足利尊氏のタグまとめ

足利尊氏」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには足利尊氏に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「足利尊氏」タグの記事(20)

  1. 但馬国守護大名山名氏の本拠、此隅山城登城記。<前編> - 坂の上のサインボード

    但馬国守護大名山名氏の本拠、此隅山城登城記。<前編>

    先日の稿で紹介した有子山城、出石城から3kmほど北上したところに、此隅山城跡があります。此隅山城は但馬国の守護大名・山名氏が有子山城に移る前に拠点としていた城で、有子山城と合わせて「山名氏城跡」として国の史跡に指定されています。 登山口は兵庫県豊岡市出石町にある「いずし古代学習館」の裏側にあります。 説明板と縄張り図です。 登山道は見学者用に整備されているので、進路を迷うようなことはありませ...

  2. 太平記をスピンオフで歩く。その8「兵どもが夢の跡」福岡市東区 - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ

    太平記をスピンオフで歩く。その8「兵どもが夢の跡」福岡市東区

    先日からの続きです。実はすっかり忘れてました。松崎台地に置いて、敵の大軍を目の前にした足利方。自軍はとかえりみれば、寡兵は言うに及ばず、満足な武装すらしていない・・・。「自害する」という主将・足利尊氏を説得し、とりあえず、自害は思いとどまらせたものの、それでも、尊氏を出陣させるまでには至らず、「とりあえず、ここで見ておいてください」で実弟・足利直義、少弐頼尚ら一部の部下だけで出撃。ずらりと対...

  3. 太平記を歩く。その202「等持院」京都市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その202「等持院」京都市北区

    シリーズ200を超えましたが、関西を中心とした『太平記』ゆかりの地は、ほぼ網羅できたんじゃないかと思っています。というわけで、このあたりで、ひとまず一区切りにしようかな・・・と。そこで、その節目を飾るのは、足利将軍家の菩提寺「等持院」です。 ここ等持院は「その158」で紹介した臨済宗天龍寺派の古刹で、室町幕府を開いた足利尊氏が、興国2年/暦応4年(1341年)に「その157」で紹介した洛中の...

  4. 太平記を歩く。その200「光厳天皇髪塔」京都市右京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その200「光厳天皇髪塔」京都市右京区

    光厳天皇(北朝初代天皇)の御陵は前稿で紹介した常照皇寺にあり、「その196」で紹介した天野山金剛寺に遺髪を葬った分骨陵がありますが、「その158」で紹介した嵐山の天龍寺の東側正門前にある金剛院の境内にも、光厳天皇の髪塔があります。 金剛院の境内といっても、嵐山の観光のメインストリート沿いにあるため、お寺の境内といった雰囲気ではありません。 なぜ、この地に光厳天皇の遺髪が葬られたのかは、調べて...

  5. 太平記をスピンオフで歩く。その3「多々良浜合戦」福岡市東区 - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ

    太平記をスピンオフで歩く。その3「多々良浜合戦」福岡市東区

    先日の続きです。足利尊氏が見て、敵のあまりの大軍に絶望したといわれる風景はこの辺だろう・・・と思いつつ、そこを過ぎ、少し先の、台地が一番高くなっている辺りに来てみたところ・・・、見事に、「ビンゴ!」でした。そこは、樹木が繁っていた関係で、あまり、見通しはよくありませんでしたが、ふと見ると、傍らの説明看板(↓)に、「ここです!」の記載が・・・。改めて、傍らの樹木の間から透かしてみると、こんな(...

  6. 太平記をスピンオフで歩く。その2「寒風多々良川」福岡市東区 - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ

    太平記をスピンオフで歩く。その2「寒風多々良川」福岡市東区

    先日の続きです。建武3年(1336年)、後醍醐天皇の建武の新政から離反した足利尊氏は、楠木正成や北畠顕家らと戦って敗れ、再興を期して九州へ落ちていったわけですが、九州では足利方に味方していた肥前国守護の少弐頼尚らに迎えられます。少弐氏はその後の戦国乱世が進行するうちに滅亡したので、今ではあまり知る人も少ないと思いますが、当時は元寇などでも奮戦し、島津、大友と並ぶ、九州御三家大名の一つに数えら...

  7. 太平記を歩く。その188「八幡行宮阯」京都府八幡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その188「八幡行宮阯」京都府八幡市

    京都府八幡市にある八幡行宮跡を訪れました。ここは、正平7年/文和元年(1352年)2月に前稿で紹介した住吉行宮に移った後村上天皇(第97代天皇、南朝第2代天皇)が、その後、さらに京の都を目指して北上した行宮跡と伝わります。 昭和15年(1940年)に建てられたこの石碑は、現在、車道沿いのカーブミラーに隠れてあまり目立ちません。 「観応の擾乱」で幕府内が混乱する最中、足利尊氏は対立する足利直義...

  8. 太平記を歩く。その186「御所八幡宮」京都市中京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その186「御所八幡宮」京都市中京区

    「その157」で紹介した「足利尊氏邸・等持寺跡」から高倉通を50mほど下ったところに、「御所八幡宮」という小さな神社があるのですが、ここも、足利尊氏ゆかりの場所です。 応神天皇(第15代天皇)、その生母の神功皇后、そして比売神の三神を祭神とするここ御所八幡宮は、もとは御池通堺町西南角御所八幡町にあったそうですが、太平洋戦争中に御池通りの強制疎開によってこの地に移転されたそうです。 神社の由緒...

  9. 太平記をスピンオフで歩く。その1「多々良浜古戦場の碑」福岡市東区 - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ

    太平記をスピンオフで歩く。その1「多々良浜古戦場の碑」...

    今、せっかくアップしたのですが、なぜか、消えました。ばかばかしくてやってらんないので、さわりだけ書いてみます。先日、車を修理に出したところ、「完成するまで、3時間ほどどこかで時間を潰してきてくれ」と言われたので、やむなく、周囲の地図を見ていると、「多々良浜古戦場の碑」という文字が。さらに、近くには「兜塚」という文字も見える・・・。すぐ近くには、多々良川という川が流れており、ここで、南北朝時代...

  10. 太平記を歩く。その183「高師直塚」兵庫県伊丹市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その183「高師直塚」兵庫県伊丹市

    西宮市から国道171号線を北東に進んで伊丹市に入ったあたりに、「師直冢」と刻まれた石碑があります。師直とは言うまでもなく、足利尊氏の執事・高師直のことです。「観応の擾乱」における「打出浜の戦い」に破れた尊氏軍は、逃げ込んだ松岡城にて足利直義と和議を結びますが、その条件として、師直を出家させるということになり、師直らが京都に護送される途上、養父を師直に殺された上杉能賢に襲われて殺害されます。 ...

  11. 太平記を歩く。その182「松岡城跡(勝福寺)」神戸市須磨区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その182「松岡城跡(勝福寺)」神戸市須磨区

    正平6年/観応2年(1351年)年2月17日に起きた「打出浜の戦い」に破れた足利尊氏軍は、西へ敗走して松岡城へ逃げ込みます。その松岡城は、神戸市須磨区にある勝福寺付近だったといわれています。 この辺りの住所は大手町といいますから、日本のあちこちにある大手という地名のほとんどがそうであるように、かつて城の正面にあたる場所だった名残だと考えられます。 『太平記』巻29「松岡城周章事」によると、「...

  12. 太平記を歩く。その179「光明寺城(滝野城)跡」加東市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その179「光明寺城(滝野城)跡」加東市

    兵庫県加東市にある光明寺にやってきました。この裏山にかつて光明寺城(別名:滝野城)があり、「観応の擾乱」における「光明寺合戦」の舞台になりました。 足利直義によって派遣された石塔頼房が、中国筋平定のため書写山にいた足利尊氏を討つべく、ここ光明寺に陣を布いて京にいた直義に援軍を求めました。それを知った尊氏は援軍の来る前にうち破ろうと、1万の兵で光明寺を囲みます。正平6年/観応2年(1350年)...

  13. 太平記を歩く。その178「石龕寺」兵庫県丹波市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その178「石龕寺」兵庫県丹波市

    兵庫県丹波市にある石龕寺までやってきました。難しい漢字ですが、石龕寺(せきがんじ)と読みます。ここは、「観応の擾乱」にて敗れた足利尊氏とその嫡子・足利義詮が、一時この地に身を寄せたつ伝わる寺です。 「観応の擾乱」とは、南朝、北朝の争いが続くなかで起きた、足利氏内部での内紛のことをいいます。征夷大将軍に任ぜられ幕府を開いた足利尊氏は執事・高師直とともに、地方武士を取り込み、新体制を樹立しようと...

  14. 太平記を歩く。その129「後醍醐天皇導之稲荷」奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その129「後醍醐天皇導之稲荷」奈良県吉...

    「その127」で紹介した金峯山寺の南側入口の脇に小さなお稲荷さんがあります。 近づいてみると、「後醍醐天皇導之稲荷」と刻まれた石柱が建てられています。「導之稲荷」とはどういう意味か・・・。 説明板によると、延元元年(1336年)12月21日、足利尊氏によって幽閉されていた京の花山院を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、12月28日、ここ吉野山の行宮(仮の宮)に入りますが、その...

  15. 太平記を歩く。その90「楠木正成本陣跡」神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その90「楠木正成本陣跡」神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。 『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。現在は、見晴らしのいい公園になっており、そ...

  16. 太平記を歩く。その81「感状山城跡」兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その81「感状山城跡」兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。 もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により、足...

  17. 太平記を歩く。その68「宝満寺」神戸市長田区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その68「宝満寺」神戸市長田区

    神戸市長田区にある宝満寺を訪れました。打出合戦に敗れた足利尊氏が敗走中にここを訪れ、再起を願い、武運を守るようにと祈願したと伝えられます。 その後、尊氏は兵庫から九州へ敗走しますが、筑紫(福岡県)の多々良浜で菊池武敏軍と戦った多々良浜の戦いのとき、突然、突風が吹き、その中から一人の少年が尊氏の前に現われ、矢竹をほしいと頼んだといいます。尊氏は、その少年に一本の矢竹を与えました。その後、勢力を...

  18. 太平記を歩く。その67「藤之寺(北風家菩提寺)」神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その67「藤之寺(北風家菩提寺)」神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある、藤之寺にやってきました。ここは兵庫津の豪商・北風家の菩提寺として知られますが、その北風家の祖先が、『太平記』に関わっていると知り、ここを訪れました。 伝承によると、建武3年(1336年)2月10・11日の打出合戦に破れた足利尊氏軍が、兵庫津から船で九州に敗走しようとしていたとき、この地に古くから住む豪族・白藤氏の第44代・白藤惟村が、北風を利用して足利軍の船に火をつけ、足...

  19. 太平記を歩く。その66「打出合戦、大楠公戦跡の碑」兵庫県芦屋市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その66「打出合戦、大楠公戦跡の碑」兵庫...

    建武3年(1336年)2月10・11日に起きた、打出合戦の地を訪れました。現在、その跡地である兵庫県芦屋市楠木町には、「大楠公戦跡」と刻まれた巨大な石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちの期待に呼応するかたちで、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に反旗を翻した足利尊氏は、建武2年(1335年)12月11日、攻め寄せた新田義貞軍を箱根竹ノ下で撃破すると、その勢いで、翌年...

  20. 新春の足利。 - 馬耳Tong Poo

    新春の足利。

    正月に足利へ行って来たのでその時の写真をUP。夜の鑁阿(ばんな)寺。真言宗大日派の本山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来を祀る。元々は足利氏の館。鑁阿寺の獅子舞おみくじ。100円入れるとおみくじを引いてくれる。

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