芭蕉の足跡のタグまとめ

芭蕉の足跡」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには芭蕉の足跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「芭蕉の足跡」タグの記事(13)

  1. 黒岩虚空蔵堂~満願寺④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    黒岩虚空蔵堂~満願寺④

    前回まで、福島の伊達氏ゆかりの満願寺という見え方とのかかわりで、近くの寺々の移動情報を確認してみた。すると、その寺院の移動再建には上杉氏の家臣団のかかわりが強く感じられるようになった。実際の黒岩虚空蔵堂・満願寺散策では、たくさんの上杉氏の家臣団がかかわることを沢山目にしていたのだが、強く意識することはなかった。それが、これらの情報と接することで深く意識できるようになってきているように思える。...

  2. 更にもう一つの奥の細道⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑫

    手持ちの信夫の里散策資料では、一具氏が文政2年(1819)から4年間西裏の大円寺住僧だったという情報しかない。だからといって、全く手掛かりがないという事でもない。というのは、この方が浄土宗名越派奥州総本山專称寺で修行された方ということが分かっているからだ。信達地方には、この浄土宗名越派の庵が相当存在し、地域の人々の心に浸透していたという話を整理している。その概要を「蓮光寺への立ち寄り~地域の...

  3. 更にもう一つの奥の細道⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑪

    文政2年(1819)から4年間西裏の大円寺住僧一具氏は、磐城山崎村の専称寺で修行を重ね、天明の大飢餓(1781~1788)の時期に村山市楯岡の儀徳山本覚寺で得度をしているという。專称寺はそのころ、浄土宗の奥州総本山、そして同宗名越(なごえ)派の檀林(大学)だった。東北各地からやって来た修行僧が、寮舎で寝起きしながら勉強したという。名越派の特徴としては一念業成を説くことであり、いわば一念の念仏...

  4. 更にもう一つの奥の細道⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑩

    一具氏が強い影響を受けたという松窓乙二氏がどんな方かを確認している。その方がお住まいだったという白石の修験「千手院」は、現在存在しない。一具氏も出入りしていたであろう、その「千手院」のあった位置位は確認したいところだ。いろいろ探り初めの頃は、ヒントの情報として「白石城の鬼門である北東に位置」とあることと、その街道筋に亘理医院があったので、こちらかなと思っていた。しかし、確認を進めていくと、現...

  5. 更にもう一つの奥の細道⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑨

    「更にもう一つの奥の細道⑦」で、「子規手製俳句カルタ」に乙二氏の句も「乙二凍るぞといふ声わびし草履の緒」として紹介されていることについてふれた。これは、「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められる「子規手製俳句カルタ」の乙二氏のその句の札だ。一具氏は松窓乙二氏の門人という関係性がある。それで、今回は、その松窓乙二氏について少し確認しておこうかなと思う。松窓乙二氏は、蕉風俳句を受け継ぐ「...

  6. 更にもう一つの奥の細道⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑧

    後に正岡子規氏は、蕉風俳諧を月並み俳諧文学的と攻撃されることになる。「はて知らずの記」の子規氏が郡山あたりで、その前兆的な兆しをみせている。正岡子規氏が瑞巌寺を訪れるのは、その後の流れだ。それで、正岡子規氏の一具氏評を確認しているところだ。前回は、「子規手製俳句カルタ」で正岡子規氏の一具氏評価を推定した。他に正岡子規氏の一具氏評価の推定ができそうなのが、「獺祭書屋俳話」かかわりだ。獺祭書屋主...

  7. 更にもう一つの奥の細道⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑦

    正岡子規氏が瑞巌寺を詣でた際には、乙二氏の句を「独り卓然たるを覚ゆ」として、一具氏についてはふれていない。しかし、「俳句歌留多」などの情報と照らし合わせると、乙二氏同様俳人として高く評価しているらしいことが分かる。「『子規居士真筆俳句歌留多帖』考(復本一郎)」をガイダンスにして、を確認する。「国立国会図書館デジタルコレクション」に収められる「子規手製俳句カルタ」の原本は10月18日~12月2...

  8. 更にもう一つの奥の細道⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道⑥

    「奥の細道」の芭蕉を追う「はて知らずの記」の正岡子規も仙台にやってきた事については先の「仙台散歩」でふれている。「仙台散歩⑭~「芭蕉の辻」⑤~「もう一つの奥の細道」とかかわって」と「仙台散歩⑯~「芭蕉の辻」⑦~「もう一つの奥の細道」とかかわって③」では、「奥の細道」の芭蕉を追う正岡子規について確認した。〇「仙台散歩⑭~『芭蕉の辻』⑤~『もう一つの奥の細道』とかかわって」http://kaze...

  9. 更にもう一つの奥の細道④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道④

    文政2年(1819)から4年間大円寺住僧の一具氏にかかわる情報を確認していくと、瑞巌寺の「芭蕉翁奧の細道松島の文」の碑もかかわりある事が分かる。瑞巌寺には何度も出かけているし、境内に巌窟や石仏、それに多くの碑が並んでいることは知ってる。ただ、これらを今まで意識的な見方をしたことはなかった。瑞巌寺の案内板の最後に、この碑について以下のようにふれている。「瑞巌寺境内の嘉永4年(1851)建立の「...

  10. 更にもう一つの奥の細道④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道④

    奥州街道の西側の通りが、寺町通りで寺々が並んでいる。その寺町通りの別名が西裡通りだ。一具氏が住僧だったという幕末の大円寺を、案内では「西裏時代」と表現しているが、その「西裏」は、その西裡通りを指している。この通りには、現在も南から常光寺、真浄寺、誓願寺・安善寺・東安寺が並んでいる。その時代には、安善寺と東安寺の間に大円寺と常福寺があったということだ。この二つの寺は、明治14年(1881)の甚...

  11. 更にもう一つの奥の細道③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道③

    案内板の説明に「西裏時代」にあったという「大円寺境内は国際パール敷地である」とある。今はその国際パールはないが、国際何とかという映画館があった辺りに心当たりはある。その場所がこの辺りだ。映画館の情報を探ると、昭和62年(1987)9月にフォーラム進出と入れ替わり、国際3館が閉館したとのことだ。確か、半分が名画座で半分が成人映画だったように思うが定かではない。駅前通りから北に入った辺りにも国際...

  12. 更にもう一つの奥の細道② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道②

    境内には、たくさんの俳人の墓碑についての案内板が建っている。その案内板に交じって、大円寺の概要を説明する案内板があった。この後半に、今回確認しようとしていた楯岡の俳人一具氏にふれている箇所があった。「西裏時代に、文政2年(1819)から4年間、住僧だった一具は俳人として知られ、この地方だけでなく、江戸俳壇の重鎮として活躍したのは有名である」一具氏がかかわる大円寺かどうかは曖昧だったのだが、そ...

  13. 更にもう一つの奥の細道 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    更にもう一つの奥の細道

    信夫山の大円寺を訪ねてみたのは、蕉風俳諧の影響を受けた楯岡の俳人一具氏が「福島の大円寺住職」だったとの情報を得たからだ。「福島の」と冠がついた時には、福島県を指す場合と信夫の里の福島を指す場合がある。大円寺の場合、信夫の里の福島大円寺はいわきの大円寺の末寺とのことであるのでややこしい。そこは分からないままにとりあえず来てみたということだ。楯岡の俳人一具氏を知ったのは、高子の熊阪氏にかかわる散...

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