板垣退助のタグまとめ

板垣退助」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには板垣退助に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「板垣退助」タグの記事(9)

  1. 12-3■自由、進歩両党は合同して『憲政党』を組織、隈板内閣の混乱 - 星亨伝

    12-3■自由、進歩両党は合同して『憲政党』を組織、隈...

    解散後、自由、進歩両党は合同して『憲政党』を組織した。(注1)これに対して、伊藤は新政党を樹立して選挙を争うべく決心し、大蔵大臣官舎を創立事務所として国民協会に参加を求めると同時に、井上の勢力を以て、実業家の支持を獲得する計画を立てた。ところが段々工作を進めてみると、実業界の向背は、日銀総裁岩崎弥之助の意向一つで決定する情勢であり、その岩崎は大隈と切っても切れぬ関係があり、また岩崎と福沢諭吉...

  2. 10-4■板垣を『自由党』総理に推戴 - 星亨伝

    10-4■板垣を『自由党』総理に推戴

    土佐派の軟化の裏面に、板垣と後藤(逓相)の存在があったことは、想像に難くない。板垣は自己の配下から党の反逆者を出した責めを引くと称して、同時に自由党を離党した。土佐派は自由倶楽部と称する一団を作り、理由書を発表した。その中に『国民にして既に一国律法委員を選挙す。是其国民は既に律法の権をもってその代議士に授けたるものなり、…立憲自由党の状態を熟察するに、帝国議会に対する運動を代議士その人に自主...

  3. 8-1■自由党員の暴動 - 星亨伝

    8-1■自由党員の暴動

    自由党は板垣総理の帰朝を迎えて大いに党勢拡張を企てたが、先立つものは資金である。自由党が昨年秋、板垣の洋行出発前、星亨の提議によって、寄附金規則を設けたことは前に述べたが、その後、寄付金申し込み者は殆んどなく、星亨の私財によって、党費のほとんど全部を支えてきた状態であった。そこで明治一六年(一八八二年)八月、改めて基金一〇万円の募集を企て、板垣総理の名を以て、全国党員に寄付金勧誘状を発した。...

  4. 7-5■板垣帰朝、科学の進歩と『生活社会』の充実せる状況を述べる - 星亨伝

    7-5■板垣帰朝、科学の進歩と『生活社会』の充実せる状...

    板垣は明治一六年六月二三日、欧州から帰朝した。彼は四七歳であった。板垣の今回の洋行は、ちょっと気の毒であった。彼の旅費は、全く後藤のあてがい扶持であって、小遣銭にも不自由する状態であり、伊藤の随員として滞欧中の西園寺公望に金の相談をしたこともあったくらいである。西園寺がパリ三月七日付、在ロンドンの伊藤に送った書簡中に左の如く書いている。『扨鳥渡申上置候事は、今朝板垣翁来寓にて、後藤帰府(板垣...

  5. 6-3■政党の組織、自由党と改進党 - 星亨伝

    6-3■政党の組織、自由党と改進党

    ここにおいて、国会期成会は自然に存在の意義を失った。国会請願運動者らは、国会に臨む準備として、すぐに政党組織に移った。松田正久(注3)、河野広中(注4)らは既に自由党を創立していたので国会期成会をこれに包容する計画を立てた。国会期成会にも異存はなかったが、首領選定に関して、板垣退助を推す者と後藤象二郎を推す者と二派に分かれたれた。松田らの自由党を基礎とすることは中止になった。政党に対する功労...

  6. 西郷どん第44話「士族たちの動乱」その1~喰違の変と愛国公党~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第44話「士族たちの動乱」その1~喰違の変と愛...

    明治6年の政変によって西郷隆盛を始めとする征韓派が下野しますが、この政府分裂は世の不平士族たちをいっそう刺激することとなり、当時、盛んになり始めていた新聞や雑誌などでも、激しく新政府を言論攻撃するようになります。その攻撃の矛先は、政変を指導した大久保利通や岩倉具視に向けられました。 明治7年(1874年)1月14日、宮中での晩餐会を終えて帰路についていた岩倉が、何者かによって襲撃されました。...

  7. 5-5■星の現実主義 - 星亨伝

    5-5■星の現実主義

    星亭の不在中、日本においては、明治八年二月、大久保、木戸、板垣の三人が大阪に会合し(いわゆる大阪会議)、その結果、木戸、板垣両人は参議となり、四月一四日、『朕今誓文(五か条誓文)の意を拡充して茲に元老院を設け以て立法の源を広め大審院を置き以て審判の倶に其慶に頼んと欲す』と言う詔勅が発せられた。かくて後藤象二郎は元老院副議長(議長欠員)に任じ、陸奥宗光も元老院議官となり、二月同院幹事を兼ねた。...

  8. 西郷どん第42話「両雄激突」その2~征韓論~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第42話「両雄激突」その2~征韓論~

    昨日のつづきです。話はいよいよ「征韓論」の政争に突入しました。「征韓論」とは、読んで字のごとく、お隣の朝鮮に出兵して征服する、あるいは、武力を後ろ盾に政治体制の変革を迫るという主張です。このときより遡ること約20年前、日本も米国ペリー艦隊の来航によって開国を迫られ、それをきっかけに幕末の動乱がはじまり、長く続いた封建国家体制が崩れ、近代国家を目指すべく明治政府が樹立されましたが、今度は、その...

  9. 幕末京都逍遥その145「伏見土佐藩邸跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その145「伏見土佐藩邸跡」

    前稿で伏見長州藩邸跡、前々稿で伏見薩摩藩邸跡を見て回ったので、となれば、次は土佐藩邸跡に行かないわけにはいきません。 土佐藩邸跡の石碑は、長州藩邸から300mほど東に建てられています。 慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで、土佐藩兵は警備についてはいましたが、前藩主の山内容堂は、この戦いは薩摩・長州と会津・桑名の私闘と考え、戦いに参加しないように藩士たちに命じ...

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