西郷隆盛のタグまとめ

西郷隆盛」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには西郷隆盛に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「西郷隆盛」タグの記事(28)

  1. 西郷どん 第24話「地の果てにて」 ~徳之島、沖永良部島への流島~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第24話「地の果てにて」 ~徳之島、沖永良部...

     文久2年(1862年)4月、国父・島津久光の命に背いたことで捕縛されて国元に護送された西郷吉之助(隆盛)と村田新八は、すぐさま流島処分が言い渡され、同年7月、西郷は徳之島へ、村田は喜界島へとそれぞれ流されます。このときのことを西郷は、同年8月20日付で奄美大島に住む木場伝内に宛てた書簡のなかで、「三十日も我家に在らずして又遠島と申すは、誠に稀成るものに御座候」と嘆いています。わずか半年ほど...

  2. 西郷どん 第23話「寺田屋騒動」 その1 ~大久保の刺し違えんとするエピソード~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第23話「寺田屋騒動」 その1 ~大久保の刺...

     島津久光の東上に先立って鹿児島を発った西郷吉之助(隆盛)と村田新八でしたが、下関で福岡脱藩浪士の平野國臣らから上方で尊王攘夷派の挙兵計画があることを聞き、その中に薩摩藩士が含まれていることを知ると、西郷は彼らを鎮めるために矢も盾もたまらず下関を発って上方へ向かいます。しかし、西郷は鹿児島を発つ際、久光より下関で待機せよとの指示を受けていました。したがって、西郷のこの無断上坂は君命を無視した...

  3. 幕末京都逍遥 その75 「吉田屋跡(立命館草創の地)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その75 「吉田屋跡(立命館草創の地)」

    かつて「三本木」という花街にあった料亭「吉田屋」跡を訪れました。幕末、吉田屋は尊攘派の志士たちの密会の場として頻繁に利用されており、桂小五郎(木戸孝允)の愛妾だった芸姑・幾松が芸妓時代を過ごしていたのもこの吉田屋だったといいます。新選組に追われていた桂を幾松が匿ったという有名なエピソードも、ここ吉田屋が舞台だったといわれています。 また、慶応3年6月22日(1867年7月23日)、薩摩藩の西...

  4. 西郷どん 第22話「偉大な兄 地ごろな弟」 ~地ゴロ発言~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第22話「偉大な兄 地ごろな弟」 ~地ゴロ発言~

     西郷吉之助(隆盛)が奄美大島より召喚された最大の理由は、かつて西郷がリーダー格だった誠忠組が藩権力を掌握し、これから中央政局に乗り出していこうとするなかで、諸藩の志士や朝廷に名の売れた西郷に国事周旋を補佐させるためでした。ところが、帰藩した西郷は、誠忠組が推進してきた島津久光を担いで東上するという計画に真っ向から反対します。その理由は、久光は国父といえども藩主になった経験がなく、そのため、...

  5. 幕末京都逍遥 その72 「大久保利通邸跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その72 「大久保利通邸跡」

    京都御苑の東側、「その64」で紹介した清浄華院のすぐ北側に、かつて大久保利通が京で暮らしていた邸がありました。現在、その場所には、「大久保利通旧邸」と刻まれた石碑が建ちます。 盟友・西郷隆盛は幕末の初期段階から主君の島津斉彬の手足となって京に江戸にと奔走していましたが、大久保は薩摩藩領内から外に出る機会に恵まれず、はじめて京に上ったのは、文久2年(1862年)に島津久光が公武周旋のために京に...

  6. 西郷どん 第21話「別れの唄」 ~国父・久光政権誕生と西郷の召喚~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第21話「別れの唄」 ~国父・久光政権誕生と...

     物語が一気に2年ほど経過したため、その間の薩摩藩内の動きを簡単に解説します。安政7年3月3日(1860年3月24日)に桜田門外の変が起きると、大久保正助(一蔵・利通)は藩主の父・島津久光に出兵を進言します。というのも、前話の稿で述べたとおり、大久保たち誠忠組はその突出計画を中止する条件として、ひとたび中央で国家の一大事が発生すれば、直ちに全藩あげて国事活動に乗り出すとの約束を取り付けていた...

  7. 西郷どん 第20話「正助の黒い石」 ~誠忠組突出計画と諭告書~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第20話「正助の黒い石」 ~誠忠組突出計画と...

     今回は大久保正助(利通)が中心の話でしたね。わたしはかねてから、無理に主人公を話に絡めないでも、話の流れ的に主人公が出ない回があってもいいのではないかと言い続けてきましたが、今回はまさしく、それに当てはまる回でした。主人公である西郷吉之助(隆盛)は最初と最後に少し登場しただけ。でも、箸休めの回ではなく、重要な史実ベースの回。このチャレンジは、わたしは良かったと思います。 安政の大獄の嵐が吹...

  8. 西郷どん 第19話「愛加那」 ~奄美大島に対する苛政~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第19話「愛加那」 ~奄美大島に対する苛政~

     奄美大島に流された当初の西郷吉之助(隆盛)は、島の生活に馴染めず苛立ちと戸惑いに満ちた日々を送っていたようで、島民に対してもあまり良い感情を抱いていなかったようですが、一方で、島民に対する薩摩藩の不当な処遇を目の当たりにし、義憤を覚えるようになります。西郷が本土の大久保利通と税所篤に宛てた安政6年2月13日(1859年3月17日)付の書簡には、次のように記されています。 「何方においても苛...

  9. 西郷隆盛・書(掛け軸) - 軍装品・アンティーク・雑貨 展示館

    西郷隆盛・書(掛け軸)

    西郷隆盛の書であるとのことです。掛け軸ですが、火災か何かで一部焼けております。「藤原隆盛」の落款が有ります。隆盛は明治2~3年ころ、落款に「藤原隆盛」を使用していたとのことです。「南州」の署名もありますので西郷隆盛であるとのことです。軸装、紙質からかなり古いものと思われます。但し真贋は不明ですので、ご了承の上お求めください。幅69センチ、長さ184センチ。2007年に朝日新聞で西郷隆盛の書が...

  10. 幕末京都逍遥 その56 「清水谷家の椋(京都御苑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その56 「清水谷家の椋(京都御苑)」

    前稿で紹介した蛤御門を潜って100mほど東へ進んだ御所の南西の角のあたりに、「清水谷家の椋」と呼ばれるムクノキの巨樹があります。元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)の際、長州藩の豪傑・来島又兵衛が、この木の下で自刃したと伝えられます。 「清水谷家の椋」という名称は、この木のあたりに公家の清水谷家の屋敷があったことに由来します。幹周は約4mあり、樹齢約300年...

  11. 幕末京都逍遥 その55 「蛤御門(京都御苑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その55 「蛤御門(京都御苑)」

    京都御苑の外郭九門のひとつである「蛤御門」にやってきました。元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」の際、最も激戦地となった門として知られ、同変のことを「蛤御門の変」とも呼ばれることで周知の場所です。 「蛤御門」の名称の由来は、御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて、「蛤御門」と呼...

  12. 西郷どん 第18話「流人 菊池源吾」 ~奄美大島流島~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第18話「流人 菊池源吾」 ~奄美大島流島~

     安政5年11月16日(1858年12月20日)未明、護送中の船から錦江湾に身を投げた西郷吉之助(隆盛)と月照でしたが、その後、海中から引き揚げられたふたりのうち、月照だけが命を落とし、西郷は奇跡的に蘇生する結果となりました。息を吹き返した西郷は、その後、数日間にわたって何度も海水を吐き出し、回復に1か月近くかかったといいます。このとき意識のない西郷の枕頭で看病にあたったのが、同志の税所喜三...

  13. 幕末京都逍遥 その52 「金蔵寺跡(坂本龍馬・お龍内祝言の地跡)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その52 「金蔵寺跡(坂本龍馬・お龍内祝...

    前稿で紹介した土佐藩士たちの隠れ家で、元治元年(1864年)5月頃に出会った坂本龍馬とお龍は、同年8月初旬に青蓮院塔頭金蔵寺で祝言を挙げます。現在、金蔵寺のあった場所には、「坂本龍馬 お龍 結婚式場跡」と刻まれた石碑が建ちます。 後年のお龍の回顧録によると、2人の出会いは、龍馬の一目惚れにはじまったそうです。そして、龍馬はお龍の母・貞にお龍を妻にしたいと申し入れ、出会って3ヵ月のスピード結婚...

  14. 西郷どん 第17話「西郷入水」 ~斉彬死後の藩論の転換~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第17話「西郷入水」 ~斉彬死後の藩論の転換~

     幕府大老・井伊直弼による安政の大獄がはじまった安政5年(1858年)9月、西郷吉之助(隆盛)は清水寺塔頭・成就院の住職・月照を匿うべく鹿児島の地に戻ります。しかし、そこで待ち受けていたのは、藩論の転換に伴う冷たい仕打ちでした。  前藩主・島津斉彬の死後、次期藩主には弟の島津久光の長男・忠義が就くことになりました。ドラマでは、斉彬が忠義を指名していましたが、記録によると、斉彬は当初、久光を次...

  15. 西郷どん 第16話「斉彬の遺言」 ~戊午の密勅~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第16話「斉彬の遺言」 ~戊午の密勅~

     西郷吉之助(隆盛)が主君・島津斉彬の急死を知ったのは、安政5年7月27日(1858年9月4日)頃、場所はおそらく京都の西郷たちの定宿・鍵直旅館だったと思われます。その報せは、まさに青天の霹靂、西郷にとっては人生最大の衝撃だったであろうことは想像に難しくありません。作家・海音寺潮五郎の言葉を借りると、西郷にとって斉彬は主君であり、恩師であり、慈父であり、神でした。報せを受けた西郷は、すぐさま...

  16. 幕末京都逍遥 その44 「西郷隆盛寓居跡(鍵直旅館跡)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その44 「西郷隆盛寓居跡(鍵直旅館跡)」

    前稿で紹介した薩摩藩錦小路邸跡の石碑から200mほど東のあたりに、かつて西郷隆盛の定宿だった鍵直旅館がありました。現在、その跡地には石碑などの類は何もなく、そこにそんな歴史があることはほとんど知られていません。 安政5年7月16日(1858年8月24日)、京都に入った西郷隆盛は、吉井友実とともに定宿鍵屋直助方に滞在しました。その同じ日、大坂では西郷の主君であり師でもある島津斉彬が急逝します。...

  17. 幕末京都逍遥 その43 「薩摩藩錦小路邸跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その43 「薩摩藩錦小路邸跡」

    河原町通から700mほど西の烏丸通附近にやってきました。まず紹介するのは、薩摩藩錦小路邸跡です。薩摩屋敷といえば、いまの同志社大学の敷地にあった二本松藩邸が有名ですが、あちらが設けられたのは文久3年(1863年)のことで、それまでは、ここ錦小路にあった屋敷が薩摩藩の主な拠点でした。現在、大丸百貨店の西側に、石碑のみが建ちます。 現地説明板によると、この場所に大名の屋敷が設けられたのは16世紀...

  18. 西郷どん 第15話「殿の死」 ~井伊直弼の大老就任と島津斉彬の死~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第15話「殿の死」 ~井伊直弼の大老就任と島...

     安政5年4月23日(1858年6月4日)、彦根藩主の井伊直弼が幕府大老職に就任します。そのきかっけは、孝明天皇(第121代天皇)からの条約勅許獲得に失敗した堀田正睦が4月21日に江戸に戻り、第14代将軍・徳川家定に報告した際、堀田は松平春嶽を大老に就けてこの先対処したいと家定に述べたところ、家定は「家柄からも人物からも大老は井伊直弼しかいない」と言ったため、急遽、話が決まったといいます。 ...

  19. 『西郷どん』西郷隆盛はどんな人?ある歴史家の著書を読んで - in my humble opinion

    『西郷どん』西郷隆盛はどんな人?ある歴史家の著書を読んで

    『黒井戸殺し』とか「日美」に荒木飛呂彦センセが出演されたこととか触れたい話題はいろいろとあるのだけれども、それらについては別の機会に譲るとして…15日に放送された「磯田道史と聞く桃太郎と吉備とヤマト政権」というローカル民放番組(RSK)を見た。銘菓きびだんごで知られる製菓会社主催のトークイベントの録画放送。ていうかこういうイベントが3月末に開催されたのも知らなかったんだけど。おかしいなぁ、結...

  20. 西郷どん 第14話「慶喜の本気」 ~橋本左内と西郷隆盛~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん 第14話「慶喜の本気」 ~橋本左内と西郷隆盛~

     安政4年6月17日(1857年8月6日)、将軍継嗣問題における一橋派の急先鋒だった主席老中の阿部正弘が急死します。これにより、一橋派は勢いを失うかに思えましたが、しかし、世情はそれを許しませんでした。というのも、あの黒船来航時に締結した日米和親条約の規定に基づいて前年に駐日総領事に着任していたタウンゼント・ハリスが、通商条約の締結とアメリカ国大統領の親書を将軍に直接手渡すことを、執拗に幕府...

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