浅井長政のタグまとめ

浅井長政」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには浅井長政に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「浅井長政」タグの記事(17)

  1. 浅井長政、お市の方の像。 - 坂の上のサインボード

    浅井長政、お市の方の像。

    小谷城近くのJR北陸本線河毛駅前に、小谷城主・浅井長政とその正室・お市の方の像があります。 こちらが、その像。訪れたのが夕方だったので、写真が暗いのが残念ですが。 永祿10年(1567年)、織田信長の妹・お市は、近江の浅井長政に輿入れし、織田氏と浅井氏は同盟関係となります。織田氏が浅井氏との同盟を望んだ理由は、天下を視野にとらえた信長が、京に上るにあたって避けては通れない近江を支配する浅井氏...

  2. 北近江浅井氏の祈願寺・小谷寺と、浅井長政供養塔。 - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の祈願寺・小谷寺と、浅井長政供養塔。

    小谷城のあった小谷山の東麓に、小谷城主・浅井氏の祈願寺と伝わる小谷寺があります。 寺伝によると、創建は聖武天皇の神亀5年(728)、加賀白山の開祖・泰澄上人が、白山から伊吹山までの峰々に修験道場を開き、そのとき小谷山に建てられた坊舎のなかのひとつだったと伝わります。そのころは常勝寺と言われていましたが、これが現在の小谷寺の開創だと言われているそうです。 元は小谷山山頂にありましたが、大永5年...

  3. 浅井三代の墓所、徳勝寺。 - 坂の上のサインボード

    浅井三代の墓所、徳勝寺。

    JR長浜駅から800mほど南東に、小谷城主浅井氏の菩提寺・徳勝寺があります。ここには、浅井三代(亮政、久政、長政)の墓があります。 お寺の前には、「浅井長政公菩提所 徳勝寺」と書かれたステンレス製の立派な看板があります。でも、長政の名前だけになっているのが、なんか嫌ですね。たしかに長政がいちばんメジャーですが、ここは「浅井三代菩提所」でいいんじゃないかと。そして、その上には、なぜか井伊家の家...

  4. 続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。中編<山王丸~鞍部~岩尾> - 坂の上のサインボード

    続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。中編<山王丸~鞍部~岩尾>

    「前編」で小谷城東尾根筋の中腹にある番所跡まで車で登って来ましたが、そこからの登山は、昨夏の攻城シリーズの「その2」から「その9」でガッツリ紹介したので、今回はすっ飛ばします。 写真は小谷城本城の最上部にある山王丸上段。石垣のある土塁が残ります。昨夏の攻城シリーズ「その8」で紹介した曲輪です。 そこから、北西に大嶽城跡のある標高495mの小谷山(伊部山)が見えます。こうして見ると近いように見...

  5. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その11<武家屋敷跡・城下町跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その11<武家屋敷跡...

    「その10」で小谷城攻城は完了しましたが、本稿では、山麓を少し歩いてみたいと思います。 写真は清水谷南にある芝生広場に設置された大手門の復元。まあ、ここに往時の大手門があったというわけではないでしょうから、復元というより模擬ですね。 門の向こうに見える中央のいちばん高い山が、大嶽城跡のある小谷山(伊部山)です。右側に見える山が、小谷城の東側尾根筋です。 門をくぐって見た小谷城の山々です。左の...

  6. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その5<黒金御門跡~大広間跡~本丸跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その5<黒金御門跡~...

    「その4」のつづきです。桜馬場跡のすぐ上に、立派な石段が残る虎口跡があります。 ここは黒金門と呼ばれる虎口があった場所で、ここが、小谷城主郭部への入口でした。 駒札の説明書によると、その名のとおり、鉄を打ち付けた門扉があったようです。それだけ重要な門だったということでしょう。 虎口の横に目をやると、大きな石積みの痕跡が残っています。 その上には、「黒金門址」と刻まれた石碑が。 虎口を進みまし...

  7. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その4<桜馬場跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その4<桜馬場跡>

    「その3」のつづきです。赤尾屋敷から大手筋に戻って、御馬屋跡の上にある桜馬場跡やってきました。 かなり広い曲輪です。 説明書きの駒札と復元絵図です。 そして、桜馬場跡には浅井家及び家臣供養の五輪塔が建てられています。 浅井長政が織田信長に反旗を翻した理由について、浅井氏が朝倉氏に旧恩を感じていたからといわれることが多いですが、この時代の価値観からして、旧恩に固執して家を滅亡の危機に晒すとは考...

  8. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その3<赤尾屋敷跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その3<赤尾屋敷跡>

    「その2」のつづきです。御馬屋跡からその上の桜馬場跡に登る途中に、東にそれる脇道があります。その入口には、「右赤尾美作守屋敷址」と刻まれた石碑があります。 赤尾美作守とは浅井氏の重臣・赤尾清綱のことで、ここにその屋敷があったと伝わります。説明板によると、ここが浅井長政の最期の地となったとあります。 その説明版。 本丸への道からそれちゃうのですが、せっかくなので行ってみます。 細い道を進みます...

  9. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その2<番所跡~御馬屋曲輪跡~御茶屋跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その2<番所跡~御馬...

    「その1」のつづきです。小谷城中腹の番所跡まで登ってきました。 ここから、本格的な城の曲輪群が始まります。 小谷城絵図の看板です。これはわかりやすい。曲輪が尾根に沿って段々に連なる梯郭式山城です。現在地と書かれた場所が番所で、ここから尾根伝いに小谷山を登って行くのですが、通常の城の場合、本丸(主郭)といわれる曲輪がいちばん高い位置にありますが、ここ小谷城の場合、絵図を見てもわかるように、本丸...

  10. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その1<登山口~金吾丸> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その1<登山口~金吾丸>

    近畿の水瓶・琵琶湖の北端に、かつて北近江を支配した戦国大名・浅井氏の居城、小谷城がありました。小谷城は滋賀県長浜市湖北町にある標高495mの小谷山(伊部山)の山頂から伸びる東西2本の尾根上に広がる屈強の山城で、春日山城、七尾城、月山富田城、観音寺城と共に日本五大山城のひとつに数えられます。浅井亮政、浅井久政、浅井長政の三代の居城として半世紀以上に渡って北近江を支配しました。 上の写真は南麓の...

  11. 近江国境目の城・鎌刃城跡攻城記。その5<南副郭~西郭> - 坂の上のサインボード

    近江国境目の城・鎌刃城跡攻城記。その5<南副郭~西郭>

    「その4」の続きです。鎌刃城主郭の南側には、副郭としての役割をもつ曲輪が2段に連なります。 南副郭は北副郭に比べて主郭と高低差の少ない広大な面積を持つ曲輪であるため、中央に堀切を設けて二分割しています。その堀切の両岸も石垣によって築かれていたようです。 写真は主郭のすぐ南の南Ⅰ郭です。 南Ⅰ郭から見た主郭切岸です。高低差が少ないことがわかるかと思います。 調査によると、ここにも礎石と思われる...

  12. 麒麟がくる第37話「信長公と蘭奢待」その2~浅井、朝倉の滅亡~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第37話「信長公と蘭奢待」その2~浅井、朝倉...

    「その1」のつづきです。将軍・足利義昭を追放した織田信長は、元亀4年7月21日(1573年8月28日)に京都に戻り、その1週間後の7月28日、元号を「天正」に改めました。これまで改元は将軍の権限でしたらから、信長が朝廷から将軍に準ずる扱いを受けていたことがわかります。実は、この3年前の「元亀」への改元の際も、信長は「天正」を推していたといいます。しかし、結局は将軍・義昭の推す「元亀」となった...

  13. 麒麟がくる第32話「反撃の二百挺」その1~姉川の戦い~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第32話「反撃の二百挺」その1~姉川の戦い~

    今回は明智光秀と深い関わりを持つことになる筒井順慶の顔見せの回でしたね。筒井氏は僧侶が戦国大名となったという異色の武将で、ドラマのこの当時、松永久秀と大和国の勢力争いをしていました。鉄砲200挺を買い込んでいたのは、その松永久秀との戦いのための武装ですね。その鉄砲200挺を光秀の要請で織田信長に横滑りさせたというのはドラマのオリジナルだと思いますが、光秀の斡旋によって信長の臣下になるというの...

  14. 麒麟がくる第31話「逃げよ信長」その1~金ヶ崎の戦い~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第31話「逃げよ信長」その1~金ヶ崎の戦い~

    今回は大河ドラマらしい回でしたね。やはり、大河はこうでないと。 永禄13年4月20日(1570年5月24日)、織田信長は北国に攻め入るため京都を出陣しました。『言継卿記』によると、その軍勢は3万にも及んだといいます。出陣の前日、信長は参内して正親町天皇(第106代天皇)に暇乞いをし、将軍・足利義昭にも面会しており、勅命と将軍の上意の両方を受けての出陣でした。 もっとも、天皇・将軍が公認したこ...

  15. 国宝・彦根城を歩く。その5<西の丸~出曲輪> - 坂の上のサインボード

    国宝・彦根城を歩く。その5<西の丸~出曲輪>

    「その4」のつづきです。天守まで制覇しましたが、彦根城めぐりはまだまだつづきます。本丸北西の搦手門を出て、西の丸に向かいます。 本丸搦手門の石垣です。 本丸搦手門から天守を見上げます。 そして、こちらが西の丸広場。 西の丸は山上部最大の面積を持つ曲輪で、かつてはここに「御文庫」という建物があり、周期に等間隔に櫓が配置されていたようですが、今は広い公園にような空間になっています。 天守の表側に...

  16. 小谷城訪問 - 弓張放浪

    小谷城訪問

    「弓張放浪第2章」に移行中滋賀県長浜市にあった小谷城趾を訪ねてきました。小谷城は近江東部を支配した戦国大名の浅井氏の城でした。最後の城主だった浅井長政は織田信長の妹のお市の方を奥方にしていましたが織田信長に攻められて滅びました。小谷城趾の入口からの景色。小谷城の案内地図。小谷城の本丸。途中で伊吹山が見えました。さらに上で琵琶湖と竹生島が見えました。「弓張放浪第2章」でくわしく紹介しています。

  17. 一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その2「復原町並み」 - 坂の上のサインボード

    一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その2「復原町並み」

    「その1」の続きです。広大な一乗谷朝倉氏遺跡の一角に、城下町を復原したゾーンがあります。今回はその復原町並を歩きます。 復原町並は土塀で囲われています。 塀に囲われた重臣の屋敷が山側に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が形成されていた様子がリアルに再現されています。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基いて忠実に再現されています。 ...

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