熊阪のタグまとめ

熊阪」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには熊阪に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「熊阪」タグの記事(57)

  1. 熊阪台州氏(その2)⑯~白雲館・明月楼・海左園③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑯~白雲館・明月楼・海左園③

    昨日は、「白雲館・明月楼・海左園」と「白雲館の屋敷図」とのかかわりを確認した。その方位については、その位置関係から推定したものだったが、ずれていることが分かったので修正する。なお、「白雲館・明月楼・海左園」等の想像は変わらないので、そのままにする。方位のずれに気づいたのは、屋敷から放射線状に引かれている線が、その方位を表していることが分かったからだ。案内板の図では気づかなかったのだが、「白雲...

  2. 熊阪台州氏(その2)⑮~白雲館・明月楼・海左園 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑮~白雲館・明月楼・海左園

    案内板で、「白雲館・明月楼・海左園」については「白雲館社とは、高子熊阪家の居宅の号で、楼を「明日楼」、書庫を「曵尾堂」、門弟が集う場所を「洗心室」、庭を「海左園」と称する座敷の総称」との説明だ。「白雲館の屋敷図」とのかかわりについては既に知っているということを前提にしているようだ。しかし、当方にはその知識が全くないので、確認が必要だ。まずは、「白雲館社は、高子熊阪家の居宅の号で、楼を「明日楼...

  3. 熊阪台州氏(その2)⑮~白雲館・明月楼・海左園 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑮~白雲館・明月楼・海左園

    大田南畝氏との交遊で熊坂台州氏は、「熊阪子彦・白雲館・明月楼・海左園」と紹介される。「白雲館・明月楼・海左園」が、「熊阪子彦」とともに、熊坂台州氏を表す呼称あるいは文人サロンの呼称とされるようにみえる。新しくなった「熊坂家蛍域」前に建つ案内板では、「白雲館の屋敷」を掲げ、その解説の前半に、この「白雲館」について、これが私塾であったとして解説し、ここで江戸や全国の文人階級と盛んな交流があったと...

  4. 熊阪台州氏(その2)⑭~台州氏の交遊関係② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑭~台州氏の交遊関係②

    台州氏の交友関係資料確認にかかわって、よそ道に逸れる。台州氏の交遊関係を、主として大田南畝氏の資料から確認したところだが、気になったことの一つは、使わせていただいた大田南畝氏の資料が浮世絵にかかわるページにデータベース化されていたことだ。まずは、大田南畝氏と浮世絵との関係を確認しておきたかった。このことについて分かりやすかったのが、太田記念美術館の「蜀山人大田南畝―大江戸マルチ文化人交遊録」...

  5. 熊阪台州氏(その2)⑬~台州氏の交遊関係 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑬~台州氏の交遊関係

    台州氏の交遊関係を視点に「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」の年表を眺める。昨日整理の情報と大きくかかわるのは、安政4年乙未(1775)」台州氏37歳、盤谷氏9歳の春だが、その少し前から情報を拾ってみる。明和8辛卯(1771)台州33歳・盤谷5歳の5月に「西遊紀行」が江戸崇文堂から刊行される。稲垣白巌・野村東皐などと初刊の往来あり(継志編)安永元年壬辰(1772) 台州34...

  6. 熊阪台州氏(その2)⑫~大田南畝氏との交遊② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑫~大田南畝氏との交遊②

    大田南畝氏が熊坂台州氏と交遊関係があることを示す詩歌には、他に「山君忠・岡公修・関叔成・季成・熊阪子彦・山道甫」の方々が登場している。「浮世絵文献資料館」では、それをくくって「熊阪台州・松崎観海・士訓・道甫・君忠・公修・叔成・季成」を「詩友」と表現している。「熊阪子彦」が熊坂台州氏であることは分かるが、その他の方々呼称関係が分からない。それで、「文人サロン交友」の項で確認すると、次のようだっ...

  7. 熊阪台州氏(その2)⑪~大田南畝氏との交遊 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑪~大田南畝氏との交遊

    「浮世絵文献資料館」に大田南畝氏にかかわる資料がデータベース化されているページかあって、ここから氏の交遊関係が拾えるようになっているので、その情報を使わせていただく。http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/index.htmlまず、大田南畝氏の詩・狂歌にかかわって、大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人として、熊坂台州氏と熊坂君実氏の名が挙がる。ここで...

  8. 熊阪台州氏(その2)⑩~「覇陵熊阪君墓碑」⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑩~「覇陵熊阪君墓碑」⑩

    そこに刻まれるのは故人の氏名や死亡年月日というのが、自分が持ち合わせている墓碑のイメージだった。それに比して、この「覇陵熊阪君墓碑」は、死者の経歴や死者への哀悼の言葉も印され、その碑文を見て故人を偲ぶことができるようになっているということだ。「熊阪台州氏⑥」にかかわる散策時には、このイメージこのイメージを持ち合わせていない。この時に「覇陵熊阪君墓碑」を撰することともかかわる松崎観海氏との手紙...

  9. 熊阪台州氏(その2)⑨~「覇陵熊阪君墓碑」⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑨~「覇陵熊阪君墓碑」⑨

    「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」での釈文確認を続ける。前回は、荻生徂徠の書に接して、爽然自失した覇陵氏は、其の稿をすべて焚いてしまったという辺りまでの確認だった。今回は、その彼が晩年に辿り着いた境地と生活ぶりが記されるようだ。その中に、白雲館や高子二十鏡とのかかわりも……。晩(晩年)に自ら丘壑(きゅうがく)に放(ほしいまま)にす(美しい自然のなかで悠々自適の生をおくった...

  10. 熊阪台州氏(その2)⑧~「覇陵熊阪君墓碑」⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑧~「覇陵熊阪君墓碑」⑧

    「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」での釈文確認を続ける。前回は、熊坂覇陵氏の父である兒島定悠氏が伊達の熊阪氏となるまでの経緯について記されている部分を確認した。次に記されるのは、伊達の熊阪氏となってからの家族の動向だが、その中心は「片平氏に配して君を生めり」から「君に妻(めあわ)せ、以て己が嗣と為す」までの覇陵氏にかかわる事柄だ。片平氏(娟(えん))に配して、君を生めり。...

  11. 熊阪台州氏(その2)⑦~「覇陵熊阪君墓碑」⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑦~「覇陵熊阪君墓碑」⑦

    「覇陵熊阪君墓碑」の情報の元になったとする「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」で、この碑の釈文を確認する。覇陵熊阪君之墓(篆額)君、諱は定昭、字は君行、卯右衛門と称し、覇陵山人と称す、考(亡くなった父)は孫右衛門、諱は定悠、姓は兒島氏。故有りて鮒子田氏を冒す(鮒子田の姓を名乗る)。譜(家譜)を按ずるに、蓋し、宇多天皇(887~897)の苗裔(子孫)、兒島三郎備後の守高德より...

  12. 熊阪台州氏(その2)⑥~「覇陵熊阪君墓碑」⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑥~「覇陵熊阪君墓碑」⑥

    漢文の素養を持ち合わせていない散策人には、「覇陵熊阪君墓碑」から直接墓碑の漢字群の配列を確認することができない。この碑に刻まれているとする情報と照らし合わせながら行ったものだ。その情報は、前回の熊阪台州氏整理時に拾ったものだ。この熊阪墓地が改修工事されていたようで、ネット上の墓碑改修作業状況報告を見つけたのだ。確か山形県の業者だったと思う。その報告の中に、熊阪覇陵・台州・盤谷氏の三代の墓碑の...

  13. 熊阪台州氏(その2)⑤~「覇陵熊阪君墓碑」⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)⑤~「覇陵熊阪君墓碑」⑤

    旧「熊阪覇陵・台州・盤谷墓碑」案内板では、その内容については「それぞれの事績が格調高く詳述されている」とし、その揮毫については、「これらは当時一級の文人たちによって揮毫」されたものとする。この「覇陵熊阪君墓碑」が「格調高く詳述されている」こととかかわるのが、「龜山松崎惟時撰」の漢文になっているということだろうか。この龜山松崎惟時氏については、先に「熊阪台州氏④」で確認したように、当時、もっと...

  14. 熊阪台州氏(その2)④~「覇陵熊阪君墓碑」④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)④~「覇陵熊阪君墓碑」④

    前回、「覇陵熊阪君之墓」の写真から本文の比較的痛んでいない上部を切り取って、地元情報と照らし合わせる作業を通して、気分的に「東都大田覃」の「書并篆額」を味わったつもりになれたところだ。この作業には、別の効果も派生する。その一つは、少なくとも照らし合わせた部分においては、地元のこの碑に刻まれているとする情報と符合することが確認できたという事でもある。つまりは、地元情報の確からしさの確認にもなっ...

  15. 熊阪台州氏(その2)③~「覇陵熊阪君墓碑」③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)③~「覇陵熊阪君墓碑」③

    「覇陵熊阪君之墓」の本文の末尾は建立にかかわる情報で〆られているようだが、確認できたのは、「明和五年六月壬戌、龜山松〇〇〇」とそのしばらく後ろに「大田」があることだ。前回確認したように、「明和五年六月壬戌、龜山松〇〇〇」は、「永慕編」の概要確認から「明和五年六月壬戌、龜山松惟時撰」であるこが分かる。「大田」が読み取れたことだが、この碑に刻まれているとする地元情報では、「東都大田覃書并篆額」だ...

  16. 熊阪台州氏(その2)②~「覇陵熊阪君墓碑」② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)②~「覇陵熊阪君墓碑」②

    これが「覇陵熊阪君墓碑」だと思う。題字は飾り文字で読みづらいが、そう思って読めば、「覇陵熊阪」の部分と二文字明けた「墓」が読める。その二文字も前後関係から「君之」だろうと想像がつく。題字は「覇陵熊阪君之墓」だろう。また、本文の最初の部分だが、二文字置いた次に「定昭」が読める。覇陵=定昭で、台州=定邦、盤谷=定秀のはずなので、これも確からしさの根拠になるだろうと思う。更に、本文の末尾に「明和五...

  17. 熊阪台州氏(その2)~「覇陵熊阪君墓碑」 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)~「覇陵熊阪君墓碑」

    松川・浅川地域散策の整理を通して、確認したい事が明確になってきたので、この辺りで一区切りつけておこうと思った。それで、今までパソコン上に散らばしておいた松川・浅川地域散策情報を整理していた。今度整理しておきたいなと思ったのは、伊達の熊阪氏にかかわる情報だ。先に「熊阪台州氏」として15回に分けて整理していたので、その続きとして「熊阪台州氏(その2)」とした。http://kazenoshin....

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