその経過を確認すると、架設の運びになるのは、信夫橋架設着工を好機ととらえた戸長杉内省三郎氏が、日夜当局と交渉を重ねた結果、その熱意が通じて許可がおりたという事のようだ。 建設のための地盤調査...

  18. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景④

     橋の欄干に刻まれる工事関係者の代表は、田村郡三春町の「松本亀吉」氏だが、案内板では、主として川俣町の石工「布野」氏の視点から解説される。 この方は、明治18年7月に完成した「十三眼鏡橋」とも称された第2代目の信夫橋工事にもかかわっていたことが記される。 橋に刻まれた田村郡三春町の「松本亀吉」氏は、今のところ確認はできていない。 「八丁目家主一欄」の中町に「石工 亀吉」が記されるが、この方と...

  19. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③

     今回は橋そのものをじっくりと見てはいなかった。今回得た情報を次の機会にいかすための整理だ。 「奥州街道:境川から八丁目村へ⑦」で整理した案内板の説明と「松川のあゆみ」の情報を重ねて眺め、今回の散策で撮った写真を使って整理しておく。 案内板の説明では、西光寺住職平林宥京の書による松川橋の銘と工事関係者名が橋に刻まれているとのことだ。 これは、今回南側から撮った橋の写真から右側(南東側)の欄干...

  20. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③

     八丁目天神様に安置されていた十一面観音が、明治4年の明治政府の神仏分離令対応で西光寺に遷されたことのかかわりで、「大般若堂」については「奥州街道:八丁目天満宮情報から②」で整理している。 その記事に張り付けたのは今回の散策時に撮った写真だが、震災対応で平成24年に屋根や外壁を改修しているとのことだった。 こちらは2009/7/27に散策した時に撮った写真。 見ただけで違いが分かるのは、屋根...

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