金栗四三のタグまとめ

金栗四三」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには金栗四三に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「金栗四三」タグの記事(21)

  1. いだてん~東京オリムピック噺~第25話「時代は変る」~第2部プロローグ~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第25話「時代は変る」~...

    さて、物語は第2部に入りましたね。スポットは陸上競技から水泳に移され、主人公も金栗四三から田畑政治に代わりました。わたしは、学生時代に自身も陸上部で長距離選手だったこともあり、金栗四三という名前は知っていましたが(といっても、箱根駅伝の創始者という程度ですが)、この田畑政治という人に関しては、まったく名前すら知りませんでした。大河ドラマの制作が発表されてからにわかに関連本を読みましたが、市販...

  2. いだてん~東京オリムピック噺~第21話「櫻の園」~女子体育と日本競泳のスタート~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第21話「櫻の園」~女子...

    大正9年(1920年)夏の第7回アントワープオリンピック大会後、金栗四三はすぐに帰国せずに欧州をまわりました。といっても、ドラマのような傷心の一人旅ではなく、他の選手たちとともに欧州のスポーツ教育の視察旅行だったようです。金栗は第一次世界大戦の敗戦国となったドイツを訪問し、4年前に来るはずだったスタジアムを見に行っています。そこで見たドイツ人のスポーツに向かう姿勢に心を動かされ、とくに、若い...

  3. いだてん~東京オリムピック噺~第20話「恋の片道切符」~アントワープオリンピック~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第20話「恋の片道切符」...

    第一次世界大戦が終結した翌々年の大正9年(1920年)夏、第7回アントワープオリンピック大会が開催されました。4年前のベルリン大会の中止をはさんでいたため、ストックホルム大会以来8年ぶりの開催でした。8年前には金栗四三と三島弥彦の2人だけの出場だった日本選手でしたが、この8年間で日本国内のオリンピックに対する意識は大いに高まり、代表選手を選ぶ予選会は、札幌、仙台、東京、新潟、名古屋、大阪、松...

  4. いだてん~東京オリムピック噺~第20話「箱根駅伝」~箱根駅伝の始まり~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第20話「箱根駅伝」~箱...

    大正8年(1919年)夏には下関から東京までの1200kmを走破する耐久マラソンに挑み、同じ年の11月には日光から東京間の120kmを、学生たちの駅伝チームともに走るというイベントを成功させた金栗四三でしたが、翌年の2月、東京箱根間往復大学駅伝競走を企画、実施します。現在ではお正月の風物詩となった箱根駅伝の始まりです。 そもそもの着想は、大正8年(1919年)10月、金栗が埼玉県の小学校に審...

  5. いだてん~東京オリムピック噺~第18話「愛の夢」~走る広告塔・金栗四三と女子体育の出発点~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第18話「愛の夢」~走る...

    京都から東京間の駅伝イベント企画を成功させた金栗四三は、さらに長距離走の普及に力を尽くします。関東の大学から長距離選手たちを集めて、富士山を練習場として連日鍛錬を重ねました。大正2年(1913年)に時事通信社が主催した富士登山マラソン競争という大会があったそうですが、一度きりになっていたのを、大正6年(1917年)に第2回大会として金栗が復活させ、自身の教え子を全員出場させました。このとき優...

  6. いだてん~東京オリムピック噺~第17話「いつも2人で」~駅伝の始まり~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第17話「いつも2人で」...

    第一次世界大戦の長期化に伴う第6回ベルリンオリンピックの中止によって目標を失った金栗四三。オリンピックの中止となれば、いつまでも嘉納治五郎の好意に甘えて研究生を続けているわけにはいかず、この年、鎌倉の師範学校で社会科の教師となり、その翌年の大正6年(1917年)4月には東京に戻り、独逸学協会学校で教鞭を執ります。そこで金栗は徒歩部の顧問となり、自身もトレーニングを積みながら後進の育成に励み、...

  7. いだてん~東京オリムピック噺~第16話「ベルリンの壁」~第一次世界大戦~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第16話「ベルリンの壁」...

    大正3年(1914年)6月28日、バルカン半島のサラエヴォで、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が自動車に乗っているところをピストルで撃たれ、夫婦揃って暗殺されました。犯人はオーストリアのバルカン半島支配に反発する青年でした。この事件でセルビアとドイツの関係が悪化し、とうとうドイツがセルビアに宣戦布告。それがきっかけとなって第一次世界大戦が勃発します。 この時代の世界情勢は、19世紀か...

  8. いだてん~東京オリムピック噺~第15話「ああ結婚」~金栗四三の結婚~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第15話「ああ結婚」~金...

    「しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」 ストックホルムで途中棄権した翌日の日記にこう記した金栗四三は、...

  9. いだてん~東京オリムピック噺~第13話「復活」~消えた日本人選手とポルトガル選手の死~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第13話「復活」~消えた...

    日本初のオリンピック選手として第5回ストックホルムオリンピックのマラソンに出場した金栗四三選手でしたが、その成績は途中棄権という残念な結果となりました。その原因は日射病だったといいます。現在の熱中症ですね。この日のストックホルムは陽のあたる場所で40度を超える酷暑だったそうで、68名の競技参加者中、ほぼ半数の33名がゴールできなかったといいますから、その過酷さが窺いしれます。金栗はスタートで...

  10. いだてん~東京オリムピック噺~第12話「太陽がいっぱい」~金栗四三の五輪マラソン初挑戦~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第12話「太陽がいっぱい...

    明治45年(1912年)7月14日、いよいよ金栗四三選手が出場する第5回ストックホルムオリンピックのマラソンの日がやってきました。天候は快晴。ストックホルムは北欧スウェーデンの首都で、北緯60度に近い位置にあり(ちなみに日本の最北端の稚内でも北緯45度)、亜寒帯気候で7月の平均日最高気温は22度前後という過ごしやすい気候の都市ですが、数年に一度、熱波に襲われることがあり、それが、この年だった...

  11. いだてん~東京オリムピック噺~第11話「百年の孤独」~開会式と三島弥彦選手の挑戦~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第11話「百年の孤独」~...

    明治45年(1912年)7月6日、第5回ストックホルムオリンピックの開会式が行われました。それは、現在のように大会初日ではなく、大会期間中で最も多くの選手が集まりやすい日に行われたようです。というのも、この頃のオリンピックの開催期間は現在のオリンピックのように半月ほどの日程ではなく、5月5日から7月27日までの約3か月半以上の長丁場だったそうです。当時の交通機関の移動手段などを考えれば、それ...

  12. いだてん~東京オリムピック噺~第9話「さらばシベリア鉄道」~大陸横断の旅~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第9話「さらばシベリア鉄...

    日本初のオリンピック選手団一行(といっても、選手は金栗四三と三島弥彦の2人、あと、同行する大森兵蔵監督とその夫人・安仁子の4人だけですが)、は明治45年(1912年)5月16日に神戸行きの急行列車で新橋駅を発ち、米原で敦賀行きの寝台列車に乗り換え、翌日の5月17日の朝に敦賀に着きました。途中の停車駅には彼らを見送る人たちが集結し、大変な騒ぎだったといいます。ドラマでは、現代で言うファンからサ...

  13. いだてん~東京オリムピック噺~第8話「敵は幾万」~ストックホルムへ~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第8話「敵は幾万」~スト...

    かくして日本初のオリンピック選手に選ばれた金栗四三と三島弥彦でしたが、問題はその旅費でした。当時、嘉納治五郎が会長を務める大日本体育協会は発足したばかりで、財政の余裕があるはずがありません。そこで嘉納は、国費による援助を文部省に求めますが、まだオリンピックという祭典の認知度が低かったこの時代、遊びのようなものに国費を使うなどあるまじきこととして門前払いでした。当時、日露戦争で使った莫大な戦費...

  14. いだてん~東京オリムピック噺~第5話「雨ニモマケズ」~国内予選競技会~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第5話「雨ニモマケズ」~...

    明治42年(1909年)にアジア人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となった嘉納治五郎は、明治44年(1911年)に自らが会長を務める大日本体育協会を立ち上げ、翌年に行われる予定の第5回ストックホルムオリンピックに日本人選手を初参加させるために動き始めます。協会の主要メンバーは、東京帝国大学(現・東京大学)や早稲田大学、慶応大学、明治大学、そして自身が校長を務める東京高等師範学校(現在...

  15. いだてん~東京オリムピック噺~第4話「小便小僧」~長距離走の練習法~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第4話「小便小僧」~長距...

    金栗四三が入学した東京高等師範学校(現在の筑波大学)は、スポーツの奨励に熱心な嘉納治五郎校長の方針により、春と秋の年2回、校内長距離走のイベントが催されていました。春には三里(約12km)、秋には六里(約24km)を全校生徒が走ります。ドラマでは描かれていませんでしたが、嘉納校長自身も、巻脚絆姿で学生と共に走ったと伝えられます。上位入賞者には校長からメダルが贈られたそうですが、入賞できなかっ...

  16. いだてん~東京オリムピック噺~第3話「冒険世界」~東京高等師範学校入学~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第3話「冒険世界」~東京...

    明治43年(1910年)4月、金栗四三は東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学しました。同校はその名のとおり教師を育成する学校で、金栗の専攻は地理歴史でした。同校は創立以来、代々軍人が校長を務めてきていたそうで、そのため、学生を兵隊と同じように扱い、徹底した規律で縛るといった校風だったようです。鬼教官による軍隊さながらの体罰教育が当たり前のように行われ、寄宿舎では先輩たちによる私的な鉄拳制...

  17. いだてん~東京オリムピック噺~第2話「坊っちゃん」~金栗四三の生い立ち~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第2話「坊っちゃん」~金...

    ドラマ前半の主人公である金栗四三は、は明治24年(1891年)8月20日、熊本県の春富村に生まれました。男4人、女4人の8人兄弟の7番目でした。「四三」という名は、父・金栗信彦が43歳のときの子だったからと伝えられます。安直な命名ですが、この当時の名前なんて、一部のインテリ階級を除けば皆、似たような名付け方だったのでしょう。子供の名前に思いを託すなんて思想はなかったんですね。もちろん、キラキ...

  18. 河内町石積みだんだん畑 - 遊びをせんとや

    河内町石積みだんだん畑

    昨日の勤務からの帰路での1枚40分の一人ドライブ?での和みは夕やけきれいだった昨日。和みと言えばいだてん和水出身の金栗四三さんの生涯を描くドラマ2話での石積みの段々畑は放送前日に浮島神社帰りに前を通り夫と二人昔の人は几帳面にきれいに石を積み上げてよく作ったよねーなど話をしつつ帰宅したばかりだった。熊本市内へ続く海岸沿いの河内町は通るたびその広大な石積みの段々畑に沢山のみかんが実りこころ豊かに...

  19. いだてん~東京オリムピック噺~第1話「夜明け前」嘉納治五郎とIOC - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第1話「夜明け前」嘉納治...

    第1回は嘉納治五郎の話でしたね。講道館柔道の創始者であり、「近代柔道の父」として後世に名高い嘉納治五郎ですが、彼の功績は柔道だけにとどまらず、日本にスポーツを根付かせた「日本の体育の父」でもありました。旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長や学習院の教頭を務めた嘉納は、明治26年(1893年)より通算25年間ほど東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長を務め、教育者の育成に努めました。そこで...

  20. いだてん~東京オリムピック噺~キャスト&プロローグ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~キャスト&プロローグ

    さて、今年の大河ドラマは、『いだてん~東京オリムピック噺~』ですね。主人公は日本人初のオリンピック選手となり、「日本のマラソンの父」と呼ばれた金栗四三と、昭和の東京オリンピック招致に尽力した田畑政治の2人がリレー方式で描かれます。物語の舞台は、日本が初めて夏季オリンピックに参加した明治45年(1912年)のストックホルムオリンピックから、幻となった東京オリンピック開催を決めた昭和11年(19...

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