間人皇后のタグまとめ

間人皇后」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには間人皇后に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「間人皇后」タグの記事(10)

  1. 丹後半島・竹野川下流に間人皇后は身を隠したのか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    丹後半島・竹野川下流に間人皇后は身を隠したのか

    古代の丹後半島は、高貴な人が身を隠す場所だった?雄略天皇が兄の市辺押磐(いちのへのおしは)皇子を射殺したので、その遺児の憶計(おけ)と弘計(をけ)王が、真っ先に逃げた所が丹波国の余社(よさ)郡でした。ここから播磨の赤石郡に行き、名を「丹波小子(たにはのわらは)」と改めて、針間の縮見(しじみ)の屯倉の首(おびと)に仕えた(日本書紀)、とあります。間人皇后も丹波国に逃げた丹後半島の間人(たいざ)...

  2. 間人皇后伝承の拡散・安珍と清姫 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    間人皇后伝承の拡散・安珍と清姫

    間人皇后伝承は衣通姫伝承と合体した今日も、間人皇后について、もう少し捕捉説明をさせてください。前回の衣通姫に関わることです。和歌山県の玉津嶋神社の御祭神のことは、カテゴリ242「紀伊国・玉津嶋神社」のところで紹介しました。(『玉津島神社の春・衣通姫の歌』など)不思議なことに、玉津嶋神社のご祭神は「海の神様」ではありません、玉津嶋は古代には海に浮かぶ島だったのに、です。最初に祭られたのは「稚日...

  3. 間人皇后の華麗なる生涯・光と影 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    間人皇后の華麗なる生涯・光と影

    間人皇女は十代で孝徳帝の皇后に立つ間人皇女は、舒明天皇と斉明天皇の間に生まれました。乙巳の変(645)で蘇我氏本家が滅んだ時、中大兄皇子は十九歳の青年でした。間人皇女は中大兄の妹ですから、立后された時はうら若い乙女だったのです。孝徳天皇は推古五年(597)の生まれですから、間人皇女との結婚はかなりの年の差婚でした。高貴な姫君が恋をすることもなく、老人のもとへ輿入れしたと云うことです。ですから...

  4. 間人皇后の愛・君が代も吾が代も知るや磐代の - 地図を楽しむ・古代史の謎

    間人皇后の愛・君が代も吾が代も知るや磐代の

    中皇命は有間皇子を愛した中宮天皇前回の「難波天皇の運命の人・間人皇后」が長くて分かりにくかったようなので、少し説明を捕捉しますので、過去のブログを思い出していただきたいと思います。10君之齒母吾代毛所知磐代乃岡之草根乎去来結手名(君がよも吾代もしるや岩代の岡の草根をいざ結びてな)ドラマチックなこの歌は、将に政変の歌であり、悲恋の歌でもありました。それも、万葉集の巻一の10番歌なのです。万葉集...

  5. 難波天皇と持統天皇の運命の人・間人皇后 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    難波天皇と持統天皇の運命の人・間人皇后

    持統天皇の難波宮行幸持統天皇と難波宮とは深い因縁があるということでしょう。朱鳥元年に前期難波宮は全焼したと書かれていますし、発掘の結果でも掘立柱の焼け跡が確認されています。その後に建てかえられたのでしょう。持統天皇即位以後も、節目ごとに各天皇の難波宮行幸がありました。各天皇と難波宮のかかわりを見ましょう。白雉三年~五年(652~654)孝徳天皇の皇居(五年に崩御)斉明六年十二月(660)斉明...

  6. 万葉集巻二の難波天皇・持統天皇の出自を暗示する - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集巻二の難波天皇・持統天皇の出自を暗示する

    皇都の遷都は政変と重なる欽明・敏達・推古・舒明帝の時代は、大王の館が政治の中心でしたから皇居は次々に変わりました。が、難波宮・近江京・藤原宮・平城京・長岡京・平安京などの遷都は、いずれも政治の転換点であり、政変が絡んでいました。また、最初の皇都である孝徳天皇の難波宮(652年完成)は、先達として後世の都のモデルとなりました。天武十二年(683年)、天武天皇は難波宮を第一の陪都と定めました。難...

  7. 191 消された物語・有間と間人 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    191 消された物語・有間と間人

    191消された物語・有間皇子と間人皇后有間皇子と間人皇太后の歌は、万葉集の扉を開ける鍵の一つです。中皇(なかつすめら)命(みこと)は、有間皇子と自分とを同等に並べて歌を詠みました。以前に紹介した時は、訳文に「陛下」とは書かず「殿下」を使い、皇太子として間人皇太后が有間皇子に接したように書きました。しかし、今回は有間皇子を「難波長柄豊崎宮御宇天皇」の跡継ぎとして、ほとんど玉璽を渡された状態であ...

  8. 191間人皇后の難波宮脱出 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    191間人皇后の難波宮脱出

    191間人皇后の難波宮脱出 間人皇后の愛と悲劇・とりかえばや物語間人皇后が難波宮を去ったわけ 間人(はしひと)皇女が孝徳帝の大后(皇后)に立てられたのは、幾つの時でしょうね!大化改新の時、中大兄皇子は十九歳(十八歳)くらいで、その妹ですから十五歳くらいでしょうか。そんな少女が初老も過ぎた男性に嫁がねばならないとはあまりに過酷な話です。大后に昇れる女性は皇族に限られましたが、皇女とはいえ間人は...

  9. 190間人皇后の愛と悲劇(2) - 地図を楽しむ・古代史の謎

    190間人皇后の愛と悲劇(2)

    190間人皇后の恋なぜ、間人(はしひと)皇后は孝(こう)徳(とく)帝の許を去ったのでしょう。書紀によると、孝徳帝は皇后に歌を送って言われました。金木(かなき)つけ吾(あ)が飼ふ駒(こま)は引(ひ)き出(で)せず吾が飼ふ駒を人見(ひとみ)つらむかあれほど大事に後宮の奥深くに置いて人目に触れないようにしていたのに、貴女を人が見たというのか(誰かがあなたに手を出したというのか、その事で貴女は後宮を...

  10. 189万葉集に隠された間人皇后の愛と悲劇 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    189万葉集に隠された間人皇后の愛と悲劇

    189間人皇后の愛と悲劇万葉集・とりかえばや物語(1) 万葉集の巻二は不思議な始まり方をしています。磐(いわの)姫(ひめ)皇后(仁徳天皇の皇后)の歌で始まるのですが、これが本当に磐姫皇后の歌だとすると万葉集中で最古の歌になります。 万葉集・巻二の冒頭歌は誰の歌なのか磐(いわの)姫(ひめ)皇后(おほきさき)、天皇を思(しの)いて作らす歌四首85君が行き日(け)長(なが)くなりぬ山たづね迎えか行...

総件数:10 件

似ているタグ