足利尊氏のタグまとめ

足利尊氏」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには足利尊氏に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「足利尊氏」タグの記事(10)

  1. 太平記を歩く。 その129 「後醍醐天皇導之稲荷」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その129 「後醍醐天皇導之稲荷」 奈...

    「その127」で紹介した金峯山寺の南側入口の脇に小さなお稲荷さんがあります。 近づいてみると、「後醍醐天皇導之稲荷」と刻まれた石柱が建てられています。「導之稲荷」とはどういう意味か・・・。 説明板によると、延元元年(1336年)12月21日、足利尊氏によって幽閉されていた京の花山院を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、12月28日、ここ吉野山の行宮(仮の宮)に入りますが、その...

  2. 太平記を歩く。 その124 「花山院邸跡(宗像神社)」 京都市上京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その124 「花山院邸跡(宗像神社)」...

    京都御苑内にある宗像神社を訪れました。ここは、かつて花山院邸があった場所で、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、一時幽閉されていた場所です。 建武の新政が崩壊し、延元元年/建武3年(1336年)10月10日、足利尊氏に降伏した後醍醐天皇は、ここ花山院に幽閉されることになります。ここで天皇は厳しく監視され、これまで従っていた側近たちは引き離され、接触できるのは女房達だけだったといいます...

  3. 太平記を歩く。 その109 「東寺」 京都市南区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その109 「東寺」 京都市南区

    後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が比叡山に入ると、京を占拠した足利尊氏は、はじめ男山八幡に陣を布いて比叡山に総攻撃を仕掛け、その後、延元元年/建武3年6月14日に、ここ東寺に布陣しました。東寺は、世界文化遺産に登録されている京都の顔です。 九条通りに面した正門・南大門です。 そして南大門を潜ると、国宝・金堂が正面に見えます。 金堂は1200年以上前からあったとされますが、現在のものは...

  4. 太平記を歩く。 その101 「真光寺」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その101 「真光寺」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある真光寺を訪れました。一遍上人が中興の開祖として知られる同寺ですが、「湊川の戦い」の戦後、足利尊氏が楠木正成の供養を行ったと伝わる寺でもあります。 正成の首は前稿で紹介した阿弥陀寺の石の上で首実検が行われたあと、京の六条河原に1日だけ晒されますが、その後、尊氏はここ真光寺において正成の大供養会をとりおこない、首は正成の本拠地である河内の水分に届けさせたと、『太平記』は伝えます...

  5. 太平記を歩く。 その100 「阿弥陀寺(楠木正成首改め石)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その100 「阿弥陀寺(楠木正成首改め...

    神戸市兵庫区にある阿弥陀寺にやってきました。ここには、湊川の戦いに勝利した足利尊氏が、討死した楠木正成の首実検を行ったと伝わる石があります。 本堂です。 境内の一角に、池を松が囲んだ庭園風の場所があります。その池の中央に、大きな石があるのですが、これが「楠木正成首改め石」だと伝わるものです。 説明板によると、池中の大石は、平清盛が魚を供養するために建てた魚の御堂礎石とも伝えられますが、延元...

  6. 太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区

    足利尊氏の水軍を討つべく経ケ島に陣を布いた新田義貞でしたが、足利軍の巧みな戦略の前に押され、中央区の生田の森まで後退することになります。 すでに楠木正成軍を討った足利軍は、ここ生田の森で三方から集中して新田軍に襲いかかります。『太平記』巻16「新田殿湊河合戦事」によると、新田軍は奮戦し、合戦は「新田・足利の国の争ひ今を限りとぞ見えたりける」との激しさを見せます。 合戦の規模からすると、ここ生...

  7. 太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。 『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。現在は、見晴らしのいい公園になっており、そ...

  8. 太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある松尾稲荷神社という小さな神社も、『太平記』にかかわりがあると聞いて訪れました。 現在は「松福さん」とよばれるアメリカ渡来の福神ビリケンが社殿の中の奥に祀られていることで知られています。 その社伝によると、かつては湊川の堤防上に鎮座していたといい、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に足利尊氏軍と激突した「湊川の戦い」に臨む楠木正成が、堤防上に聳える松の大樹を目印に一族...

  9. 太平記を歩く。 その88 「南宮宇佐八幡神社」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その88 「南宮宇佐八幡神社」 神戸市中央区

    神戸市中央区脇浜にある、南宮宇佐八幡神社を訪れました。ここは、湊川の戦いに出陣途中の楠木正成が、この付近に馬を留めて武運を祈願したといわれ、のちに村人が八幡社をこの地の建てたと伝わる神社です。 現地説明板の文をそのまま引用します。 創建は古書によると、「建武3年(1336年)楠木正成、足利尊氏追討の命を奉じ、兵庫に出陣の途次、当脇浜に同志を集め休息せし時遥に八幡宮を拝して湊川に下向し、勝利を...

  10. 太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。 もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により、足...

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