邪馬台国のタグまとめ

邪馬台国」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには邪馬台国に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「邪馬台国」タグの記事(15)

  1. 邪馬台国の滅亡を再検討する・弥生遺跡消息一覧表 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    邪馬台国の滅亡を再検討する・弥生遺跡消息一覧表

    此処で、早まってはなりません。日本史の根幹にかかわる「邪馬台国の滅亡」です。それが起きたのは、弥生中期でしたか?「卑弥呼以って死す」は、248年でした。弥生の後期ですから、あの一覧表を見直してみましょう。確かに、弥生中期で一斉に集落の衰退が起きています。そして、徐々に回復したのに、弥生後期に再び衰退期が来ています。では、祭祀具の破棄を故意におこなったという栗田遺跡と七板遺跡を見ましょう。一覧...

  2. 筑前町・弥生時代の遺跡消息一覧表から読めること=邪馬台国の滅亡 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    筑前町・弥生時代の遺跡消息一覧表から読めること=邪馬台...

    筑前町の弥生遺跡の光芒は、邪馬台国の運命を示唆する福岡県朝倉郡筑前町(旧三輪町と夜須町)の東小田峯遺跡を訪ねましたので、大事なことをお知らせしています。前回「筑前町の弥生遺跡が消滅したのは、邪馬台国滅亡という大事件に関係する」と書きましたので、その事を重ねて紹介します。この写真は「東小田峯遺跡の発掘報告書」の大溝の写真です。この遺跡では大溝を全て発掘したのではなく、たまたまトレンチしたところ...

  3. 弥生集落を去る時、人々は祭祀具も土器も捨てた - 地図を楽しむ・古代史の謎

    弥生集落を去る時、人々は祭祀具も土器も捨てた

    福岡県朝倉郡筑前町に出かけました。何度出かけても東小田峯遺跡の場所を探せませんでしたが、今回は筑前町役場の方にお世話になって、地図を用意していただきました。筑前町の北には神山がずらりと並んでいます。全て信仰の山です。東小田峯遺跡はすべてが見渡せる平野に在ります。遺跡は大根地山を背景に田んぼの中にポツンとあります。遠く地平線の向こうは福岡平野・博多湾です。この幅が数キロの地溝帯を、鹿児島本線・...

  4. 邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡(三輪町と夜須町) - 地図を楽しむ・古代史の謎

    邪馬台国の滅亡にリンクする弥生遺跡(三輪町と夜須町)

    福岡県朝倉郡筑前町の東小田峰遺跡を訪ねました。福岡平野と筑紫平野を結ぶこの辺りは、1800年前・弥生(中期)の集落が密集した豊かな大地でした。北側には三郡山地が、南側には耳納山地が見えます。筑紫平野はここからゆったりと末広がりに大きく広がり、すそには筑後川が流れています。ここは、旧三輪町です。40年前ほど前になりますが「三輪町史」を借りたことがありました。そこには、近畿の地名と地形と位置関係...

  5. 纏向遺跡のフイゴの羽口は九州から伝わった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    纏向遺跡のフイゴの羽口は九州から伝わった

    最近の考古学研究の片寄りに驚いています。ヨーロッパだって、中国大陸だって、韓半島だって、始まりは小さな国でした。ヨーロッパは都市国家が強大国家となったし、中国は夏や殷の文明国家も滅び周や秦も滅び広大な大地で大小乱れて戦い続けましたし、韓半島の小さな国々は中国の進出に悩み、倭人と手を結びました。でも、四世紀の列島はいつの間にか、近畿が支配していた?そんな!ありえません。そもそも倭人伝によると、...

  6. 倭王の交替・邪馬台国以後の倭王の出自は中九州 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王の交替・邪馬台国以後の倭王の出自は中九州

    わたしは、倭王が何処に住んだのかを祭祀線で探してきました。すこしずつ、その場所を紹介してきました。まず、弥生時代の終焉上の写真は、ベンガラを塗った祭祀具です。特別の形を特別に製作焼成し、特別の色を塗って特別の場所で神祭りをしたのです。その祭祀具が福岡のあちこちで一か所にまとまって出土しますが、なぜでしょう?もしや、わけあって一度に破棄されたのではないか、わたしはそう思いました。。壊れたから、...

  7. 高島忠平先生、質問してもいいですか? - 地図を楽しむ・古代史の謎

    高島忠平先生、質問してもいいですか?

    重要な意味があった高島氏の発言飯塚の古代史のフォーラム(2018・2・18)は、たいへん興味深いものでした。計画推進された飯塚市に感謝したいと思います。わたしの住居のある地域では、市の教育文化振興事業団の主催で「古代史講座」などやっていないのです。むしろ、予算を減らそうと頑張っているようです。歴史より経済の方が大切なようですね。さて今回、久しぶりに参加して高島氏の発言に大変納得いたしました。...

  8. 百年の嘘をホケノ山古墳に粉飾(1) - 地図を楽しむ・古代史の謎

    百年の嘘をホケノ山古墳に粉飾(1)

    伊都国の平原王墓と、山城の椿井大塚古墳が同時代?松木先生ほんとですか?邪馬台国が戦争をした相手は何処ですか?確か、狗奴国です。狗奴国は邪馬台国の南に在ったのです。魏書に書いてあります。卑弥呼が死んだとき、帯方郡より張政が倭国に来ています。その後、卑弥呼宗女壱与が女王位に着いたあと、張政を帯方郡に送ります。倭国の使者は、そのまま魏の都に朝貢しました。つまり、魏の使いは倭国の場所もわかり、風俗も...

  9. えっ?鉄がありすぎる九州に邪馬台国はない? - 地図を楽しむ・古代史の謎

    えっ?鉄がありすぎる九州に邪馬台国はない?

    倭の五王の話をしていますが、古代史学会大丈夫かな?と思う事があったので、その事をお知らせします。書いていいかを少し考えましたが、書かせていただきました。このフォーラムに参加して、下のような気分になりました。ゆうれいの正体見たり枯れ尾花それは、後援会のあとの討論会での発言を聞いてのことです。資料と突き合わせた話し合いの、最後の最後に出た学者の発言を。わたしは、今日は何をしにここへ来たのでしょう...

  10. 女王国は北部九州にあったなら、卑弥呼の墓は何処? - 地図を楽しむ・古代史の謎

    女王国は北部九州にあったなら、卑弥呼の墓は何処?

    魏志倭人伝の終わりに卑弥呼の墓の記述卑弥呼が巻き込まれた重大事が④にあります。①から読んでみましょう。①正始元年(240)、(帯方郡)太守弓遵は、建中校尉梯儁らを遣わして、詔と印綬を倭国に持って行かせ、倭王に任命した。詔と共に金・白絹・錦・毛織物・刀・鏡・采物を賜った。倭王は使者に上表文を奉り詔に感謝した。➁その四年(243)、倭王はまた、大夫の伊声耆・掖邪狗ら八人を遣使し、生口・倭の錦・赤...

  11. 卑弥呼が魏の明帝から下賜された豪華な賜物 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    卑弥呼が魏の明帝から下賜された豪華な賜物

    魏から倭女王卑弥呼への贈り物もちろん、銅鏡百枚だけではありませんし、魏はもっと良い物を下賜したと自負しているのです。景初二年六月、使者が帯方郡へ詣でて魏の明帝から貰った豪華な下賜品とは読んでみましょうか。①景初二年(魏の明帝・238年)六月、倭女王は大夫難升米らを遣わし帯方郡に詣で、魏の天子に朝献することを申し出た。郡の太守の劉夏は役人を遣わして魏の都まで送らせた。➁その年十二月、倭女王に返...

  12. 女王国は、武器の矛、宮室・楼観・城柵、絹織物、クスがある地域 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    女王国は、武器の矛、宮室・楼観・城柵、絹織物、クスがある地域

    倭人伝・倭人は古代九州地方の人だった倭人伝の、その倭人の風俗を読んでみましょうね。①倭人の風俗は節度がある。男子は被り物がなく木綿のはちまき。着物はひと幅の布を巻き付け紐で結んで縫うことはない。婦人は髪を曲げて束ね、単衣の真ん中に穴をあけてきている。➁稲やカラム氏を植え、桑で蚕を育て繭を集めて織り、細い麻糸、絹織物、綿織物を造っている。そこには、牛、馬、虎、豹、かささぎはいない。③兵(武器)...

  13. 卑弥呼の宮室は吉野ケ里ではない? - 地図を楽しむ・古代史の謎

    卑弥呼の宮室は吉野ケ里ではない?

    卑弥呼の宮殿の候補地は何処なのか吉野ケ里と纏向でいいの?邪馬台国論争では、いつもこの二ヵ所が取り上げられて比較されていますが、二か所でいいのでしょうか。そもそもの出発点、三国志の「倭人伝」に見える女王国の様子を見ましょうね。検討できるところを抜き書きしました。男子は大人も子供も鯨面文身(顔にまで入れ墨をしている)道理を図ると、まさに会稽(かいけい)・東冶(とうや)の東にある禾稻(イネ)苧麻(...

  14. 邪馬台国論争・TBSの着地も纏向ですか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    邪馬台国論争・TBSの着地も纏向ですか

    またまた不思議な邪馬台国論争「邪馬台国の候補地は全国にある」と笑って魏志・倭人伝の一文「水行十日陸行一月」を取り上げて、邪馬台国論争が始まりました…女王の都する所が、水行十日陸行一月だというので、明治以来の九州説と奈良説の二ヵ所にしぼって邪馬台国の場所を探る番組でした。吉野ヶ里と纏向が比較されていました。そもそも、魏志の「倭人」伝は、帯方郡から女王国までの里程を「水行十日陸行一月」のみで説明...

  15. 邪馬台国の倭人たち - ルミ子のブログ・古代史の謎、解きます

    邪馬台国の倭人たち

    「ルミ子さん、邪馬台国に住む倭人って、どんな姿をしてたんでしょうね?」と僕は聞いてみた。初歩的な質問だが、僕は超初心者、ルミ子さんは熱心な古代史フアンで研究家だ。待ってました!とばかりにっこりしたルミ子さんは、「魏志倭人伝にはこう書いてあるの」と記事を紹介してくれた。倭人は皆黥面文身す。男子はみな顔や体に入れ墨し、墨や朱や丹を塗っている。入墨は国ごとに異なって、左だったり右だったり、あるいは...

総件数:15 件

似ているタグ