祭祀線のタグまとめ

祭祀線」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには祭祀線に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「祭祀線」タグの記事(12)

  1. 今も謎のまま淡路の伊弉諾神宮の祭祀線 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    今も謎のまま淡路の伊弉諾神宮の祭祀線

    古い伝えの神社に参拝した後に、この神社の創建はいつだろうかと思います。福岡の箱崎八幡宮のように由緒に927年と創建年代が書かれていることもありますが、ほとんど不明とか2000年の歴史があるとか書かれていて戸惑います。古事記や日本書紀を持ち出される神社もありますが、どちらも八世紀の文献で、編纂を命じた為政者の主張に合わせて編集されていますので、公正な歴史と扱うわけにもいきません。それでも、個々...

  2. 沖出古墳3古墳が見つめる先、はるかに脊振山が後円部の先は位登 - ひもろぎ逍遥

    沖出古墳3古墳が見つめる先、はるかに脊振山が後円部の先は位登

    沖出古墳3古墳が見つめる先、はるかに脊振山が後円部の先は位登沖出古墳の後円部から前方部の向こうに見える山を写しました。遠賀川の向こうに見える山の名前。さっそくチェリーさんが調べてくれた上に、主軸ラインなど思いがけないものを提示してくれました。チェリーさんの画像と説明文です。「lunaさん、こんばんは。画像を作成しましたので、お送りします。」「沖出古墳から撮影されたお写真と同じ方向を、カシミー...

  3. 倭五王は行方不明 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭五王は行方不明

    「神籠石(こうごいし)は、消えるのか」と、気になることを書きました。結論としては、「神籠石は死語になる」と思います。わたしは、次の世代は名称として「神籠石」を使わないと思うのです。今まで歴史の表舞台に出さなかったものを、文化庁が名前を変えて表に引き出しました。神籠石を持つ自治体としても観光に使うつもりなら「古代山城」として「山城ブーム」に乗るでしょう。耳慣れた言葉を使うのは、当然ですから。も...

  4. 太陽祭祀から祖先霊祭祀へ、歴史は動いた - 地図を楽しむ・古代史の謎

    太陽祭祀から祖先霊祭祀へ、歴史は動いた

    太陽祭祀から祖先霊祭祀へ前日、古墳時代になって祭祀が変わってきたことに触れました。「太陽」ではなく「祖先霊」が大きく祭祀されるようになったと。「祖先霊」の祭祀は、ラインを引くとよくわかります。重要な山や墓ほどたくさんのラインの起点や終点、通過点となるのです。では祭祀線で、首長墓と言われる古墳を見ます。福岡県糸島市の三雲南少路王墓の祭祀線福岡県糸島市の一貴山銚子塚古墳の祭祀線福岡県八女市の岩戸...

  5. 狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった

    平原王墓の巫女王が、卑弥呼宗女壱与(臺与)なら、その霊力は封じられた平原王墓の主は、霊力を象徴する鏡を全て割られていた壱与の次の時代、王位を奪った一族の霊力次の王は、平原王墓の巫女の霊力を象徴する鏡を全て割り、霊力を封じたその後の、一貴山銚子塚の一族は支配を確立できたのでしょうか。彼らの狙いは、伊都国の統括だけではありませんでした。もっと広く世界を見ていたと思います、大陸や半島を、倭王として...

  6. 伊勢神宮の八咫鏡、天皇家の祭祀は伊都国から始まった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    伊勢神宮の八咫鏡、天皇家の祭祀は伊都国から始まった

    伊勢神宮の八咫鏡、天皇家の祭祀は伊都国から古墳への鏡の大量副葬の風習は、北部九州から始まりました。伊勢神宮のご神体=八咫鏡も北部九州が発祥の地です。伊勢神宮のご神体の八咫鏡を直接見ることはできません。原田大六は「八咫鏡と同型だ」と言った福岡県糸島市の平原王墓(1号墳)を発掘した原田大六は「1号墳から出土した大型内向花文鏡(内向花文八葉鏡)を其の文様と大きさから八咫鏡と同型ではないか」という説...

  7. 祭祀線から外された平原王墓の巫女王は誰 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    祭祀線から外された平原王墓の巫女王は誰

    すべて割られていた平原王墓の銅鏡平原王墓は弥生の周溝墓です。そこには割竹形木棺があり、40面の銅鏡が副葬されていました。一つの墳丘墓で40面の銅鏡の副葬は、平原王墓が一位です。内向花文鏡の5面は大型で、銅鏡の中では最大です。(鏡もすべて国宝です)40面の銅鏡は全て割られていました。なぜでしょう。出土状況を見ると、明らかに割られていますが、何か理由があるのでしょうか。近隣の王墓も割られていたの...

  8. 倭王の交替・邪馬台国以後の倭王の出自は中九州 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王の交替・邪馬台国以後の倭王の出自は中九州

    わたしは、倭王が何処に住んだのかを祭祀線で探してきました。すこしずつ、その場所を紹介してきました。まず、弥生時代の終焉上の写真は、ベンガラを塗った祭祀具です。特別の形を特別に製作焼成し、特別の色を塗って特別の場所で神祭りをしたのです。その祭祀具が福岡のあちこちで一か所にまとまって出土しますが、なぜでしょう?もしや、わけあって一度に破棄されたのではないか、わたしはそう思いました。。壊れたから、...

  9. 岩戸山古墳の祭祀線 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    岩戸山古墳の祭祀線

    岩戸山古墳の祭祀線から分かること岩戸山古墳に届く直線を引くと、面白いほど神祭りの山と結びつくし、古墳とも関係がありそうです。つまりラインが引けるのです。岩戸山古墳は九州では大きな古墳になりますが、大型古墳と比べると小さいですね。一昨年、近畿の大型古墳を見に行きました。メスリ山古墳を見に行った時、橿原考研の博物館にも行きました。そこには大型の埴輪がありましたが、何だか見たことある形だな、と思っ...

  10. 岩戸山古墳と江田船山古墳の祭祀線から倭王を解く - 地図を楽しむ・古代史の謎

    岩戸山古墳と江田船山古墳の祭祀線から倭王を解く

    岩戸山古墳と江田船山古墳の祭祀線から倭王を解く倭王は畿内の人ではありません。それは、祭祀線を引けば分かります。では、皆さんがご存じの岩戸山古墳(福岡県八女市)を見ましょうか。上の画像は岩戸山古墳で、右上(東北)に別区と呼ばれる空間があります。黄色のラインは、石人山古墳とつないだラインです。石人山古墳の墳丘と結ぶと、なぜか装飾古墳の弘化谷古墳(円墳・六世紀)が入り込みます。(下の画像)弘化谷古...

  11. 日知り王の国の財力・須玖岡本遺跡の青銅器コンビナート - 地図を楽しむ・古代史の謎

    日知り王の国の財力・須玖岡本遺跡の青銅器コンビナート

    弥生のコンビナート・須玖岡本の経済力は何処へ移動した!?須玖岡本遺跡は、③のところです。弥生のコンビナートとして栄えた須玖岡本遺跡の王族は、あらゆる富を手に入れたことでしょう。ここには、銅矛・銅戈・銅剣・銅鏃・小型銅鐸・銅鏡・ガラス玉の鋳型が出土しています。その繁栄は、古墳時代まで続かなかったのでしょうか。まことに残念なことですが、これらの技術は九州にはとどまらなかったようです。なぜ、そう思...

  12. 祭祀線は弥生時代の福岡から始まった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    祭祀線は弥生時代の福岡から始まった

    祭祀線は弥生時代に 北部九州から始まった祭祀線って、分かりますか?むかしの人が御墓を造る場所を選ぶとき、魂が再生する聖なる場所と考えたところです。そこは、地域の守りの山に抱かれた、清らかな地だったでしょう。そこを見つけるために苦心したでしょう。山頂はめざす土地を探すための目印であり、聖地だったのです。祖先の霊魂を祀ることは、一族の繁栄にもつながると考えられた祖霊信仰と太陽信仰がともに顕...

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