津屋崎古墳群のタグまとめ

津屋崎古墳群」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには津屋崎古墳群に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「津屋崎古墳群」タグの記事(8)

  1. 筑紫国造磐井の孫、大石麻呂の建立したという龍光山恵華寺があった大石地区 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    筑紫国造磐井の孫、大石麻呂の建立したという龍光山恵華寺...

    筑紫国造磐井の乱は、教科書にも書かれています。磐井の子・葛子が父に連座して誅殺されることを恐れて「糟谷屯倉」を献上したと書紀にも書かれています。磐井の本貫は岩戸山古墳のある八女丘陵を中心とした筑後川より南、南筑後の辺りだとされますが、糟谷の屯倉は北の玄界灘側です。筑紫君は火君と婚姻関係にあり、福岡県北部に葛子の領地があったのであれば、一豪族とは思えない広大な地域を抑えていたことになります。さ...

  2. 在自山は天蓋山・古代は馬を飼育し守る神が祀られた - 地図を楽しむ・古代史の謎

    在自山は天蓋山・古代は馬を飼育し守る神が祀られた

    世界遺産になった福岡県福津市の津屋崎古墳群は、ひとまず「宗像氏の奥津城」と宣伝されています。津屋崎地域は江戸時代の塩田開発や干拓により耕作地は広がりましたが、100m前後の古墳を連続して造営する豪族が存在できるほどの耕作地は、古代には有りませんでした。つまり、この古墳群を造営した豪族の本拠地は津屋崎以外の土地にあったのでしょうか。食料を確保できる田畑を持ち、権力を手にできる財力が備わっていな...

  3. 宗像大社・三女神祭祀の始まりを語る大島の御嶽山 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    宗像大社・三女神祭祀の始まりを語る大島の御嶽山

    何年前でしょうか、筑前大島の御岳山の山頂の発掘があったのは。わたしは、その事を新聞で知りました。そこで神湊(コウノミナト)から船に乗り大島へ出かけました。祭祀線を引くには祭祀場の位置は重要ですから、ぜひ現地を確かめたいと思ったのです。大島は私にとってなじみのリゾートです。夏は泳ぎに行きましたし、今はなくなっているのですが温泉施設で食事をしたり、大島マラソンの応援のためにお魚料理を食べに行った...

  4. 津屋崎古墳群・須多田、奴山の首長達は海を見ていた - 地図を楽しむ・古代史の謎

    津屋崎古墳群・須多田、奴山の首長達は海を見ていた

    津屋崎古墳群を訪ねたのは、須多田天降天神社を確かめるためでした。以前も集落内の道が分からなくて引き返したのです。今回は見つけられると思っていました。須多田古墳群の中ですぐに見つかるのは須多田ニタ塚古墳です。畑の中に取り残されています。此処は初期横穴式石室を持つ円墳で土師器が出土していますが、須恵器は見当たりません。鉄塊(鋳鉄)が出土しているのに、須恵器は見当たらないのです。上、報告書の写真「...

  5. 津屋崎の新原・奴山古墳群は宗像氏の奥津城ですか? - 地図を楽しむ・古代史の謎

    津屋崎の新原・奴山古墳群は宗像氏の奥津城ですか?

    福岡県福津市の津屋崎古墳群に行きました。最近、沖ノ島関連遺産群となったので、歩きやすいように整美されています。津羅崎海岸に立つと相ノ島が青く浮かんで見えて風は穏やかでしたし、海にはウィンドサーフィンを楽しんでる人がたくさんいました。西には福岡市の立花山や志賀島が見えていました。北西に連なるのは渡半島、東には津屋崎の山が南北に連なります。南から宮地岳・在自山・対馬見山と続きます。在自山(あらじ...

  6. 古墳の時期を決めるのは墳丘の形・副葬品・埴輪・須恵器・石室ですか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    古墳の時期を決めるのは墳丘の形・副葬品・埴輪・須恵器・...

    「須多田天降天神社の築造時期について」須多田天降天神社古墳が6世紀半ばに築造されたという、公的機関の認定に私は疑問を持っているのです。それは、「須多田天降天神社古墳は6世紀半ばに築造」に対してだけではなく、津屋崎古墳群全体の築造時期について疑問があるのです。副葬品や出土物・須恵器や・装飾大刀などから新旧の順番は地域内で比較検討して古墳群の時間的位置付けは他地域と比べれば何らかの答えが見つかる...

  7. 津屋崎古墳群・天降天神社古墳の築造年代を考える - 地図を楽しむ・古代史の謎

    津屋崎古墳群・天降天神社古墳の築造年代を考える

    たいへん面白い質問をいただきました。旧津屋崎町の須多田天降天神社古墳は如何なる古墳ですか? 福岡県福津市にある津屋崎古墳群の中の天降天神社古墳が「どんな意味を持つ古墳か」というご質問ですが、一言では言いにくいですね。まず、津屋崎古墳群が宗像氏の奥津城であるかという疑問もありますし、耕地面積の少ない(勝浦・津屋崎地域には内海が深く入り込み田畑の面積が極端に少なく、古代の海岸線に古墳が築造されて...

  8. 狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった

    平原王墓の巫女王が、卑弥呼宗女壱与(臺与)なら、その霊力は封じられた平原王墓の主は、霊力を象徴する鏡を全て割られていた壱与の次の時代、王位を奪った一族の霊力次の王は、平原王墓の巫女の霊力を象徴する鏡を全て割り、霊力を封じたその後の、一貴山銚子塚の一族は支配を確立できたのでしょうか。彼らの狙いは、伊都国の統括だけではありませんでした。もっと広く世界を見ていたと思います、大陸や半島を、倭王として...

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