煩悩のタグまとめ
「煩悩」タグの記事(53)
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「女性は穢れているか?」
■■■第6章「現実社会を念仏とともに」★6-3「女性は穢れているか?」 ■「女性はなぜ土俵に上がれないのか?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・≪女性はなぜ土俵に上がれないのか?≫2000.3.25「これは面白いことになった」2/24付けの新聞を見て、僕はニヤットした...
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「第5章のまとめ」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-27「第5章のまとめ」 ここまで「本願寺の歴史」についてお話してきました。ずいぶん長いお話になってしまいましたが、最後にひと言だけまとめを書いて終わりたいと思います。 ■教団とは何なのか? これまで私自身あまり注意もせずに、「教団」という言葉を使ってきたようです。教団は言うまでもなく、仏教で言う「三宝」(仏・法・僧)の一つの「僧伽(サンガ)」が元に...
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「余談・・・私と戦争」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-26「余談・・・私と戦争」 今回は本願寺の歴史とは外れた余談です。恐縮ですが、自分のことを少しお話したいと思います。■空襲の話 私は1953年生まれです。つまり戦後8年目です。敗戦による混乱と荒廃の中から、ようやく少し落ち着きを取り戻したような時期でしょうか。子供のころ、近所のおばさんたちからよく言われたものです。「あんたらはいい時に生まれてきたの...
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キルケゴールの人生の3段階の道
キルケゴールという哲学者がいます。西洋哲学の最高峰は実存主義です。彼は実存の三段階というのを考えています。第一段階は美的実存です。これは単純に欲望を満たす段階です。人間の幸せは、結局、欲をどうするかということしか知りません。しかし、欲望は無限なので、どんなに頑張っても満たしきることはできません。第二段階は倫理的実存です。善いことをしようという段階です。善をしようとすると、自分のためと思ってい...
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死んで極楽に往けるなら、死ぬのが嬉しい?(蓮如上人と法...
蓮如上人は、法然上人のように喜ぶ心がないといわれている。御文章4帖目13通です。このようにあります。法然上人の御詞に曰く、「浄土をねがう行人は、病患をえて偏にこれを楽しむ」とこそ仰せられたり。然れども、強ちに病患をよろこぶ心更に以て起らず。浅ましき身なり、慚ずべし、悲しむべきものか。(御文章)法然上人は、絶対の幸福になった人は、病気になると楽しむと言われた。しかし、私の場合は必ずしても病気を...
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煩悩しかない人が幸せになる方法
親鸞聖人は9歳で出家され、それから29歳までの20年間、比叡山で法華経を学ばれ、その通りに修行しておられました。比叡山の麒麟児といわれたほどです。しかし、29歳の正月に比叡山を捨てられました。それは、法華経までの仏教に何が教えられているかによるのです。親鸞聖人は、真剣にされた。20年です。最後知らされたのはできないということです。なくすことも減らすこともできません。煩悩の塊だと知らされたので...
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真実の信心(絶対の幸福)は二種深信
絶対の幸福には、自分はいい人間と思っているうちはなれません。これを淤泥不染の徳といいます。淤泥というのは、泥のことです。蓮の花が、ドロドロの泥田に咲くようなものです。人間は煩悩の固まりです。煩悩で悪を作ります。そんなどろどろのどろ田に蓮華が咲きます。その煩悩具足のままということ。不染というのは、泥田の煩悩は変わらないままで、煩悩がそのまま菩提になります。煩悩即菩提ということです。悪人が私であ...
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絶対の幸福になるための条件
五重の義というのは、5つのものがそろわなければ往生はできない、救われないという教えです。その5つの中では宿善が最初ですが、宿善とは、過去世の善です。しかしそれは過去世で決まっているという運命論ではありません。今生に宿善が厚くなるように求めればいいのです。また、阿弥陀如来の救いは、ただじゃ、そのままじゃ、無条件じゃこれも間違いではありません。108の煩悩そのままで助けるという本願です。10トン...
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心の闇がはれるとどうなる?
心の闇が晴れたということは、本当の生きる意味がハッキリして、生きる目的を達成せられたということです。心の闇が晴れた、生きる意味が達成できた親鸞聖人には、知らされた煩悩一杯が、「恥ずべし、傷むべし」の懺悔となりました。自分の本当の姿がわかった時。自分は煩悩の塊だったと知らされる。きれいな心もある。煩悩以外の心もあると思っているのが全人類。だから人間に善人と悪人がある。人間の姿について世界にいろ...
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「煩悩をゆるす念仏」
■■■第5章「(補足2)本願寺の歴史」★5-4「煩悩をゆるす念仏」 ■煩悩をゆるす念仏 この「内心に保つ念仏」というものがどういうものであるのかは、覚如の『口伝鈔』や『改邪鈔』に明らかです。ここには当然のことながら、親鸞さんの言う「この世のあしきことをいとふ」という姿勢は皆無です。ついでに言っておけば、以前親鸞さんの教えを学ぶ上での重要なキーワードを3つ挙げました。「①十方衆生、②同朋、③い...
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煩悩しかない人間の姿
私たちの心の病を、仏教では、「無明業障の恐ろしき病」といわれます。「無明」というのは、ここでは煩悩のことです。煩悩で悪ばかり作って死ねば一大事、そういう悪ばかり作っている病人です。それで私たちは、煩悩はコントロールせねばならないと思っています。コントロールせよといったら、コントロール出来る心があるということです。逆に、煩悩はコントロールできないといったら、どうでもいいと思ってしまいます。麻薬...
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田んぼには泥にそまらない清らかな蓮の花が咲く
仏教には正しい信心が教えられています。浄土真宗の勤行で読まれている『正信偈』も、仏教を教えられた親鸞聖人が、正しい信心を明らかにされたものです。その正しい信心には、蓮の花の特徴があります。蓮の花の特徴でまずあげられるのは、「淤泥不染(おでいふぜん)の徳」です。「淤泥不染」の「淤泥」というのは、煩悩のことです。煩悩というのは、欲望や怒りや愚痴の心です。欲というのは、金が欲しい、物が欲しい、誉め...
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すべての人がかかっている心の病「無明業障」とは?
仏教では、すべての人は病にかかっていると教えられています。仏教講座に聞きに来ていたおじいさんで、すべての人は病人ということを聞いて、本当に病院に行った人がいます。しかし、病気は見つかりませんでした。それもそのはず、仏教で教えられる病は、肉体の病ではありません。心の病です。心の病といっても、精神病でもありません。ではどんな病気がというと、ブッダは病名を、「難化の三機、難治の三病」といわれていま...
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「浄土ってどこにある?」
■■■第3章「親鸞さんの教え」★3-16「浄土ってどこにある?」 ■浄土ってどこにある? お浄土の話を続けましょう。それでは浄土という世界はどこにあるのでしょうか?「おとぎ話・昔話」的理解で言えば、「死んだ後にある」ということになるのでしょう。私との関係で言えば、「私が死んだ後に行く世界」ということになるのでしょう。そういう理解が根底から間違っているということは、これまでのお話を読んでいた...
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「何が善?何が悪?私たちの目は大丈夫?」
■■■第3章「親鸞さんの教え」★3-3「何が善?何が悪?私たちの目は大丈夫?」■「悪・罪・愚・煩悩」 親鸞さんの教えには、こういう言葉がたくさん出てきます。これらは他人を指差して言っている言葉ではなくて、自分自身を見つめながら出てくる言葉です。または、自分が生きているこの人間社会を見つめながら出てくる言葉です。仏教は人間の苦しみの現実を見すえ、その解決の道を示している、と先にお話しました。そ...
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仏教の全体像(テーラワーダ仏教、般若心経、法華経)
私たちはなぜ苦しんでいるのでしょうか?お金が足りなくて欲しいものが自由に買えないからでしょうか。それとも、時間が足りなくて、好きなことが好きなようにできないからでしょうか。たいていの人は、お金がないからだとか、時間がないからだとか、健康が損なわれているからだとか思っています。ところが、少し進んで行くと、好きなことができないから、自由にできないから、という所に着目します。そして、何かをスキだと...
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「伝わらない念仏。息子の義絶。…90歳静かな閉幕」
■■■第2章「親鸞さんってどんな人?」★2-10「伝わらない念仏。息子の義絶。…90歳静かな閉幕」■伝わらない念仏 京都へ帰られてからも、書物を書かれたり、書き写されたり、お手紙を書かれたり、念仏の教えを伝えるために精力を傾けられた親鸞さんでしたが、思うようにはいかなかったようです。親鸞さんが帰られた後の関東では、教えの誤解が広がり出しました。念仏(仏教)の教えが正しく伝わりにくいのは、親鸞...
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「パートナーとの出会い」
■■■第2章「親鸞さんってどんな人?」★2-7「パートナーとの出会い」■親鸞さんの結婚 さて、前回は流罪についてお話しました。その流罪の前後だろうと思われますが、親鸞さんは恵信(えしん)さんという女性と結婚しています。流罪という出来事も、親鸞さんの人生を語るときに欠かすことのできない大きな出来事でしたが、今回の結婚もまた同様にとても重要なポイントと言わねばなりません。単純に「おめでとう!よか...
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「法然先生との出会い。アミダさまとの出会い直し。」
■■■第2章「親鸞さんってどんな人?」★2-5「法然先生との出会い。アミダさまとの出会い直し。」■六角堂9歳から29歳までの20年間にわたり、比叡山での修行を続けた親鸞さんでしたが、求むべき人間としての道を見つけられずに行き詰まりました。そこで親鸞さんは、新たな道を求めるための行動に出ました。以前から敬っていた聖徳太子を頼る気持ちもあったのでしょう、京都の六角堂(ろっかくどう)への参篭(さん...
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「どんなご利益欲しいですか?」
■■■第1章「仏教ってどんな教え?」★1-4「どんなご利益欲しいですか?」■世間で言う「ご利益」ってどんなもの?ある神社の「御祈祷案内」という項目を見てみますと、「家内安全、商売繁盛、心願成就、厄除け、安産、交通安全、合格、縁結び・・・」などなどたくさん並んでいます。どうもこれらが、普通に言われているところの「ご利益」ということになるのではないでしょうか。「願いごと」の中身と言ってもいいでし...