楠木正成のタグまとめ

楠木正成」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには楠木正成に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「楠木正成」タグの記事(50)

  1. 令和三年度楠公祭執行 - 民族革新会議 公式ブログ

    令和三年度楠公祭執行

    令和三年五月二十五日。乃木神社加藤宮司、髙山権宮司にご奉仕賜り、楠公敬仰の厳粛な祭典を執り行った。コロナ禍の中、東京では緊急事態宣言発令中につき昨年に続き主催者のみの参列となった。令和三年楠公祭祈願詞謹んで、楠木正成公はじめ、楠氏一門一統の御霊の御前に申し上げます。令和の御代が開かれ三年、大御世の弥栄を絶対の信念としてお祈り申し上げます。わたしたち自身は、このうつし世にあるさまざまな困難を、...

  2. 歴史散歩~田無神社 - Suiko108 News

    歴史散歩~田無神社

    外出自粛中でも、楽しいことは色々と見つけることができますね。よく歩くようになり、いままで気がつかなかったり、近所なのに、なかなか行く機会がなかった場所に思い切って行くようになりました。こちらも、そんなずっと行ってみたかった場所。『田無神社』炎天下、テクテクテクテク……と歩いて行ってきました。すると……涼しい風とともに、黒龍様がお出迎え!思わず「唐斌……!」と記念撮影。黒龍は北方の守り龍神。そ...

  3. 葉室麟著「星と龍」を読む - 折々の記

    葉室麟著「星と龍」を読む

    最近出版されたばかりの葉室麟さんの著書「星と龍」を読む。2年前の12月23日、66歳の生涯を閉じた葉室麟さんの絶筆となった作品である。2017年初めに発病され、その後病床にありながら、この作品を手掛け、「週刊朝日」の同年4月14日号から連載が始まり、11月24日号が最後となる。未完の作品となる。朝日新聞出版、1,700円*税。鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した楠木正成が主人公。皇居外苑に立...

  4. 天誅組の足跡を訪ねて。その5「観心寺」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その5「観心寺」

    三日市の宿場を早朝に発った天誅組一行は、河内の観心寺に立ち寄りました。観心寺には、彼ら勤王の志士たちの精神的支柱である楠木正成の首塚や、第97代天皇にして南朝第2代天皇の後村上天皇陵があります。 山門横の大楠公騎馬像です。 観心寺の寺伝によると、大宝元年(702年)に役小角によって開かれ、当初は雲心寺と称したとされますが、天長4年(827年)に空海がこの地を訪れ、「観心寺」の寺号を与え、その...

  5. 天誅組の足跡を訪ねて。その4「油屋本陣蹟」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その4「油屋本陣蹟」

    文久3年8月16日(1863年9月28日)の夜に狭山を出発した天誅組一行は、翌17日未明、高野街道の三日市宿で休息を取ります。このとき主将の中山忠光が泊まったと伝わる旅籠・油屋の跡地には、現在、「油屋本陣天誅組史跡」と刻まれた石碑と、門構えを演出したモニュメントが設置されています。 三日市町は大阪と高野山のちょうど中間地点に位置します。昔の旅人は1日に8里(約32km)ほど歩いたといいますが...

  6. 犬走りの代表的な城、岸和田城攻城記。その3~二ノ丸~ - 坂の上のサインボード

    犬走りの代表的な城、岸和田城攻城記。その3~二ノ丸~

    「その2」のつづきです。岸和田城大手門の北西には、かつての二ノ丸跡があります。現在は二の丸広場として市民憩いの公園となっています。 いまは芝生広場になっていますが、かつてはここに二ノ丸御殿がありました。さらに昔の中世にまで遡ると、ここ二ノ丸が本丸だったそうです。 岸和田城の歴史は古く、南北朝時代、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政によって摂津国、河内国、和泉国の3ヵ国守護に...

  7. 令和元年楠公祭 - 民族革新会議 公式ブログ

    令和元年楠公祭

    令和元年五月二十五日。東京赤坂乃木神社尚武館に於いて楠木正成公歿後六百八十三年となる楠公祭が斎行された。祭主:犬塚博英世話人:山口申事務局:横山孝平進行:本多菊雄中村武彦先生(正面右写真)にお見守り戴くなか、国歌斉唱ののち修祓を受ける祭詞奏上続いて横山孝平氏による祈願詞奏上「櫻井の訣別」斉唱玉串奉奠祭主犬塚博英氏ご来賓による玉串奉奠(故沼山光洋氏の霊代として)三澤浩一氏講師宮本雅史氏世話人山...

  8. 日本最大の山城、高取城登城記。その3<ニノ門~大手門> - 坂の上のサインボード

    日本最大の山城、高取城登城記。その3<ニノ門~大手門>

    「その2」の続きです。大手門から本丸とは反対方向の北側に山を20分ほど歩いて下ってきました。 写真はニノ門跡。ニノ門というくらいですから、このもっと麓近くに一ノ門があるのでしょうが、本格的な城跡はここからということで、ニノ門から大手門に向かって登ります。 その前に、ニノ門のすぐ北側に、猿の石像があります。 これは「猿石」と呼ばれる遺跡で、飛鳥時代の斉明朝(7世紀)に作られたものと推定されるそ...

  9. 江戸城を歩く。その4「皇居外苑」 - 坂の上のサインボード

    江戸城を歩く。その4「皇居外苑」

    「その3」の続きです。桜田門を出て凱旋濠沿いに東へ歩きます。打込み接ぎの高い石垣が続きます。 凱旋濠と日比谷濠の間の内堀通りを北上すると三の丸に入ります。このあたりは、現在「皇居外苑」と呼ばれ、公園整備されています。 内堀通り沿いに説明板が設置されていました。 皇居外苑に中心に、大きな騎馬武者の像があります。南北朝時代の武将、楠木正成の像です。 わたしの住む神戸のまちにも、これとそっくりの楠...

  10. 太平記を歩く。その194「楠木正儀の墓」大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その194「楠木正儀の墓」大阪府南河内郡...

    「その15」で紹介した千早城跡から「その16」「その17」で紹介した金剛山に登る登山道に、楠木正儀の墓と伝わる五輪塔があります。 楠木正成の三男・楠木正儀は、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で兄の楠木正行・正時が討死すると、楠木家の家督を継いで南朝方の先鋒武将として各地で戦い続けます。 足利幕府内の内紛・「観応の擾乱」に乗じて正平7年/文和元年(1352年)には、一...

  11. 太平記を歩く。その191「石清水八幡宮」京都府八幡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その191「石清水八幡宮」京都府八幡市

    京都府八幡市の男山山中に鎮座する「石清水八幡宮」を訪れました。貞観元年(895年)の創建と言われる石清水八幡宮は、数々の歴史の舞台に登場する大社ですが、『太平記』の時代にも、その地理的要衝から恰好の軍事目標となり、何度も軍事拠点となって兵火にも晒されました。 『太平記』で最初に石清水八幡宮が登場するのは、配流先の隠岐島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が船上山に立てこもると、...

  12. 太平記を歩く。その177「楠母神社跡」大阪府富田林市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その177「楠母神社跡」大阪府富田林市

    前稿で紹介した妣庵観音寺から府道209号線を挟んで東へ5分ほど歩いたところの丘の上に、かつて存在した「楠母神社」の廃墟跡があります。ここは、その名のとおり楠木正成の夫人・久子を祭神とした神社でした。 入口には門柱の跡が残っていて、その側には「楠母神社創建の経緯」を記した扇型の石碑があります。 以下、碑文。楠母神社大阪府南河内郡東條村矢佐利。この地は贈正一位橘朝臣正成公夫人誕生の地なり。楠公父...

  13. 太平記を歩く。その104「楠木正成首塚(杜本神社)」大阪府羽曳野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その104「楠木正成首塚(杜本神社)」大...

    大阪市羽曳野市にある杜本神社にも、楠木正成の首塚があると聞いて訪れました。 神社入り口には、「水分神社併楠公遺物陳列場」と刻まれた石柱があります。「水分神社」とは、「その21」の稿で紹介した千早赤阪村にある建水分神社のことだと思いますが、「楠公遺物陳列」というのは、正成の首ってことでしょうか? 鳥居をくぐって丘の上にある本殿を目指します。 こちらは拝殿です。 由緒書きには、たしかに「大楠公首...

  14. 太平記を歩く。その103「楠木正成首塚(観心寺)」大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その103「楠木正成首塚(観心寺)」大阪...

    楠木正成の廟所は「その94」で紹介した神戸市の湊川神社にありますが、前稿で紹介した大阪府河内長野市にある観心寺には、正成の首塚があります。 こちらが正成の首塚です。石碑に刻まれた「非理法権天」の文字は、「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」という意味の漢詩で、正成が旗印として用いたと言われています。 まるで天皇陵のような厳かさです。 門扉には、楠木家の家紋「菊水」...

  15. 太平記を歩く。その102「観心寺」大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その102「観心寺」大阪府河内長野市

    大阪府河内長野市にある観心寺を訪れました。ここは、観心寺は楠木正成一族の菩提寺で、正成の少年時代の学問所だったという伝承もあります。 山門横では、正成の騎馬像が迎えてくれます。神戸の湊川公園の騎馬像よりは小振りなものです。 逆光の撮影なのでわかりにくいですが、精悍な顔をしています。 観心寺の寺伝によると、大宝元年(702年) に役小角によって開かれ、当初は雲心寺と称したとされますが、天長4年...

  16. 太平記を歩く。その101「真光寺」神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その101「真光寺」神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある真光寺を訪れました。一遍上人が中興の開祖として知られる同寺ですが、「湊川の戦い」の戦後、足利尊氏が楠木正成の供養を行ったと伝わる寺でもあります。 正成の首は前稿で紹介した阿弥陀寺の石の上で首実検が行われたあと、京の六条河原に1日だけ晒されますが、その後、尊氏はここ真光寺において正成の大供養会をとりおこない、首は正成の本拠地である河内の水分に届けさせたと、『太平記』は伝えます...

  17. 太平記を歩く。その100「阿弥陀寺(楠木正成首改め石)」神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その100「阿弥陀寺(楠木正成首改め石)...

    神戸市兵庫区にある阿弥陀寺にやってきました。ここには、湊川の戦いに勝利した足利尊氏が、討死した楠木正成の首実検を行ったと伝わる石があります。 本堂です。 境内の一角に、池を松が囲んだ庭園風の場所があります。その池の中央に、大きな石があるのですが、これが「楠木正成首改め石」だと伝わるものです。 説明板によると、池中の大石は、平清盛が魚を供養するために建てた魚の御堂礎石とも伝えられますが、延元...

  18. 太平記を歩く。その96「阪本城跡(大倉山公園)」神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その96「阪本城跡(大倉山公園)」神戸市中央区

    前稿で紹介した廣厳寺のすぐ北に、大倉山公園という市民憩いの場があるのですが、ここに、かつて楠木正成が築いた阪本城があったといわれているそうです。 阪本城が築かれたのは、建武年間(1334年~1338年)だったと考えられているそうですが、詳しいことはわかっていません。ただ、時期的に見て、「湊川の戦い」に何らかの役割を果たしていたと考えられるでしょうね。 公園は高台になっており、現在は高層の建物...

  19. 太平記を歩く。その95「廣厳寺」神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その95「廣厳寺」神戸市中央区

    「その92」「その93」「その94」で紹介した湊川神社から400mほど北上ところに、廣厳寺という寺院があります。ここは別名「楠寺」とも呼ばれ、楠木正成の菩提寺となりました。正成は「湊川の戦い」を前にしてこの寺に参り、明極禅師と問答して大いに悟って戦いに臨んだと伝えられます。 また、正成と弟の楠木正季が自刃したのも、ここ廣厳寺の塔頭だったとも言われます。戦歿地としては「その92」で紹介した湊川...

  20. 太平記を歩く。その94「楠木正成墓所(湊川神社内)」神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その94「楠木正成墓所(湊川神社内)」神...

    前稿、前々稿で紹介した湊川神社の境内には楠木正成の墓所があります。 墓所の入口門です。墓所です。 この正成の墓は、正成の死から350年以上経った元禄5年(1692年)に、水戸黄門の呼び名で知られる徳川光圀によって建てられたものです。 墓碑に刻まれた「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字は、光圀公の揮毫だそうです。裏面には明の遺臣・朱舜水の作った賛文が刻まれているそうです。この墓碑建立の実務を担当したのは...

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