熊阪のタグまとめ

熊阪」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには熊阪に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「熊阪」タグの記事(57)

  1. 森鴎外氏が認識する熊阪系譜:熊阪台州氏(その2)36~「處士台州熊阪翁墓碑」③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    森鴎外氏が認識する熊阪系譜:熊阪台州氏(その2)36~...

    「高子から全国に発信される文学活動③~熊阪台州氏⑨」で記したように、森鴎外史伝三部作の第二「伊沢蘭軒」という作品で、盤谷氏とのかかわりで、熊阪氏3代について解説する箇所がある。https://kazenoshin.exblog.jp/23487373/連載の129回目で、文政5年(1822)の秋の蘭軒の詩は、末の三首が森枳園の手写しで、その前に看過すことの出来ない一首があるとの書き出しで、7...

  2. 熊阪台州氏(その2)35~「處士台州熊阪翁墓碑」② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)35~「處士台州熊阪翁墓碑」②

    處士台州熊阪翁墓の表題が読みにくいので、この碑の確認には本文も確かめている。これは、昨日整理の本文出だしの諱、字、姓にかかわることが刻まれる部分だが、彫は鮮明で「翁諱定邦、一諱邦、字子彦、姓熊阪氏、本姓兒島氏」が確認できる。ここで気になった事の一つが、「本姓兒島氏」とあること。系譜にこだわらずに散策していた時点では、漠然と熊阪氏の系譜の中で捉えている。更に、「熊坂家蛍域」原風景の確認でも、実...

  3. 熊阪台州氏(その2)34~「處士台州熊阪翁墓碑」 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)34~「處士台州熊阪翁墓碑」

    熊阪氏についての知識がないので、散策資料を読み取るのに苦労した。今までの確認で、ようやく「熊坂家蛍域」に建つ案内板の熊阪覇陵氏、台州氏、盤谷氏の熊阪三代墓碑を確認する前提が整ったところだ。「覇陵熊阪君墓碑」は先に確認したので、こんどは台州氏、盤谷氏の墓碑を確認する。まずは、「處士台州熊阪翁墓碑」。「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」がいう「定邦台州碣銘」だ。建立は「文化乙丑春三月」とのことなので、文...

  4. 熊阪台州氏(その2)33~台州氏代の「熊坂家蛍域」⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)33~台州氏代の「熊坂家蛍域」⑤

    菅野宏氏は「白雲館墓碣銘」の前書きで、「観海撰文南畝書の覇陵の碣銘は有名だが、小さい碣銘も心に残るもので、読み継げば、著作には見えない、白雲館の年代記が鮮明に浮かび上がってくる」と記す。しかし、自分にはその有名だとされるする覇陵の碣銘も識別できない状態だった。それが、台州氏代の「熊坂家蛍域」を確かめるという作業を通して、ようやく確認できたということだ。これで、案内板にある熊阪覇陵氏、台州氏、...

  5. 熊阪台州氏(その2)32~台州氏代の「熊坂家蛍域」④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)32~台州氏代の「熊坂家蛍域」④

    台州氏代の「熊坂家蛍域」原風景にかかわる墓碑群を確認してきた。その確認を通して、覇陵氏達が高子に住する際の「熊坂家蛍域」原風景のイメージも見えて来た。この3基の墓碑群の「阿閣院翽鳳起居士之墓」の墓碑が、それだろうと思う。実際には、この墓碑自体は寛政四年に台州氏が撰文し、盤谷氏の書になる整備が行われたものなので、あくまでもイメージとしてということではある。この墓碑の表題は「阿閣院翽鳳起居士之墓...

  6. 熊阪台州氏(その2)31~台州氏代の「熊坂家蛍域」③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)31~台州氏代の「熊坂家蛍域」③

    高子熊阪氏の分家は、覇陵氏の実父母との関りで行われたわけではないようだ。それは、画策され中村熊阪氏3代太左衛門(助利)氏の姉の嫁ぎ先の秦氏とのかかわりを要として行われるようだ。「熊坂家蛍域」原風景にかかわる墓碑のうち、中央の「太右衛門豊重・久保氏越碣銘」が、これに絡む。昨日、中村熊阪氏から高子熊阪氏が分家する部分と覇陵氏の実父母とのかかわりを図示した。この図に、高子熊阪氏の分家の要とる秦氏と...

  7. 熊阪台州氏(その2)30~台州氏代の「熊坂家蛍域」② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)30~台州氏代の「熊坂家蛍域」②

    先に「覇陵熊阪君墓碑」について整理したが、このことによって今までの見え方と違ったことがある。それまでは、熊阪氏の系譜の中での覇陵氏という見え方だった。覇陵氏の実父方の系譜を意識したことがなかった。ところが、「覇陵熊阪君墓碑」で語られる系譜は実父方の系譜を中心にしているらしいのだ。「熊阪台州氏(その2)⑦~「覇陵熊阪君墓碑」⑦」で「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」をもとに確...

  8. 熊阪台州氏(その2)29~台州氏代の「熊坂家蛍域」 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)29~台州氏代の「熊坂家蛍域」

    先に「熊坂家蛍域」に建つ「覇陵熊阪君墓碑」について整理した。「熊坂家蛍域」の現況は、熊阪5代にかかわる墓碑群が建っているようだが、台州氏代の「熊坂家蛍域」原風景にかかわるのは、この三基だと思われる。左端が定昭覇陵・養都碣銘で、中央が太右衛門豊重・久保氏越碣銘、そして、右端が太七郎助英碣銘だろうと思う。これ等の墓碑群の左側には先に整理した「覇陵熊阪君墓碑」が建っている。そして、この写真の右側に...

  9. 熊阪台州氏(その2)28~「曳尾堂」⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)28~「曳尾堂」⑫

    福島で散策している者にとっては、村山地方漆山の大地主半沢久次郎氏所蔵「曳尾堂文庫」は、熊阪氏の書庫「曵尾堂」から引き継がれたものと認識するのが当然だと思っている。ところが、地元山形ではこの繋がりの認識には出会わない。これが、地元山形の情報を確認していて気になったことの一つだ。それで、この繋がりの有無にちょっと自信を失い、その確認をしていて見つけたのが「曳尾堂図書印」「半澤文庫」「邦之印」「□...

  10. 熊阪台州氏(その2)27~「曳尾堂」⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)27~「曳尾堂」⑪

    前回は、「曳尾堂図書印」はあるが「半澤文庫」の蔵書印はない書籍として「山形県立博物館」の収蔵「四家妙絶」についての情報確認をした。「曳尾堂図書印」と「羽角蔵書印」の蔵書印、それと「羽角利兵衛蔵本」の記入とのことだった。これは「山形県立博物館ニュース」の解説から読み取ったものだが、そこには「半澤文庫」の蔵書印はなさそうだった。パターン的には、早稲田大学図書館・土岐文庫所蔵「和泉式部」の蔵書印の...

  11. 熊阪台州氏(その2)26~「曳尾堂」⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)26~「曳尾堂」⑩

    「熊阪台州氏(その2)24~『曳尾堂』⑧」では、「曳尾堂図書印」とともに「半澤文庫」の蔵書印が押印された書籍についての確認をした。「曳尾堂図書印」が押印される書籍には、「半澤文庫」の蔵書印がない書籍もあるようだ。「熊阪台州氏(その2)22~『曳尾堂』⑥」でふれた「四家妙絶」という書籍の蔵書印もこれにあたる。「山形県立博物館ニュース(第10号)」によると、この書籍には「曳尾堂図書印」と「羽角蔵...

  12. 熊阪台州氏(その2)25~「曳尾堂」⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)25~「曳尾堂」⑨

    明治時代に山形の村山地方漆山の大地主であった半沢久次郎には、俳諧師半沢二丘としての顔もあるわけだが、それにかかわる書籍には別の蔵書印が押印されている。これ等の書籍には、末尾に縦長の「最上漆山半沢久次郎蔵書印」が捺されているということのようなのだ。これらの書籍として「早稲田大学図書館古天籍総合検索」で、現早稲田大学図書館雲英文庫所蔵の「をのの草稿」・「都筑の原」・「花標集」、現国文研所蔵の「百...

  13. 熊阪台州氏(その2)24~「曳尾堂」⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)24~「曳尾堂」⑧

    これは、「国立国会図書館所蔵の唐類函200卷目2卷[20]の蔵書印が押印されている部分だ(国立国会図書館デジタルコレクション)。「国立国会図書館所蔵」の他の巻も含めて「半澤文庫」と「曳尾堂図書印」の旧蔵者の蔵書印が確認できる。この陰影は、「熊阪台州氏(その2)⑱~『曳尾堂』②」でふれた「阪巻・宝玲文庫の蔵書印(琉球大学附属図書館)」の中で、「琉球奇譚」に押された「半澤文庫」「曳尾堂図書印」と...

  14. 熊阪台州氏(その2)23~「曳尾堂」⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)23~「曳尾堂」⑦

    「曳尾堂」の閲覧を目的に半沢邸を訪れる方だが、半沢氏が誉に思う方々だったという側面もあるのではないのかなと思う。「熊阪台州氏(その2)⑱~『曵尾堂』②」でふれた小川琢治博士は、その訪問目的が調査であり、その時期は昭和初期ではある。それでも、半沢氏には誉に思う側面があったのではないのかなと想像する。小川琢治博士、我々年代なら、ノーベル賞を受賞された物理学者湯川秀樹氏の父親との認識かな。昭和4年...

  15. 熊阪台州氏(その2)22~「曵尾堂」⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)22~「曵尾堂」⑥

    書庫「曵尾堂」文庫にかかわる情報は山形市出羽地区の地元情報としては拾えなかったが、「山形県立図書館」や「山形県立博物館」の広報などの情報を目にすることができた。ただ、いくつか残念に思うことがあった。「山形県立博物館ニュース(台10号)」の資料紹介コーナーに、「四家妙絶」という図書紹介にかかわって、書庫「曵尾堂」文庫について次のようにふれられている。「山形大学の石島教授によれば、『曳尾堂』は、...

  16. 熊阪台州氏(その2)21~「曵尾堂」⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)21~「曵尾堂」⑤

    熊阪氏から半沢氏に継がれた書庫「曵尾堂」文庫は敗戦後まで維持されたが、再び不幸にも1950年に散佚してしまう。「保原町史(第五巻)」によると、不幸中の幸いというか、明治29年10月調査、その大正初年の写しの目録が残されたとのことだ。この辺りの山形市出羽地区の豪農半沢久次郎氏情報を拾う。戦後(S22〜25)行われた農地改革により、半沢家は不在地主として全所有地を国が強制買収して小作人に売り渡し...

  17. 熊阪台州氏(その2)⑳~「曵尾堂」④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑳~「曵尾堂」④

    書庫「曵尾堂」文庫を熊阪氏より継いだと思われる山形市出羽地区の豪農半沢久次郎氏情報を拾う。漆山村は、明治22年(1889)に、千手堂村や七浦村と合併して出羽村になるのだが、半沢久次郎氏は、その初代村長になるようだ。明治 35 年には、広大な私有地を国鉄に無償で提供して漆山駅を設置したりしているようだ。同時期の漆山代官所(旧秋元藩陣屋)を利用した「郡立染織学校」の設立も半沢氏の仕事のようだ。こ...

  18. 熊阪台州氏(その2)⑲~「曵尾堂」③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑲~「曵尾堂」③

    ただの地域散策人にとっては、「琉球奇譚」の刊行年を根拠に印鑑を引き継いだ半沢が押印したとする部分には、違和感がある。「琉球奇譚」の刊行は、確かに盤谷氏没後3年のようだ。次の代の達夫氏も、文政11年(1828)には、京都の中川家で亡くなっている。しかし、盤谷氏は、達夫氏没後、堀氏の子である定謙氏を養子に向かえている。そして、その定謙氏の子の定駿氏が、天保11年(1840)に達夫氏の墓碑銘を建て...

  19. 熊阪台州氏(その2)⑱~「曵尾堂」② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑱~「曵尾堂」②

    白雲館の書庫「曵尾堂」文庫は、「覇陵の嗣台州の造営と命名」とのことだ。その命名の由来は、士官を求められた荘子が、死んで卜占(ぼくせん)用に奥深く蔵されるより、泥のなかをはい回る亀でありたいといった「荘子(秋水篇)」の故事にある【「白雲館墓碣銘(菅野宏)」】とのことだ。「その昔福島大学の近くにあった図書館(渡邉武房)」によると、書庫「曵尾堂」の上面には大槻磐渓 の書になる扁額があったとのことだ...

  20. 熊阪台州氏(その2)⑰~「曵尾堂」 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑰~「曵尾堂」

    私塾であり文人サロンでもある「白雲館」に、「曵尾堂」なる蔵書庫があったことは自然過ぎてさらりと受け流されてしまいそうだが、この「曵尾堂文庫」の存在を特記しておきたい。図書館の視点で名を知られている「曵尾堂」は、山形県のそれのようだが、この白雲館の「曵尾堂」の蔵書を元にした図書館のようだ。まずは、山形のその「曵尾堂文庫」を確認する。「近代図書館政策と山形県(前田美咲)」によると、山形県の図書館...

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