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「画像あり!」タグの記事(16)

  1. 仏よきになし給う - 仏からの道

    仏よきになし給う

    二三七、赤児育てる親の方には分別あれども、赤児の方には分別はいらぬ。乳房に取りついてさえ居れば、よいようにして下される。(香樹院語録) 信じるとは疑いがない。疑いがないということは問いがない。「なぜ」がない。よいか悪いかもわからないし、わかろうとも思わない。いま起きていることが仏の御はからいであるから、いま起きていることになにも不満はない。よいことも悪いことも、わたしのためにしてくれている。...

  2. 大邪見なり - 仏からの道

    大邪見なり

    九三、吾々が身体と生命とは、時々剋々に未来未来と行くなれども、心一つは死なぬ死なぬと思う。大邪見なり。(香樹院語録)「わたし」という意識は老化しない。「わたし」ができて以来「わたし」は完全な同一性を維持している。「わたし」が「わたし」以外の者になったことはない。それは「わたし」が観念だからだ。観念は老化しないから「わたし」は死なないと妄想する。いわゆる「不滅の霊魂」を妄想する。心意識は体の一...

  3. 夢 - 仏からの道

    二九三、夢やゆめうちかさなれる夢のみぞ、さめしうつつも夢の世のなか。(香樹院語録) 夢とは事実の解釈。自分に都合のいい解釈が成り立っているうちは夢見心地だが、事実が解釈を追い越して行くと悪夢になる。事実を受け入れざるを得なくなる。事実を受け入れればただの苦しみだが、事実を受け入れられないと苦悩になる。事実を受け入れられない原因は執着にある。苦悩に執着を教えられて、無執着のさとりの境地を目指す...

  4. 我を思う仏の心* - 仏からの道

    我を思う仏の心*

    二八九、如何なる大悲の恵みで、私のようなものが聞く気になり願う心になったやらと思えば、よく思えば願いそうな聞きそうな心でもなきものが、かく聞く気になり願う心になったのは、全く如来の大悲の御力なり。日輪に如何なる御徳があるかは知らねども安穏にして暮すはみな日の力なり。一切草木の葉一枚まで、みな日の力によらぬものなし。光明名号の御慈悲で御助けと信ぜられたは、我が胸より出でしにあらず、全く光明名号...

  5. 少しばかりで了解は出来ぬ - 仏からの道

    少しばかりで了解は出来ぬ

    四五、秀存師ある時、「真心徹致するひとは、金剛心なりければ、三品の懺悔するひとと、ひとしと宗師はのたまえり」とある和讃の御意を尋ね給いければ、師はやや暫らく黙し給いて後智慧第一の舍利仏でさえ、四十年の間聞いても分らぬ仏法を、少しばかり聞いて解了しようとは、無理なことじゃ。 とのたまいければ、秀存師はただ、ヘイと云いて退出ありしを、傍見しまいらせしと、栗尾太助の話。 (香樹院語録)分別とは頭で...

  6. 後生と云うことを存じませぬ - 仏からの道

    後生と云うことを存じませぬ

    八一、或る人、後生と云うことを存じませぬ、と申し上げたるとき、仰せに。それ知らるるまで容易でない。(香樹院語録) 後生は仏である。色も形もない一如になる。汚れも穢れもない空である。空から一切が生じ、一切は空に還る。還るところがわからずに迷っている。安心して死ぬことができない。後生とは生の後ろ、生の背景である。背景がわかってこそ今がわかる。還るところがわかるから安心して迷える。最後はそこに還る...

  7. 仏の心を賜わるなり - 仏からの道

    仏の心を賜わるなり

    一二二、仏のこころを知る者は、仏の心を賜わるなり。故に大悲の御心を聞かねばならぬ。(香樹院語録)煩悩がない悟りの境地を涅槃という。仏教ではそう教えているのに、真宗では「煩悩を断たずに涅槃を得る」という。悟るのではなく、信ずる心一つで、煩悩をもったまま悟りの境地である涅槃に入るというのです。こんなことはありえないことだが、実際に起こることだから「誓願不思議」という。仏の心を涅槃という。だから仏...

  8. 無宿善の機 - 仏からの道

    無宿善の機

    五八、『御文』に「無宿善の機は力及ばず」とあるは、一向きかずに地獄へ堕つるを無宿善とはのたまはず。聞いても聞いても驚かず、地獄へ堕つるを無宿善と云う。(香樹院語録)心の内側を見ることができなければ信仰にはならない。心が内側に向かない人を無宿善というのでしょう。仏は一人一人の心の中におられるのだから、外に仏を求め回る必要はないし、自分の心を観察するのに知識もいらない。信仰とは自分の心の奥底に降...

  9. 地獄へ堕ちるばかりの心え - 仏からの道

    地獄へ堕ちるばかりの心え

    四十四、死ぬまいと思うて居るうちに死ぬる。真宗の者は、地獄へ墮ちはせまいと思うて堕ちる。他宗のものは業がつよくて堕ちる。仏法を知らぬものは、地獄はありませぬと思うて堕ちる。 五〇、或る人の尋ねに。私は地獄へ堕ちるばかりの心で御座ります。仰せに。地獄へ堕ちるばかりの心え、聞くたびに、ただ嬉しいばかりの御法なり。(香樹院語録)「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(...

  10. 疑うなよ疑うなよ - 仏からの道

    疑うなよ疑うなよ

    一八六、或る人、後生と云うことは存じませぬと申し上げたれば、師仰せられ候。おれも後生はしらぬ。しらぬがよいのじゃ。とやかく思うは凡夫の心。如来様は疑うなよ疑うなよと仰せらるる程に。(香樹院語録)心に受け入れられない現実を前にすると人は「なぜ?」となる。自分を疑わずに事実を疑う。自分に都合のいいように解釈して事実を受け入れまいとするが、どうしても受け入れなくてはならないとなると、それが「苦悩」...

  11. 根本の疑い - 仏からの道

    根本の疑い

    九、疑いと云うものに、枝末と根本との二つあり。枝末の疑いと云うものは、親子夫婦兄弟などの中に、毎日毎日起りて、本に思わぬ事じゃ。根本の疑いというは、さっぱりとあかるうなりて、胸の中に、どうも虚言じゃと思われぬ様になられぬことじゃ。たとえば、其方の子は狐じゃほどに、油断をするなと人が云うたとき、どう思うても我が産み落して育てた子なれば、狐じゃとは思われぬ。これ人の言葉に転ぜられぬ也。 (香樹院...

  12. 仏との対話 - 仏からの道

    仏との対話

    二三〇、仰せに。凡夫のこころは浄土参りの種にはならぬ。信決定の時凡夫の心を消して、如来さまの御心一つにして下される。(香樹院語録)人と生まれたことは苦悩である。あなただけでない、親も兄弟も、教師や仲間、親族、周りの者みな暗い心を内深くに隠して生きている。隠していることも知らずに苦悩している。だから、あなたの苦悩を最後まで聞きとげてくれる人はいない。聞けば聞いたことを利用するのが人である。あな...

  13. 仏の心で仏になる - 仏からの道

    仏の心で仏になる

    一一六、或人の尋ねに、どうも此度は仕おおせらるるように思われませぬ、と申し上げたれば。 仕おおせられまいとおもうは凡夫の心。仕おおせさせるとあるが如来さまの御こころ。その御心をもらうのじゃ。仏の心で仏になるに、何の間違いがあろうぞ。それでよく聞けよく聞けと云うのじゃ、と仰せられたり。(香樹院語録)信心の「信」は「真」に通じて真(まこと)の心、真(まこと)の心とは仏のお心、仏のお心がわたしの内...

  14. 助けたまえ - 仏からの道

    助けたまえ

    二二三、或る時の仰せに。たのむ故おたすけじゃとは思うなよ。助けたまえと、弥陀をたのむのじゃ。(香樹院語録) 「おたすけ」を期待して「たのむ」となれば、それは計算である。人知は計算する。計算する心から「たのむ」心は出てこない。「たのむ」心は仏からの回向である。なにから「助けたまえ」か。計算高い人間の心から「助けたまえ」である。計算しても計算しても立ち行かない境遇にしてくれたのは仏のお慈悲である...

  15. 阿弥陀様の御養育 - 仏からの道

    阿弥陀様の御養育

    一四一、仰せられ候。阿弥陀様の御養育と云うは、親が子を抱きづめにして居るように、何処に居っても見て居ってやるから、危げなしに我をたのめ、と仰せらるる御念力に、つなぎ付けられたことじゃ。(香樹院語録) この法語、聞き手がいない。香樹院師の素直な宗教感情の表白です。どこにいても、どんなときも、親に見守られているという安心が子を一人立ちさせる。仏の心といつもつながっている。いつでも仏の方から声がす...

  16. 人間に生れぬる大事* - 仏からの道

    人間に生れぬる大事*

    二九九、聞いて楽しむ身の上が、云うを手柄にするぞおかしき。云わぬを手柄と思うなよ。聞き得たままを繕ろわず云うて、なおしてもらえかし。聞いて覚えて、云うことに骨折る人ぞあわれなれ。聞きうることぞ大事也。聞き得た上の楽しみは、拙き言葉ありながら胸のありだけ語りあい、御慈悲喜ぶたのしさは、覚えた人は味しらず。忘れとうても忘られぬは如来をたのむ心也。三〇〇、安政五年正月二十三日、師京都に於て寂したま...

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