森鴎外のタグまとめ

森鴎外」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには森鴎外に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「森鴎外」タグの記事(46)

  1. 陶の時計制作③ - サンカクバシ 土と私の日記

    陶の時計制作③

    ブログの更新を随分滞ってましたが、毎日更新出来る方を尊敬いたします。多い方だと一日に2回も投稿って凄いです。私のように普通の生活を営んでいる者にとって、毎日更新出来る材料など発生してこない地味な生活なので、そんなに主立って書く内容はないのですが、制作が殆どメインとなっているので、制作の過程などになりますので、面白くないかもです。感染拡大状況や九州地方の豪雨災害に日々気分は落ち込んでおりますが...

  2. 森鴎外「高瀬舟」と陶の時計 - サンカクバシ 土と私の日記

    森鴎外「高瀬舟」と陶の時計

    今日は朝から雨、でも午後から晴れてきました。読書も家の文庫では持て余してしまい、図書館で予約しました。色々な分野を借りてきてしまいました。和と洋でいささか統一がとれてませんが、私にはバランスが取れております。森鴎外の「高瀬舟」は前より読みたかった本です。そしてマリメッコ社のデザイナー、ウニッコ柄で有名なマイヤ・イソラの本も借りて来ましたよ。ウニッコとはケシの花の意味で、和名でいうと虞美人草で...

  3. 石川淳『森鴎外』の途中で - 酔流亭日乗

    石川淳『森鴎外』の途中で

    大西巨人の小説『神聖喜劇』の中に、主人公・東堂太郎が本屋で石川淳の評論『森鴎外』を買う場面がある。そのことを18日の更新記事に書いた。その場面に触発されて、酔流亭も今、石川の『森鴎外』を読んでいる。岩波文庫版で200ページほどの書物である。真ん中あたりまで読み進んだところで、石川淳が中学生のとき市電の中で偶然、鴎外を見かけたという思い出話が出てきた。『諸国物語』の刊行された大正四年には、わた...

  4. 戦死者の半分は餓死者。その原因は・・・。 - ”はるもにあ” 醸す生活、葛力と日々考えていることを綴ります。

    戦死者の半分は餓死者。その原因は・・・。

    白米はおかずがあってなんぼの食べ物。仮に、私がおかずなしで、白米だけ食べ続けていたら、間違いなく栄養失調で餓死することでしょう。どうしてかわかりますか?白米は脂肪分ばかりで、栄養素はほとんど含まれていないからです。この白米と白米を信仰しすぎた人が大きな人災を生んででしまったことを、ほとんどの人は知らない。それは、第二次世界大戦の陸軍の大量の戦死者の餓死についてです。その事実を、軍も政府も公に...

  5. あれっ、夏目漱石の木屑録? - 元証券マンが「あれっ」と思ったこと

    あれっ、夏目漱石の木屑録?

    【 伯父と漱石 】本家を元日の挨拶に訪ねた際、(この1月に91歳になる) 酔った伯父から夏目漱石の話などを聞いた。昔は「明暗」などをよく読んだものだが、最近は「吾輩は猫である」が面白い。(理由は聞かなかったが、国内外情勢に対する漱石の考えが分かることもその背景か)森鴎外も「舞姫」、「ヰタ・セクスアリス」など読んで文章は良いと思ったが、漱石が素晴らしい。〜「今、日経新聞の小説が、伊集院静による...

  6. 超訳鴎外の知恵 - 心の隅っこ、吹き溜まり

    超訳鴎外の知恵

    私の住む町は文豪ゆかりの土地で住居跡なども多くあります。住み始めた頃は、これといって何もない土地だなぁ・・・という印象でした。生活するのにも大型スーパーなども少ないし(あっても場所が遠い)。気の利いた商店街も、他の地域にはあるけど私の住む地域にはない。でも、地名だけはやたらと有名である。“向島”“向島”と名付けられたのには、諸説あるらしく決定的なものはないけど、浅草(西)側から見て隅田川の対...

  7. 森鴎外氏が認識する熊阪系譜②:熊阪台州氏(その2)37~「處士台州熊阪翁墓碑」④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外氏が認識する熊阪系譜②:熊阪台州氏(その2)37...

    「伊沢蘭軒(森鴎外)」はノンフィクションの史伝で、作中のわたしは森鴎外氏と捉えてもよいのだろうと思う。ただ、作中で捉える熊阪系譜は、熊阪盤谷氏と伊沢蘭軒氏や菊池五山氏との交流という範疇で捉えられる系譜であって、作者である森鴎外氏の捉える熊阪系譜の一部でしかないのではないのかなと思う。というのは、ここでは盤谷氏を通して台州氏や覇陵氏を語るが、鴎外氏自身は熊阪台州氏の作品にも造詣が深いことは先に...

  8. 森鴎外ゆかりの地 【北千住】 - ワタシ流 暮らし方   ☆アトリエきらら一級建築士事務所☆

    森鴎外ゆかりの地 【北千住】

    北千住は森鴎外所縁の地。現在、建替中ですが、このような工事の看板も良いですね!その地の歴史を知ることができます。森鴎外は、この地での臨床経験しかなかったようです。午後から、セミナーに行って参りました。建築関係の講習会に、参加することは多いのですが、異業種の人達の講演を拝聴するのは久しぶりです。事務所スペースをシェアしていただいて居るユナイテッド・ブックスの代表取締役 ハビックさんが出られて居...

  9. 官能的な文章〜森鴎外さんの『青年』 - -

    官能的な文章〜森鴎外さんの『青年』

    森鴎外記念館で開催されている『森鴎外の「庭」に咲く草花』の展示を少し前に見にいきました。この展示で紹介されていた鴎外さんの『青年』のお花のくだりの文章が魅力的で、『青年』を手にいれて読みました。谷根千(谷中、根津、千駄木)界隈を舞台にしており、私も何度となく歩いているので興味深いです。こんな文章が目にとまります。この時十七、八の、不断着で買物にでも行くというような、廂髮の一寸愛嬌のある娘が、...

  10. 森鴎外と福島36 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島36

    史伝「渋江抽斎(森鴎外)」を保氏の動向と関連付けた興味で読むのは、文学作品の読み方としては邪道であろう。しかし、この史伝がノンフィクションである故に、読者にその読み方の自由度が許容されるのではないかと勝手に思っている。これが、この作品を読み進めたいと思う原動力ともなる。ただ、鴎外氏自身も抽斎伝から離れて保伝になってしまわないように配慮していることが伺える。特に抽斎没後について、その時代を「斎...

  11. 森鴎外と福島35 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島35

    鴎外氏が求めた「抽斎ノ親戚並ニ門人」及び「抽斎の学説」の題での起稿に、しっかり応じることができる抽斎氏嗣子渋江保氏というのはどんな方なのだろうということが気になる。「渋江抽斎(森鴎外)」をその視点で眺め直す。渋江保氏と出会うきっかけになるのが、東京在住で渋江氏と交わった飯田巽(たつみ)氏と郷土史家として渋江氏の事績を知っている戸崎覚氏だが、この方々が「その4」で紹介される。「その5」で「道純...

  12. 森鴎外と福島34 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島34

    前回は、津軽地方の医学史、疾病史という地方史の研究に、「渋江抽斎(森鴎外)」の史伝を主要な資料の一つとして活用しているという観点から整理した。地方史研究の主要な資料となり得るのは、松本清張氏の指摘のように資料提供者の資料にフィクションの手法をほとんど施していないからだろう。その資料提供者というのが抽斎氏の息子である渋江保氏だ。鴎外氏は、史伝「渋江抽斎」執筆のため、抽斎氏の息子である渋江保氏に...

  13. 森鴎外と福島33 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島33

    「森鷗外と『北游日乗』・『北遊記』 ―函館,青森を中心として―(松本明知)」の序にあたるところに、「渋江抽斎(森鴎外)」の史伝を主要な資料の一つと位置付けて、津軽地方の医学史、疾病史の研究にまで深めていることが簡潔に紹介されている。具体例を拾う。例えば、松木明氏が、昭和28年(1953)頃から「渋江抽斎(森鴎外)」の史伝を資料として、津軽の医学史の研究を開始しているという。そして、昭和42年...

  14. 森鴎外と福島32 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島32

    「森鴎外と福島29」で、「渋江抽斎(森鴎外)」や「伊藤蘭軒(森鴎外)」などの作品に登場する探索方法を追試されたり、地域資料を元に作品の補強資料を探し出したりする散策情報についてふれた。その情報の一つが、「日曜スケッチ散歩」というページだ。http://aki.art.coocan.jp/frame-top.htmlこのページについては、先に「『伊沢蘭軒(森鴎外)』と福島④」と「『伊沢蘭軒(森...

  15. 森鴎外と福島31 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島31

    前回、「観潮楼閑話」を資料に、鴎外氏が「渋江抽斎(森鴎外)」や「伊藤蘭軒(森鴎外)」などの作品をどうとらえていたかを想像した。そこで引いた文章の前に、帝国文学復活の際に原稿を依頼された鴎外氏は、「わくしは自己が此の際文を草する適任者でない事を自ら知っている」としながら、自分の立ち位置について次のように述べている。わたくしは、蟄伏してゐた間に文壇の人々には忘れさられてゐる筈だ。独り文壇ばかりで...

  16. 森鴎外と福島30 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島30

    鴎外氏は「渋江抽斎(森鴎外)」や「伊藤蘭軒(森鴎外)」などの作品をどうとらえていたかをうかがい知ることのできる資料を見つけた。「鴎外全集26」に掲載される「観潮楼閑話」だ。その後書きによると、大正6年(1917)10月1日発行の雑誌「帝国文学」第23巻第10号及び大正7年1月1日第24号第1号に「森林太郎」の署名で掲載されたものとのことだ。「わたしは目下何事も為していない。只新聞紙に人の伝記...

  17. 森鴎外と福島29 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島29

    「渋江抽斎(森鴎外)」を読み進んでいる。この作品を普通に読み進んでいく中で、「日本種痘の恩人」から横糸のように紡がれる池田家宗家に出会いたいという思いだ。前回は、その3からその12まで鴎外氏が抽斎氏を知り確認していく経緯が語られていく辺りを整理したが、このあたりまで読み進むと、さほど読みづらさを感じなくなってくる。「日本種痘の恩人」から横に読んでいったときには、「渋江抽斎(森鴎外)」の作品は...

  18. 森鴎外と福島28 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島28

    その3からその12まで鴎外氏が抽斎氏を知り確認していく経緯が語られていくのだが、その過程で渋江抽斎氏の全体像が明らかになっていく。鴎外氏が抽斎氏を知るようになるのは、武鑑収集がかかわるようだ。武鑑については、その3で簡単に解説されているが、要は、徳川時代の武家にかかわる情報を収載したものらしい。いわば紳士録と履歴書とをあわせたようなものなのだとか。歴史家はそれを読み解くことによって、徳川時代...

  19. 森鴎外と福島27 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島27

    「渋江抽斎(森鴎外)」その2で、抽斎氏は躋寿館(せいしゅかん)の講師になったことが紹介される。作品では、躋寿館は明和2年(1765)に多紀元孝が医師の教育のため、神田佐久間町に建てた私塾から出発し、寛政3年(1791)に、幕府が医師養成の重要性を認めて官立とし医学館と改称規模を拡大したものであることは紹介される。ただ、この多紀元孝氏が幕府奥医師の漢方医であることや、次のような江戸時代の医学事...

  20. 森鴎外と福島26 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外と福島26

    三十七年如一瞬学医伝業薄才伸栄枯窮達任天明安楽換銭不患貧「渋江抽斎(森鴎外)」では、冒頭に、渋江抽斎の作だとして上記の漢詩が提示される。古文に疎い散歩人としては、この事をもって作品を読む障壁となって読み進もうという気が削がれてしまう。しかし、よく見ると、以下のようにその読みが記されているのだ。三十七年如一瞬(さんじゅうしちねんいっしゅんのごとし)学医伝業薄才伸(いをまなびぎょうをつたえてはく...

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