聖徳太子のタグまとめ

聖徳太子」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには聖徳太子に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「聖徳太子」タグの記事(21)

  1. 法隆寺釈迦三尊像の台座の落書きが教えてくれること - 地図を楽しむ・古代史の謎

    法隆寺釈迦三尊像の台座の落書きが教えてくれること

    あまたのなぞに包まれた法隆寺は、ミステリーワールドですね。さて、法隆寺金堂のご本尊と、東の間に安置された薬師如来像の台座のお話です。こちらの二つの台座はたいへん有名です。それで、1994年の法隆寺展でも展示されました。薬師如来像の台座は二段になっていて、上段と下段では製作時期が違うそうです。下段が古いのですが、それは台座の請花(うけばな)反花(かえりばな)の花びらが単弁と複弁で違うから判断さ...

  2. 安堵町花火大会 - duke days

    安堵町花火大会

    なんともええ名前の町ですよね♫安堵町(奈良県)の名前由来聖徳太子が飛鳥の自宅より法隆寺に黒駒に乗って太子道を通われもう少しで法隆寺であるこの地まで辿り着き安堵されたのでそう呼ばれるようになったとか近くの神社境内には、太子が休憩された腰掛石があります2018年8月19日 安堵町花火大会写真をクリックすると大きいサイズでご覧になれます。

  3. 「聖徳太子は阿毎多利思比(北)孤ではない」のテーマで歴史カフェ阿蘇 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    「聖徳太子は阿毎多利思比(北)孤ではない」のテーマで歴...

    聖徳太子は誰もが知っている歴史上の人物なのに、いつどこでどんなことをしたのか、何処に生れて何処に陵墓があるのか、実際のところ何もわかりません。実在を疑う人もいるそうです。確かに、「日出処の天子」として隋に国書をだした阿毎多利思北孤と聖徳太子は、立場や記述に大きなズレがあります。しかも、隋書には「有阿蘇山」と書かれていますから、近畿の人ですか?と、疑われますね。聖徳太子の実在を示すとされる「釈...

  4. 法起寺式と呼ばれる飛鳥時代の寺・法起寺 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    法起寺式と呼ばれる飛鳥時代の寺・法起寺

    斑鳩の三塔は、法隆寺喪五重塔、法輪寺の三重塔、それに法起寺の三重塔です。法輪寺の三重塔は落雷で焼失し再建されました。いずれも聖徳太子と山背大兄にまつわる由来を持つ寺院です。この三寺だけが、塔と金堂が東西に並びます。法起寺式と呼ばれる伽藍様式です。敷地内は静かですが、世界遺産になって、どうでしょうね?明日香も斑鳩も外国の人が一人か、二、三人で歩いています。安全なんですね、日本は。外国では日本人...

  5. 「和をもって尊しとなす」の本当の意味は? - 役員から降格して見えてきたもの

    「和をもって尊しとなす」の本当の意味は?

    聖徳太子が言ったとされる「和をもって尊しとなす」という言葉。うちの社長が良く言う言葉なのだが、好きになれなかった。どことなく・角を立てるな、目立つな・空気を読め、意見するな・協調性を持て、波風立てるなといった、迎合主義的なニオイがするからだ。そもそも、「和」ってなによ?何をもって「和」を定義してるの?辞書で「和」を調べると→穏やか、のどか、仲良くする、争わない仕事においてそんなに重要なことか...

  6. 聖徳太子って何者? - 憂き世忘れ

    聖徳太子って何者?

    かつての一万円札の代名詞、聖徳太子さんが歴史教科書から消えるそうで。私の妄想では、キリスト教関係の人物だと思います。キリスト教は、古代、中国経由で入って来ている気がします。「源氏」を解読したら、紫式部も影響を受けている感ありです。聖徳太子の「未来記」は聖書かなあと思う。コケシやオシラサマもキリスト教っぽい。日本は、世界文化の吹きだまりとなる位置にあります。西から来て、東は太平洋。先がないから...

  7. 聖徳太子あれこれ - in my humble opinion

    聖徳太子あれこれ

    以前書いた通り、HDDの録画消化をしているのだが、今回『歴史秘話ヒストリア』の「聖徳太子の棺」の回を視聴(正確には再見)した。お札で有名な例の聖徳太子像に、太子(『日出処の天子』ファンとしては「厩戸王子」と呼びたくなるが、あえて太子と表記する)が活躍した時代にはなかったはずのもの(足元まで覆う上衣、頭巾、笏)が描かれているというのは以前にどこかで聞いたことはあった。しかし太子が手に持っている...

  8. 三重塔 - ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

    三重塔

    陽を浴びる鶴林寺の三重塔

  9. 飛鳥の明日香と呼ばれた霊魂の地が二ヵ所ある理由 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    飛鳥の明日香と呼ばれた霊魂の地が二ヵ所ある理由

    飛鳥はいつからアスカと呼ばれたのか(藤原宮から天香具山)和銅三年、「飛鳥の明日香の里を置きていなば」と別れを惜しみ、元明天皇は明日香を去りました。和銅三年(710)には、[飛鳥(とぶとり)の明日香]という言葉が定着していたのですね。しかし、古事記(712年撰上)・日本書紀(720年撰進)では、アスカは「飛鳥」で統一されてます。712年頃までに「飛鳥」は、「とぶとり」ではなく「アスカ」に変わっ...

  10. 天智九年法隆寺炎上・誰が火をつけたのか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    天智九年法隆寺炎上・誰が火をつけたのか

    天智九年法隆寺炎上・火をつけたのは誰か天智九年(670)夏四月三十日の夜明け、法隆寺は焼失しました。書紀によると、「法隆寺に災(ひつ)けり。一屋ものこること無し。大雨ふり雷鳴る」全焼だったのです。五月に童謡(わざうた)がその意味を語りました。内橋のつめの遊びに出でませ子玉手の家の八重子の刀自出ましの悔いはあらじぞ出でませ子玉手の家の八重子の刀自板を渡した仮橋のたもとの歌垣の遊びに出ておいでな...

  11. 六甲山と瀬織津姫 143  下照姫はアカル姫? - 追跡アマミキヨ

    六甲山と瀬織津姫 143 下照姫はアカル姫?

    玉造稲荷神社境内にある難波玉造資料館。創祀2千年記念事業として、'86年に開館したという。境内の北東に位置している家形埴輪を模した建物がそれ。豊臣の時代には大阪城城内だったため秀頼像も近くに。上古から戦国へ、時空が幾重にも織り込まれている。禰宜さんが恭しく開錠してくれた資料館は、こじんまりした空間に玉作りに関する資料が満載。曲玉作りの工程や工具や、瑪瑙など原石も漏れなく展示。【難波...

  12. 阿弥陀仏の御心を詠まれた聖徳太子の歌 - 仏教フリーク

    阿弥陀仏の御心を詠まれた聖徳太子の歌

    待ちわびてうらむと告げよ皆人の今日も今日とて急がざるらんこの待ちわびておられるのは実は阿弥陀仏。何億年も昔から待ちわびておられる。待ちわびるとは、来るのが遅いから気をもみながら待っている。あなたがなかなか仏法を聞こうと振り向いてくれないので、阿弥陀様は怨んでおられると告げなさいよと。本当は仏様は怨まないけど。人間なら、どうしても聞いてくれないと怨む気持ちとなる。なかなか仏法聞こうとしない。逃...

  13. 六甲山と瀬織津姫 138 聖徳太子〈その8〉 - 追跡アマミキヨ

    六甲山と瀬織津姫 138 聖徳太子〈その8〉

    10/13(金)夜、NHK『歴史秘話ヒストリア』で放送の『聖徳太子の棺 伝説のその先へ』を偶然観て驚いた。数日前に訪れた叡福寺(大阪府南河内郡太子町)を映すVTRに井上あさひアナがいた。(↓テレビ画面を撮影)私が訪れた日の叡福寺(聖徳皇太子磯長御廟)。晴天だったが、町の循環バスから降り立ったのは唯一人。山号でもある磯長山(しながさん)に太子の墓がある。直径50m余の丸い古墳だと↓オンエアで...

  14. 聖徳太子の存在は証明できたのか?ヒストリア - 地図を楽しむ・古代史の謎

    聖徳太子の存在は証明できたのか?ヒストリア

    NHK歴史ヒストリアは、聖徳太子の実在を証明したのか?(最近、教科書ではこの画像を聖徳太子と教えていません)聖徳太子は実在しなかったという説もあります。また、隋書のアメノタリシホコは奈良の聖徳太子ではないという説もあります。だって、日出処天子は男性でその姓は阿毎(アメ)、あざなは多利思北弧(タリシホコ・タリシヒコ)。彼には妻がいて、その号は阿輩鶏弥(アハキミ)です。天子と名乗る以上、それなり...

  15. 六甲山と瀬織津姫 133 聖徳太子〈その3〉 - 追跡アマミキヨ

    六甲山と瀬織津姫 133 聖徳太子〈その3〉

    『日本書紀』に記されず、『随書』倭国伝に「倭王」とある阿毎多利思比孤(アメノタリシヒコ)とは誰?について諸説紛々とするなか、断然に多いのが、用明天皇、その皇子・聖徳太子、蘇我馬子、の三説。私も推古天皇の摂政だった聖徳太子だろうと考える。語り部も「聖徳太子の名は、阿毎多利思比孤から四文字頂いた」(天降りした皇子の意味)と言うので同意見か。私がそう思う理由は、改めて読んだ「十七条憲法」だ。冒頭の...

  16. 聖徳太子の墓と似ている飛鳥岩屋山古墳 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    聖徳太子の墓と似ている飛鳥岩屋山古墳

    聖徳太子の陵墓の石室は、飛鳥岩屋山古墳に似るこの夏、飛鳥の岩屋山古墳を訪ねてみました。明日香駅から線路を渡ります。古墳があるのは細い坂道の途中です。道なりに進むと、道標が見えます。線路を渡って、5分ほどで岩屋山古墳に着きます。みごとな切石の石室です。叡福寺の聖徳太子の墳墓の石室もこのようになっているのでしょうか。外観は削平されていて墳丘のかたちははっきりしません。小高い丘陵の途中なので辺りの...

  17. 明治まで石室内を見られた聖徳太子の陵墓 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    明治まで石室内を見られた聖徳太子の陵墓

    上之太子叡福寺の聖徳太子御廟叡福寺に太子の御廟があります。明治の初めの頃までは、この御廟の石室内に入ることができたそうです。御陵内を実検せり。即ち隧道の口を開くれば、大沢清臣の実検記「…御陵内を実検せり。即ち隧道の口を開くればその高さ六尺四寸、広さ6億尺、長さ二丈四尺許にして奥に石室あり。高さ広さ各一丈、長さ一丈八尺許なり。而してしの隧道の左右は大石四枚を以って築並べ蓋うに三石を以ってせり。...

  18. 聖徳太子の陵墓は、三骨一廟 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    聖徳太子の陵墓は、三骨一廟

    聖徳太子が眠るのは叡福寺この夏、叡福寺を訪ねました。磯長山叡福寺は聖徳太子の御墓がある寺院です。「河内国上之太子磯長山叡福寺縁起」には次のようにかかれています。叡福寺は聖徳太子の墓前に営まれた寺院で磯長山と号する。この寺は戦後単立寺院となったが、もとは古義真言宗金剛峯寺の末寺で、所在地であるかっての郡名や地名に因んで石川寺・磯長寺などと称されていた。また、聖徳太子の磯長墓を祭祀守護する性格の...

  19. 聖徳太子のチューター(PART 1) - デンマンの書きたい放題

    聖徳太子のチューター(PART 1)

    聖徳太子のチューター(PART 1)(taishi01.gif)(lotus102c.jpg+spacer.png+himiko82.gif)(himiko22b.gif)デンマンさん。。。、聖徳太子のチューターは女性だったのでござ~♪~ますかァ~?(kato3.gif)いや、違います。。。卑弥子さんを呼び出したついでに、卑弥子さんに似た人を貼り出したまでです。。。深い意味はないのですよ。。...

  20. 太平記を歩く。その46「観音正寺~観音寺城跡(前編)」滋賀県近江八幡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その46「観音正寺~観音寺城跡(前編)」...

    琵琶湖の東岸、滋賀県近江八幡市にある標高433mの繖山(きぬがさやま)にやってきました。この山の山頂付近に観音正寺という大きな寺院があり、その背後には、室町時代から戦国時代にかけて近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城・観音寺城跡があります。 参道入口にある観音正寺全景です。 寺伝によると、推古天皇(第33代天皇)13年(605年)、この地を訪れた聖徳太子のもとに人魚が現れ、「もとは漁師だ...

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