雄略天皇のタグまとめ

雄略天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには雄略天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「雄略天皇」タグの記事(9)

  1. 古事記の宇宙(コスモス) - 奈良・桜井の歴史と社会

    古事記の宇宙(コスモス)

    本居宣長を考えていたのだが、寄り道で千田稔先生の「古事記の宇宙(コスモス)」--神と自然(中公新書)にとらえられた。 古事記に記された神々や神話を海・山・植物・鳥・身体などのテーマ別に考えるという切り口である。 山とー神と精気「高くて円錐状の山が天空に向かってそびえているところでは、天の神が山に降臨すると伝承されてきた。奈良盆地に住む私も幼少のころから四周の山を異界の風景として眺めていたも...

  2. 万葉集一番歌春日神社境内(桜井市脇本)にて - 奈良・桜井の歴史と社会

    万葉集一番歌春日神社境内(桜井市脇本)にて

    11月16日(日)、南都銀行の「〈ナント〉萬葉チャリティウォーク」に参加した。奈良女子大学名誉教授、高岡市万葉歴史館館長の坂本信幸先生が案内された。ちょっと時間が経っているが、来年にお話しする準備で、備忘録みたいにものとしてアップしますので、よろしければお読みください。大和朝倉駅前にて、坂本先生のはじめのごあいさつ ウォークは、かって雄略天皇の初瀬朝倉宮とされた白山比咩(しらやまひめ)神社(...

  3. 丹後半島に逃げた二人の天皇 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    丹後半島に逃げた二人の天皇

    大江山生野の道の遠ければまだ文も見ず天橋立(大江山行く野の道の遠ければまだ踏みもみず天橋立)和泉式部の娘・小式部が詠んだ誰もが知っている天橋立の名歌は、「母からの文だなんて、あの大江山へ行く生野の道も遠いのですから文(便り)も届くはずもなく、天橋立にはまだ足を踏み入れたこともありません。母の力を借りて歌を作ったりいたしませんわ。」と藤原定頼に応えた 歌でした。ところで、此の大江山が問題です。...

  4. 万葉集巻九の冒頭歌は雄略天皇・そこに詠まれた鹿の運命 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集巻九の冒頭歌は雄略天皇・そこに詠まれた鹿の運命

    明日、令和元年5月28日(火)のことです。筑紫古代文化研究会の講座(福岡市中央区天神・光ビル)で「万葉集巻九・紀伊国十三首」のお話をします。始めは、「有間皇子とは」から話し始めて、紀伊国十三首までたどり着きます。万葉集の中で、巻九は最高に読み応えのある巻です。巻九の冒頭歌は、雄略天皇の歌です。万葉集巻第九「雑歌」泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首1664暮去者小椋山尓臥鹿之今夜者不鳴寝家...

  5. 雄略天皇の御製歌は万葉集の冒頭歌 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    雄略天皇の御製歌は万葉集の冒頭歌

    「すぎにし人の形見とぞ」2⑥では、万葉集の冒頭歌の紹介。泊瀬朝倉宮御宇天皇=雄略天皇の歌である。この冒頭歌で雄略天皇は、菜を摘む娘に敬語を使っている。『菜摘ます子=菜をおつみになっている娘』と『家をおっしゃってください。名を名のってください』求婚の儀式だろう。古代では名前を呼べるのは、特別な間柄か親族で、他人に名を知られるのを嫌った。此の菜を摘む女性は高貴な家柄の姫で、儀式により婚姻が整おう...

  6. 倭王武は雄略天皇ではないが、応神・仁徳王朝は滅亡した - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王武は雄略天皇ではないが、応神・仁徳王朝は滅亡した

    倭王武は雄略天皇ではない前回のブログで、「倭王武は雄略天皇ではない」と書きました。更に、辛亥年は471年ではなく531年だとも書きました。最近の定説を否定しましたから、大方の人は「嘘だろう!」と思われたでしょう。ですが、普通に「宋書」を読むと、倭王興が活躍した時期に471年は入ります。ですから、辛亥年が471年なら、稲荷山鉄剣にかかれた大王は「興」だとなるのです。(前回のブログ)「稲荷山古墳...

  7. 倭王武は雄略天皇ではない - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王武は雄略天皇ではない

    倭王興の選択も、やはり宋の冊封体制だった倭王讃・珍・済まで見てきました。彼らが望んだのは、宋の臣下となることではありません。友好国・百済の為に、半島で優位な位置を占めることでした。今回は、倭王興(460~478在位)についてです。興は、済の世子でした。倭王興も、即位した同年に宋に貢献しました。二年後、「安東将軍倭国王」を授与されますが、対立する高句麗は「車騎大将軍開府儀同三司」を授かりました...

  8. 稲荷山古墳の被葬者と雄略天皇 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    稲荷山古墳の被葬者と雄略天皇

    「ワカタケル」は雄略天皇か稲荷山古墳の被葬者は、獲加多支鹵大王に仕え助けたと書かれていました。獲加多支鹵大王とは雄略天皇の事でしょうか。(「稲荷山古墳・鉄剣が秘めた古代の謎」より写真と文章を抜き書きしました)原島礼二(埼玉大教授・古代史)わたしは「ワカタケル」は雄略でいいと思います。471年か、531年かはわからないけれども、皆さんのご意見を聞いていると471年の方がスムーズだなあという感じ...

  9. 太平記を歩く。その16「金剛山(國見城跡)・前編」大阪府南河内郡千早赤阪村・奈良県御所市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その16「金剛山(國見城跡)・前編」大阪...

    千早城を背後から見下ろすように聳える金剛山を登りました。見下ろすというか、千早城も上赤坂城も、金剛山系の一部なんですね。その金剛山の最高峰に、楠木正成が築いたとされる國見城があったと伝わります。 金剛山を登ったのは、千早城を訪れた日とは別日です。千早城から金剛山に登る登山道もあるのですが、この日は楽してロープウェイで。 ロープウェイは正成ラッピングです。 ロープウェイからの景観です。 ロープ...

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