楠木正成のタグまとめ

楠木正成」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには楠木正成に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「楠木正成」タグの記事(14)

  1. 葉室麟著「星と龍」を読む - 折々の記

    葉室麟著「星と龍」を読む

    最近出版されたばかりの葉室麟さんの著書「星と龍」を読む。2年前の12月23日、66歳の生涯を閉じた葉室麟さんの絶筆となった作品である。2017年初めに発病され、その後病床にありながら、この作品を手掛け、「週刊朝日」の同年4月14日号から連載が始まり、11月24日号が最後となる。未完の作品となる。朝日新聞出版、1,700円*税。鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した楠木正成が主人公。皇居外苑に立...

  2. 天誅組の足跡を訪ねて。その5「観心寺」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その5「観心寺」

    三日市の宿場を早朝に発った天誅組一行は、河内の観心寺に立ち寄りました。観心寺には、彼ら勤王の志士たちの精神的支柱である楠木正成の首塚や、第97代天皇にして南朝第2代天皇の後村上天皇陵があります。 山門横の大楠公騎馬像です。 観心寺の寺伝によると、大宝元年(702年)に役小角によって開かれ、当初は雲心寺と称したとされますが、天長4年(827年)に空海がこの地を訪れ、「観心寺」の寺号を与え、その...

  3. 天誅組の足跡を訪ねて。その4「油屋本陣蹟」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その4「油屋本陣蹟」

    文久3年8月16日(1863年9月28日)の夜に狭山を出発した天誅組一行は、翌17日未明、高野街道の三日市宿で休息を取ります。このとき主将の中山忠光が泊まったと伝わる旅籠・油屋の跡地には、現在、「油屋本陣天誅組史跡」と刻まれた石碑と、門構えを演出したモニュメントが設置されています。 三日市町は大阪と高野山のちょうど中間地点に位置します。昔の旅人は1日に8里(約32km)ほど歩いたといいますが...

  4. 犬走りの代表的な城、岸和田城攻城記。その3~二ノ丸~ - 坂の上のサインボード

    犬走りの代表的な城、岸和田城攻城記。その3~二ノ丸~

    「その2」のつづきです。岸和田城大手門の北西には、かつての二ノ丸跡があります。現在は二の丸広場として市民憩いの公園となっています。 いまは芝生広場になっていますが、かつてはここに二ノ丸御殿がありました。さらに昔の中世にまで遡ると、ここ二ノ丸が本丸だったそうです。 岸和田城の歴史は古く、南北朝時代、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政によって摂津国、河内国、和泉国の3ヵ国守護に...

  5. 令和元年楠公祭 - 民族革新会議 公式ブログ

    令和元年楠公祭

    令和元年五月二十五日。東京赤坂乃木神社尚武館に於いて楠木正成公歿後六百八十三年となる楠公祭が斎行された。祭主:犬塚博英世話人:山口申事務局:横山孝平進行:本多菊雄国歌斉唱ののち修祓を受ける祭詞奏上続いて横山孝平氏による祈願詞奏上「櫻井の訣別」斉唱玉串奉奠祭主犬塚博英氏ご来賓による玉串奉奠三澤浩一氏世話人山口申氏で結びとなるそののち、「海征かば」を斉唱。撤饌、昇神と進み閉式となる。(続く)

  6. 日本最大の山城、高取城登城記。その3<ニノ門~大手門> - 坂の上のサインボード

    日本最大の山城、高取城登城記。その3<ニノ門~大手門>

    「その2」の続きです。大手門から本丸とは反対方向の北側に山を20分ほど歩いて下ってきました。 写真はニノ門跡。ニノ門というくらいですから、このもっと麓近くに一ノ門があるのでしょうが、本格的な城跡はここからということで、ニノ門から大手門に向かって登ります。 その前に、ニノ門のすぐ北側に、猿の石像があります。 これは「猿石」と呼ばれる遺跡で、飛鳥時代の斉明朝(7世紀)に作られたものと推定されるそ...

  7. 江戸城を歩く。その4「皇居外苑」 - 坂の上のサインボード

    江戸城を歩く。その4「皇居外苑」

    「その3」の続きです。桜田門を出て凱旋濠沿いに東へ歩きます。打込み接ぎの高い石垣が続きます。 凱旋濠と日比谷濠の間の内堀通りを北上すると三の丸に入ります。このあたりは、現在「皇居外苑」と呼ばれ、公園整備されています。 内堀通り沿いに説明板が設置されていました。 皇居外苑に中心に、大きな騎馬武者の像があります。南北朝時代の武将、楠木正成の像です。 わたしの住む神戸のまちにも、これとそっくりの楠...

  8. 太平記を歩く。その191「石清水八幡宮」京都府八幡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その191「石清水八幡宮」京都府八幡市

    京都府八幡市の男山山中に鎮座する「石清水八幡宮」を訪れました。貞観元年(895年)の創建と言われる石清水八幡宮は、数々の歴史の舞台に登場する大社ですが、『太平記』の時代にも、その地理的要衝から恰好の軍事目標となり、何度も軍事拠点となって兵火にも晒されました。 『太平記』で最初に石清水八幡宮が登場するのは、配流先の隠岐島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が船上山に立てこもると、...

  9. 太平記を歩く。その96「阪本城跡(大倉山公園)」神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その96「阪本城跡(大倉山公園)」神戸市中央区

    前稿で紹介した廣厳寺のすぐ北に、大倉山公園という市民憩いの場があるのですが、ここに、かつて楠木正成が築いた阪本城があったといわれているそうです。 阪本城が築かれたのは、建武年間(1334年~1338年)だったと考えられているそうですが、詳しいことはわかっていません。ただ、時期的に見て、「湊川の戦い」に何らかの役割を果たしていたと考えられるでしょうね。 公園は高台になっており、現在は高層の建物...

  10. 太平記を歩く。その95「廣厳寺」神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その95「廣厳寺」神戸市中央区

    「その92」「その93」「その94」で紹介した湊川神社から400mほど北上ところに、廣厳寺という寺院があります。ここは別名「楠寺」とも呼ばれ、楠木正成の菩提寺となりました。正成は「湊川の戦い」を前にしてこの寺に参り、明極禅師と問答して大いに悟って戦いに臨んだと伝えられます。 また、正成と弟の楠木正季が自刃したのも、ここ廣厳寺の塔頭だったとも言われます。戦歿地としては「その92」で紹介した湊川...

  11. 太平記を歩く。その90「楠木正成本陣跡」神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その90「楠木正成本陣跡」神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。 『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。現在は、見晴らしのいい公園になっており、そ...

  12. 太平記を歩く。その87「櫻井驛跡(楠公父子訣別之所)」大阪府三島郡島本町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その87「櫻井驛跡(楠公父子訣別之所)」...

    大阪府と京都府の府境近くに位置する「櫻井驛跡」を訪れました。「駅跡」といっても現代でいうところのそれではなく、古代律令制度下の「駅家」の跡です。ここは、「楠公父子訣別之所」として知られています。 『太平記』によると、建武3年(1336年)、九州から大軍を率いて上洛してくる足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、この地で11歳になる嫡子・楠木正行に訓戒を与え、河内国に帰らせたと伝えられていま...

  13. 楠木正成の旗印について~「非理法権天」と正成が結びついたのは?~ - とらっしゅのーと

    楠木正成の旗印について~「非理法権天」と正成が結びつい...

    以前、北畠顕家や新田義貞の軍旗について話題にしました。今回は、楠木正成について。正成を祀った湊川神社には、二種類の旗が残されているようです。一つは、楠木氏の家紋である菊水が描かれた下に「非理法権天」と書かれているもの。割に有名ではないかと思います。もう一種類、「蟠龍起萬天」という言葉の下に竜の絵が描かれ、右に「元弘辛未歳二月日」、左に「橘正成」とあるものもあります。これらの旗につきましては、...

  14. 太平記を歩く。その66「打出合戦、大楠公戦跡の碑」兵庫県芦屋市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その66「打出合戦、大楠公戦跡の碑」兵庫...

    建武3年(1336年)2月10・11日に起きた、打出合戦の地を訪れました。現在、その跡地である兵庫県芦屋市楠木町には、「大楠公戦跡」と刻まれた巨大な石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちの期待に呼応するかたちで、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に反旗を翻した足利尊氏は、建武2年(1335年)12月11日、攻め寄せた新田義貞軍を箱根竹ノ下で撃破すると、その勢いで、翌年...

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