赤松則祐のタグまとめ

赤松則祐」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには赤松則祐に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「赤松則祐」タグの記事(5)

  1. 太平記を歩く。その153「丹生山城跡・明要寺跡」神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その153「丹生山城跡・明要寺跡」神戸市北区

    「湊川の戦い」で新田義貞が京都へ敗走した後も、神戸北部では義貞の一族・金谷兵庫助経氏が足利軍と奮戦していました。その兵庫助が本陣を布いた場所が、神戸市北区の丹生山山上にあった明要寺でした。明治に入って寺が廃され、丹生神社と改称しました。 6世紀創建といわれる明要寺には、この当時、多くの僧兵がいました。兵庫助はそれらの僧兵を引き連れ、付近の足利方に屈しない近江寺や性海寺、さらには「その36」で...

  2. 太平記を歩く。その81「感状山城跡」兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その81「感状山城跡」兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。 もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により、足...

  3. 太平記を歩く。その79「宝林寺(円心館)」兵庫県赤穂郡上郡町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その79「宝林寺(円心館)」兵庫県赤穂郡上郡町

    松雲寺や赤松居館跡がある赤松から千種川を挟んだ西側の河野原に、宝林寺という寺院があるのですが、ここは、赤松則村(円心)の三男・赤松則祐が、円心の死後、播磨国守護・惣領家を継いだときに建てたといわれています。 もともと宝林寺は円心の生前から、則祐の自領だった備前国新田荘中山に創建されていましたが、惣領を継いだ後の文和4年(1355年)にこの地へ移されたとつたわります。その後、赤松惣領家の氏寺と...

  4. 太平記を歩く。その30「赤松城跡(神戸大学キャンパス内)」神戸市灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その30「赤松城跡(神戸大学キャンパス内...

    神戸市灘区の山の手にある国立神戸大学のキャンパスが、赤松則村(円心)の建てた「赤松城」だったという伝承があります。 『太平記』によると、円心は大塔宮護良親王の令旨を持って都から帰った子・赤松則祐の勧めで、一族に奮起を促し、「当国赤松城に馳せ参ぜしむべし」と伝えたといわれますが、その赤松城というのが、ここ神戸大学の敷地だったとの説です。 明治41年(1908年)の発掘調査で遺構や石垣跡が発見さ...

  5. 太平記を歩く。その29「摩耶山城跡」神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その29「摩耶山城跡」神戸市北区

    神戸市に横たわる六甲山脈のなかで、六甲山の次に標高の高い摩耶山上に、かつて摩耶山城がありました。ここは、元弘3年(1333年)に播磨国の守護大名、赤松則村(円心)によって築かれた城です。 城跡には徒歩でも登れますが、登山に慣れないわたしは摩耶ケーブルで登ります。 摩耶ケーブルの終点「虹の駅」のある一帯が東の曲輪群だそうです。虹の駅からの眺望。神戸港から大阪湾が一望できます。空気が澄んでいたら...

総件数:5 件

似ているタグ