藤原仲麻呂のタグまとめ

藤原仲麻呂」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには藤原仲麻呂に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「藤原仲麻呂」タグの記事(4)

  1. 203藤原仲麻呂、琵琶湖畔に死す - 地図を楽しむ・古代史の謎

    203藤原仲麻呂、琵琶湖畔に死す

    203藤原仲麻呂の最後琵琶湖;風がない日は穏やかです。古代には、嵐ともなれば波が立ち小さな船では対岸に渡れなかったでしょう。藤原仲麻呂は家族と共に逃れようとして、琵琶湖を渡り切れませんでした。仲麻呂は光明皇后の甥でしたが、罪人として家族ともども湖岸に絶命しました。そのお話です。万葉集に残された藤原仲麻呂の歌は二首(4242・4487)です。既に紹介しています。4242天雲の去(ゆき)還(かへ...

  2. 202藤原仲麻呂暗殺計画 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    202藤原仲麻呂暗殺計画

    202藤原恵美押勝仲麻呂暗殺計画・陰謀の果てに 藤原仲麻呂は、身内からも嫌われたようです。仲麻呂暗殺計画を練ったのは、藤原北家の藤原良継でした。それが、今日のお話です。藤原仲麻呂の権力へ執着、そして強引なやり口への反発と不満は、有力氏族のみならず同族内にも根深くありました。中でも、北家の人々は不満でした。藤原宇合(うまかい)(北家)の子の藤原広嗣(ひろつぐ)が起こした乱により北家の人は長く不...

  3. 201大伴家持が見た奈良麻呂の謀反事件 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    201大伴家持が見た奈良麻呂の謀反事件

    201大伴家持が見た橘奈良麻呂の謀反事件橘宿祢奈良麻呂の謀反発覚は、長屋王事件と同じくらい世間を驚かせました。四百人以上の処罰者を出し、有力者が杖下に刑死したからです。同時に、「とうとうこの日が来た」と世間は思ったでしょう。大伴宿祢家持は、この日を予感していました。だから、家持は先手を打ち連座を免れたのでした。天平勝宝八年(756)聖武太上天皇崩御。遺詔により道(ふな)祖(ど)王立太子聖武太...

  4. 200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    200大仏開眼会と孝謙天皇の孤独

    200東大寺大仏開眼会の影にスキャンダル今度は、孝謙天皇(阿倍内親王)の話です。孝謙天皇は、聖武天皇と光明皇后の娘です。藤原宮子が文武天皇の夫人となり、妹の光明子が聖武天皇の夫人となりましたので、阿倍内親王は藤原氏が実権を握った時に生まれたのです。光明子の生んだ男子(基王)が1歳で死亡しましたので、阿倍内親王の他に藤原氏系の皇位継承者はいません。藤原氏としては、阿倍内親王を皇太子に立てるほか...

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