西郷隆盛のタグまとめ

西郷隆盛」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには西郷隆盛に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「西郷隆盛」タグの記事(90)

  1. 西郷隆盛像 - My Palpitation

    西郷隆盛像

    西郷愛に溢れた鹿児島でした。霧島市鹿児島空港そばの西郷さん。鹿児島市内にいる西郷さん。鹿児島出身の彫刻家渋谷の忠犬ハチ公の制作者でもある安藤照が8年かけて制作したそうです。第三回プラチナブロガーコンテストを開催!写真部門

  2. 西郷どん第44話「士族たちの動乱」その3~私学校の創設~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第44話「士族たちの動乱」その3~私学校の創設~

    昨日の続きです。明治6年の政変によって西郷隆盛は下野し、明治6年(1873年)11月10日に鹿児島に帰郷しますが、このとき、西郷に追従するかたちで多くの官僚、軍人が辞職しました。その人数は、鹿児島県だけでも数百名に及んだといいます。代表的なところでは、桐野利秋、篠原国幹、淵辺群平、別府晋介、河野主一郎、辺見十郎太などで、彼らは、朝命で東京に残るよう命令されていたにも関わらず、それを無視して西...

  3. 西郷どん第44話「士族たちの動乱」その2~佐賀の乱~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第44話「士族たちの動乱」その2~佐賀の乱~

    昨日の続きです。新政府に対する不平士族たちの反乱の狼煙は、まず九州の佐賀において上がります。佐賀は、いわゆる「薩長土肥」の一角として維新政府に人材を輩出していましたが、その実は薩長主導のもとその風下に立たされており、佐賀人はその憤懣を募らせていました。そんな背景のなか、明治6年の政変によって、江藤新平、副島種臣が政府からはじき出されたことが導火線となり、明治7年(1876年)2月1日、300...

  4. 幕末京都逍遥その167「臥雲山即宗院」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その167「臥雲山即宗院」

    「その164」で紹介した東福寺の塔頭のひとつである臥雲山即宗院は、薩摩藩ゆかりの寺院として知られています。 即宗院は、南北朝時代の元中4年(1387年)に薩摩国の守護大名だった6代目・島津氏久の菩提を弔うため創建されました。その後、永禄12年(1569年)に火災で焼失しますが、慶長18年(1613年)、島津家久よって再興され、以来、薩摩藩の畿内菩提所となりました。 即宗院が建立される以前は、...

  5. 西郷どん第43話「さらば、東京」その4~明治6年の政変<西郷と大久保の決別>~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第43話「さらば、東京」その4~明治6年の政変...

    昨日の続きです。辞表を提出した西郷隆盛は、まもなく日本橋小網町にあった家を引き払い、隅田川の枕橋近くにあった越後屋喜右衛門の別荘に身を隠しました。越後屋喜右衛門は旧徳川時代に庄内藩御用達だった人物で、その縁で、この当時西郷家の面倒をみていました。西郷はここに数日間滞在し、釣りや詩作、揮毫などをして過ごしたと言われています。西郷は東京を去ることを決意し、あるいは最後になるかもしれない東京での生...

  6. 西郷どん第43話「さらば、東京」その3~明治6年の政変<政局の結末>~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第43話「さらば、東京」その3~明治6年の政変...

    昨日の続きです。ドラマでは閣議は1日で終わっていたかのようでしたが、実際には10月14日の閣議では結論に至らず、翌15日、改めて閣議が開かれました。しかし、通説では、この日、西郷隆盛は閣議を欠席したといいます。その理由は、自身の言い分は前日の閣議ですべて吐き尽くしたと判断し、採否は太政大臣をはじめとする他のメンバーに委ねたのではないかと言われています。この欠席が、西郷にとって功を奏することに...

  7. 上野の3153(西郷さん)と不忍池。 - 馬耳Tong Poo

    上野の3153(西郷さん)と不忍池。

    上野駅周辺をそぞろ歩く。腹ごしらえに駅構内のパン屋でイートイン。「パンダのあんパン」は店の人気商品だそうな。不忍口に面する飲食店ビル「UENO 3153」(西郷さん)。上野清水堂。錦絵で有名な「月の松」があるとか。上野清水観音堂。京都の清水観音堂がモデル。寛永8年(1631)天海大僧正により建立された。犬連れた西郷隆盛像。顔でかっ。

  8. 幕末京都逍遥その163「東寺」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その163「東寺」

    舞台は洛中に戻って、世界遺産に指定されている東寺にやってきました。ここは、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍の本陣が布かれた場所です。 周知のとおり、鳥羽・伏見の戦いの勝敗を決定づけたのは、新政府軍が掲げた「錦の御旗」だったといわれています。このとき征討大将軍として新政府軍の大将だった仁和寺宮嘉彰親王(後の小松宮彰仁親王)は、戦いが始まって2日目の1月...

  9. 西郷どん第42話「両雄激突」その2~征韓論~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第42話「両雄激突」その2~征韓論~

    昨日のつづきです。話はいよいよ「征韓論」の政争に突入しました。「征韓論」とは、読んで字のごとく、お隣の朝鮮に出兵して征服する、あるいは、武力を後ろ盾に政治体制の変革を迫るという主張です。このときより遡ること約20年前、日本も米国ペリー艦隊の来航によって開国を迫られ、それをきっかけに幕末の動乱がはじまり、長く続いた封建国家体制が崩れ、近代国家を目指すべく明治政府が樹立されましたが、今度は、その...

  10. 上野寛永寺・輪王殿。 - 馬耳Tong Poo

    上野寛永寺・輪王殿。

    所要で上野へ行ったついでに立ち寄った。徳川将軍家の菩提寺として、1625(寛永2)年天海僧正によって創建された。慶応4年5月15日(1868年7月4日)、官軍と彰義隊との上野戦争の舞台となる。

  11. 西郷どん第41話「新しき国へ」その2~西郷留守内閣~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第41話「新しき国へ」その2~西郷留守内閣~

    昨日の続きです。岩倉使節団の帰国まで極力新しい改正には手を付けないとの約定を交わして発足した留守政府でしたが、実際問題、廃藩置県施行後の大変革期に、何もせずに待つというわけにはいきませんでした。使節団の洋行が予定より大幅に長引いたということもありましたが、結局、使節団が留守にしていた2年弱のあいだに、近代化に向けての改革が相次いで施行されることになります。 留守内閣が手を付けた主な改革だけを...

  12. 西郷どん第41話「新しき国へ」その1~岩倉使節団~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第41話「新しき国へ」その1~岩倉使節団~

    廃藩置県の改革が大きな反動を見ることなく施行されると、それから3ヵ月足らずの明治4年10月8日(1871年11月20日)、明治新政府は右大臣兼外務卿の岩倉具視を特命全権大使とする使節団を欧米に派遣するという策を決定します。いわゆる「岩倉使節団」ですね。そのメンバーは、副使に任命された木戸孝允(参議)、同じく副使となった新政府の事実上の首相である大久保利通(大蔵卿)、同伊藤博文(工部大輔)、同...

  13. 西郷どん第40話「波乱の新政府」~廃藩置県~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第40話「波乱の新政府」~廃藩置県~

    明治4年(1871年)7月14日、明治政府によって廃藩置県の詔が発令され、すべての藩が廃止されます。同時に、知藩事に任命されていた旧藩主たちすべても解任されて東京に集められ、代わって政府が選んだ適任者が、県令(現在の県知事)として配置されました。ここで、版籍奉還から廃藩置県の流れについてふれておきます。明治政府は、幕藩体制下の封建制から近代的な中央集権国家をつくるため、支配していた土地(版)...

  14. 西郷どん第39話「父、西郷隆盛」その1~西郷の帰郷~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第39話「父、西郷隆盛」その1~西郷の帰郷~

    明治元年10月13日(1868年11月26日)に奥羽から東京へ凱旋した西郷隆盛は、新政府の面々の引き止めを振り切って鹿児島に帰郷しました。翌年5月には函館五稜郭の鎮圧のために出征しますが、その後も、新政府入りを頑なに拒み、鹿児島に帰ります。このとき、西郷は維新風雲の志士のなかで、藩主、公卿以外の一藩士としては最も高い永世2000石の賞典禄を賜り、正三位に叙せられました。名実ともに維新最大の...

  15. 幕末京都逍遥その152「城南宮」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その152「城南宮」

    「その150」で紹介した小枝橋から300mほど東にある城南宮は、慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった鳥羽・伏見の戦いの際、薩摩軍が陣を布いた場所です。 鳥羽街道を北上してきた旧幕府軍に対して、薩摩藩を中心とする新政府軍は、ここ城南宮から小枝橋方面に東西に長い陣を布いて北上軍への備えとしました。境内には、鳥羽・伏見の戦いを説明する駒札が建てられています。この大鳥居からの参道に、薩...

  16. 西郷どん第38話「傷だらけの維新」~西郷吉二郎の戦死~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第38話「傷だらけの維新」~西郷吉二郎の戦死~

    上野の彰義隊をわずか一日で討伐し、不完全ながらも江戸の街を鎮圧した西郷吉之助(隆盛)は、慶応4年5月28日(1968年7月17日)に京都に向かうべく江戸を発ちます。これは、新政府軍に抵抗の姿勢を示していた会津藩をはじめとする東北諸藩の対応策を協議するためでした。そこで新政府軍の兵力強化の必要性を感じた西郷は、国元からの援軍を得るためため、6月9日、藩主・島津忠義とともに京都を発ち、鹿児島に向...

  17. 幕末京都逍遥その142「寺田屋殉難九烈士之墓(大黒寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その142「寺田屋殉難九烈士之墓(大黒寺)」

    「その137」で紹介した文久2年4月23日(1862年5月21日)の寺田屋事件で命を落とした薩摩藩士9名の墓が、寺田屋から700mほど北上した場所にある大黒寺にあります。 かつて大黒寺の近くに伏見薩摩藩邸があり、薩摩藩主・島津家の守り本尊「出生大黒天」と同じ大黒天が祀られていたことから、江戸時代のはじめ、薩摩藩の祈願所と定められました。その縁から、寺田屋で落命した9名も、ここに葬られたのでし...

  18. 西郷どん第37話「江戸無血開城」その2~彰義隊と上野戦争~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第37話「江戸無血開城」その2~彰義隊と上野戦争~

    昨日の続きです。勝海舟との会談で慶応4年3月15日(1868年4月8日)に予定していた江戸総攻撃はひとまず中止した西郷吉之助(隆盛)でしたが、徳川慶喜の処遇に関しては、西郷ひとりの判断では決めかねるとして、いったん保留にして朝議にかけるべく京都に持ち帰ります。そして3月20日、二条城において緊急会議が開かれました。メンバーは、三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、広沢真臣、後藤象二郎、そ...

  19. 西郷どん第37話「江戸無血開城」その1~西郷と勝の歴史的会談~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第37話「江戸無血開城」その1~西郷と勝の歴史...

    台風の影響で地上波の放送がなくなっちゃいましたね。こんなこともあろうかと、わたしは18時からのBSを録画して観ました。まだ観てない方もおられると思いますが、フライングして起稿します。 慶応4年3月9日(1868年4月1日)の駿府での山岡鉄舟との膝詰め談判で、徳川慶喜の処遇問題、江戸城の開城、旧幕府方の責任者の処罰、軍艦、武器弾薬の引き渡しなどの条件を提示した東征大総督府下参謀の西郷吉之助(隆...

  20. 幕末京都逍遥その141「坂本龍馬避難の材木小屋跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その141「坂本龍馬避難の材木小屋跡」

    「その138」で紹介した寺田屋で伏見奉行所の捕り方の襲撃を受けた坂本龍馬と三吉慎蔵は、からくも脱出に成功しますが、龍馬は数日前から風邪をひいていて熱があり、また、襲撃時の戦闘によって負傷した指の傷がかなり深く、出血多量による極度の貧血も重なって動けなくなります。やむを得ず、川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、身を潜めました。現在、その材木小屋があったと推定されている場所には、「坂本龍馬、...

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