楠木正行のタグまとめ

楠木正行」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには楠木正行に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「楠木正行」タグの記事(8)

  1. 太平記を歩く。その175「恩智城跡」大阪府八尾市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その175「恩智城跡」大阪府八尾市

    大阪府八尾市にある恩智城跡を訪れました。恩智城は楠木正成八臣のひとりである恩智左近満一が築いたとされる城で、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で楠木正行が戦死すると、ここ恩智城も落城したと伝わります。 城跡と言っても、遺構は残っていません。現在は旧恩智小学校の跡地に石碑が建てられているのみです。 学校の校門跡でしょうね。 城跡の石碑と小学校跡の石碑が並びます。 現地説...

  2. 太平記を歩く。その173「楠木正行首塚(東大阪)」大阪府東大阪市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その173「楠木正行首塚(東大阪)」大阪...

    「その166」「その168」「その169」「その170」で楠木正行の墓や首塚を紹介しましたが、まだありました。前稿で紹介した枚岡神社の首洗の井戸から、800mほど北東にある重願寺という寺院の近くの住宅地のなかに、ひっそりとあります。 こんな目立たない場所に案内板があり、この細い道を入っていきます。非常にわかりにくい。 敷地内には、玉垣で囲われた空間と、顕彰碑が目に入ります。 玉垣のなかには、...

  3. 太平記を歩く。その168「楠木正行首塚(正行寺)」京都府宇治市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その168「楠木正行首塚(正行寺)」京都...

    「その166」で紹介した楠木正行の墓所以外にも、正行の首塚と伝わる場所があります。まずは、京都府宇治市六地蔵にある正行寺を訪れました。 何と言っても「正行寺」という名称ですからね。いかにも正行と関係ありそうです。 そして、これが正行の首塚とされる墓石です。境内の隅にひっそりとあります。 墓石の後ろにある正行寺由来によると、正成は正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」に敗れ...

  4. 太平記を歩く。その167「和田賢秀墓所」大阪府四條畷市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その167「和田賢秀墓所」大阪府四條畷市

    前稿で紹介した楠木正行の墓所から北東600mほどのところに、和田賢秀の墓所があります。和田賢秀は楠木正成の弟・楠木正季の子で、正行・正時とは従兄弟にあたります。父の正季は「湊川の戦い」の戦いで兄・正成とともに戦死しましたが、息子の賢秀も、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で正行・正時とともに討死しました。 賢秀の墓所は国道170号戦に面した場所にあり、墓所の前は「塚脇...

  5. 太平記を歩く。その166「楠木正行墓所」大阪府四條畷市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その166「楠木正行墓所」大阪府四條畷市

    「その163」で紹介した四條畷神社から1kmほど西に、楠木正行の墓所があります。入口には、右手に「忠」、左手に「孝」を刻んだ石柱があります。 その附近には、建てられた時代が違うであろう石碑が、あちこちにあります。 正行は、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日、足利方・高師直軍と激突した「四條畷の戦い」に敗れ、弟の楠木正時と共に自害しましたが、それが、この場所だったと伝わります。 墓所内は...

  6. 太平記を歩く。その165「楠公寺」大阪府大東市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その165「楠公寺」大阪府大東市

    前稿で紹介した飯盛山山頂から少し南に下ったところに、「楠公寺」という名称の小さなお寺がありました。「楠公」と名がつくからには、楠木正成・正行父子と何らかの関係があるのだろうと思い、立ち寄ってみることに。 こちらが本堂。それほど古い寺ではなさそうです。 説明看板です。 その説明によると、楠木正行をはじめ「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山したとあります。昭和25年(1950年)に飯盛山妙法...

  7. 太平記を歩く。その163「四条畷神社」大阪府四條畷市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その163「四条畷神社」大阪府四條畷市

    大阪府四條畷市にある「四條畷神社」にやってきました。ここは、楠木正成の嫡男・楠木正行を主祭神とする神社です。 正平2年/貞和3年(1347年)9月から11月にかけて、南朝方・楠木正行軍に摂津国天王寺・住吉浜にて大敗を喫した北朝方は、翌年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、本格的な南朝攻撃を開始します。そして1月5日、両軍が激突したのが、河内国北條(大阪府四條畷市・大東市)でした。後世にい...

  8. 太平記を歩く。その87「櫻井驛跡(楠公父子訣別之所)」大阪府三島郡島本町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その87「櫻井驛跡(楠公父子訣別之所)」...

    大阪府と京都府の府境近くに位置する「櫻井驛跡」を訪れました。「駅跡」といっても現代でいうところのそれではなく、古代律令制度下の「駅家」の跡です。ここは、「楠公父子訣別之所」として知られています。 『太平記』によると、建武3年(1336年)、九州から大軍を率いて上洛してくる足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、この地で11歳になる嫡子・楠木正行に訓戒を与え、河内国に帰らせたと伝えられていま...

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