難波一族のタグまとめ

難波一族」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには難波一族に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「難波一族」タグの記事(30)

  1.  日蓮宗不受不施派~藤田教会所~ - 難波一族

    日蓮宗不受不施派~藤田教会所~

    日城上人が藤田村に日蓮宗不受不施派の布教を始めたのは慶長後期頃と考えられますが、それからというもの村民全戸が熱烈な信者となりました。藤田地区には経林山の麓にかつて寺がありましたが、この跡地に教会所を建設して、信仰を続けてきました。村民は日蓮宗不受不施派が禁教となってから、禁教解除までの約二〇〇年の間もこの地や各々の家で表向きは他教に改宗した事にして、秘密裏に信仰を続けてきました。この地は藤田...

  2. 高賤平等一致 - 難波一族

    高賤平等一致

    藤田地区に建安永六年(一七七七)に建立されております。当時の身分制度に反発する様に、人間はみな身分は関係なく平等であるという考え方を当時の村民は持っておりました。ただ時代が時代だったため、この碑は幕府の見回りがある際には、地中に埋めて発見されないようにしていたと伝わります。

  3. 曼荼羅 - 難波一族

    曼荼羅

    我が家に保管されていた曼荼羅一覧となります。一つ目の現在発見されている最古の一六七四年の曼荼羅については願主は不明となりますが、二つ目のその次に古い一六九八年の曼荼羅には宗善 喜右衛門とあり、先祖代々保管されてきた曼荼羅であることからも、家系図や墓石では確認出来ておりませんが、我が家の先祖であると考えて良いかと思っております。また三つ目の曼荼羅は宗派再興の後に難波徳左衛門こと徳太郎が授かって...

  4. 靍翁院給念居士 - 難波一族

    靍翁院給念居士

    旧墓地に建立されている墓石となります。以下の通り銘があります。正面:南無妙法蓮華経 先祖代々法界萬霊。右面:文政十一年戊子四月八日造建立。左面:靍翁院給念居士。背面:難波家経歴記述。先祖代々の鎮魂のために、文政十一年に旧墓地に建立されている様子ですが、左面に彫刻されている『靍翁院給念居士』がおそらくこの地に藤田八幡宮を建立して、この地に根付いた初代出ないかと推測しております。背面には難波家の...

  5. 三典会~難波道典~ - 難波一族

    三典会~難波道典~

    宗家・難波道典は私にとっては曾祖叔母にあたり、幼い頃より家族に連れられ演奏会に行っておりました為、記憶も鮮明であります。道典は岡山市ではマンションに住み、演奏会や弟子達の稽古を行い、東京では杉並区の一軒家に住み、ここでも見聞を広めつつ演奏会や弟子達の稽古を行う二重生活を営んでおりました。非常に豪傑な人物で、いつも着物をまとい凛としており、まさに女帝という風格を兼ね備えた人物でありましたが、私...

  6. 三典会 - 難波一族

    三典会

    三典会(みのりかい)とは難波道典が昭和十五年一月に設立した邦楽団体であります。三典会、邦楽三典会、岡山三典会、箏曲三典会など名前を変えながら存続していた様です。山陽年鑑では三典会の名は昭和三十一年から確認できますが、実質は昭和十五年から澄子は日本音楽大道派に所属しながら三典会を設立しておりました。また平成元年の山陽年鑑から『邦楽三典会』の代表者として再び名前が確認出来ます。それから難波道典こ...

  7. 日本音楽大道派  ~益子・道明、澄子・道典~ - 難波一族

    日本音楽大道派 ~益子・道明、澄子・道典~

    合同年鑑の記録では昭和十二年から姉妹共に日本音楽大道派の教師として名前が挙がっております。時に姉・益子二十八歳、妹・澄子二十二歳の時でした。今のところ昭和十二年からの記録しか確認できておりませんが、所属はおそらくこれより前からであったと考えられます。その後も教師から准師範、師範、大師範と年々実力をつけていった様です。※向かって左から二人目が難波益子こと難波道明、向かって右端が難波澄子こと難波...

  8. 日本音楽大道派 - 難波一族

    日本音楽大道派

    日本音楽大道派とは、筝曲大家である大月忠道氏が岡山市で創設した邦楽団体となります。※写真向かって左が大月忠道氏、向かって右が難波道典こと難波澄子大月忠道氏は吉備郡日美村の大月健五郎氏の三男として明治二十八年一月七日に誕生し、十五歳での失明を契機に筝曲の道へ進み、斎藤芝之都倹校に師事。その後、姫路にて米川親敏氏に師事して努力を重ね、大正九年二十七歳で岡山市へと戻り、筝曲の民衆化に苦心研究を続け...

  9. 文献に残る難波氏江戸~明治~大正 - 難波一族

    文献に残る難波氏江戸~明治~大正

    我が家とは関係ありませんが、文献に残る近世の難波氏面々を少し紹介させて頂きます。難波包節寛政3年~安政6年蘭学医。備前潘家老・日置氏の侍医であった難波経寛の養子となり難波姓を名乗る。1850年に緒方洪庵より牛痘苗を分けてもらい地元の金川地域で約3000人に接種した。その後、流行したコレラの治療に専念するが、自らもコレラに感染してしまい死去した。難波正安政6年~大正9年岡山市に生まれて開成高校...

  10. 吉川村歴代要職一覧 - 難波一族

    吉川村歴代要職一覧

    明治22年の山縣内閣が発した町村合併により、旧吉川村と黒山村が合併して新生吉川村が誕生して以来66年、歴代の村要職につき尽力した面々を記しつつ、偲びたいと思います。吉川村は昭和30年1月31日に閉村となり、翌2月1日より賀陽町の吉川地区となりました。明治22年(1889年)村長:吉川禎三助役:別所金太郎収入:沼本元太郎書記:佐々木作郎村議:藤原又二郎、西谷槇造、森石三郎、佐々木虎造、古好孫三...

  11. 難波多平 - 難波一族

    難波多平

    難波多平?~1629寛永五年侑十月十五日死去妙法 了宣信士妻妙法 妙水信女旧墓地に建立されている墓石となります。

  12. 妙運莫尼 - 難波一族

    妙運莫尼

    宝永六年(一七〇九年)己丑八月妙法 妙運莫尼

  13. 涼秋 - 難波一族

    涼秋

    妙法 涼秋 霊位宝暦四年(一七五四年)甲戌七月十五日七月十五日に死去していますが、今のグレゴリオ暦にすると一七五四年九月一日となり、戒名である涼秋の通り、高原地帯の吉川では涼しい秋を迎えていた時期と思われます。

  14. 菅野城址 - 難波一族

    菅野城址

    備中吉川南正行に存在した城となります。別名・甕石山城、亀石山城平山式城で石垣や搦手跡等が残っております。城主は伊賀家の配下だった土師家が務めていた様です。吉備郡史に依ると土岐刑部少輔、土岐玄蕃、土岐修理、土岐兵部尉道継等が城主を務めていた様です。城址に石垣はなく上部は平坦で石塀、土塁等で固められていた様です。天正の頃には伊賀家の虎倉城の支配下として土師兵部尉が居城し、伊賀久隆の死去後は宇喜多...

  15. 丸山城址 - 難波一族

    丸山城址

    丸山城は備中吉川小茂田に存在した城です。別名・一名古城町指定史跡の平城で築城年は定かとなっていませんが、鎌倉時代以降の築城と考えられております。戦国時代の城主は伊賀出雲守久治とされており、備前虎倉城落城の際に吉川へ落ち延び、孫・刑部が吉川と改姓し、その子・吉川新右衛門が城を修築して居を構えたと伝わります。丸山城は周囲に堀が巡らされた単郭の館城であったみたいです。虎倉記に伝わる伊賀家の系図は以...

  16. 難波菊之助 - 難波一族

    難波菊之助

    難波菊之助182?~186?難波仲太郎の実父。妻・西山絹(難波徳太郎の後妻)子・仲太郎(長男)、七(長女)菊之助は長男として誕生して西山絹と婚姻し一男一女を授かるが、36歳の若さで急死してしまう。弟・石之助。■家系図某ー菊之助ー||ー仲太郎ー|||-長女|||ー繁太郎|||ー久代|||ー次男|||・徳市|||ー嘉久治||粂ーーー|||ー信男|||ー鶴子||ためーー||ー七|絹ーーーー石之助

  17. 日蓮宗不受不施派~常在寺~ - 難波一族

    日蓮宗不受不施派~常在寺~

    常在寺とは岡山市にあり日正によって建立された日蓮宗不受不施派の寺であります。正式名:鷲峰山常在寺本尊:曼荼羅場所:岡山県岡山市北区御津紙工一一六三【沿革】元々は常在寺のある天満地区には、往時妙松法仙寺と永福寺のニつの不受不施派の寺がありましたが、寛文六年(一六六六年)藩主光政公による社寺淘汰の際に廃寺となりました。その後、元禄十三年(一七〇〇年)までの間に、通善院日円が密かに天魔嘉休谷の山腹...

  18. 日蓮宗不受不施派~妙覚寺~ - 難波一族

    日蓮宗不受不施派~妙覚寺~

    妙覚寺は一八八二年(明治十五年)に日正によって創設された日蓮宗不受不施派の祖山であります。正式名:龍華山妙覚寺本尊:十界曼荼羅場所:岡山県岡山市北区御津金川六〇〇日蓮宗不受不施派につきましては右記に先述しております。⇒こちら■沿革一八八二年(明治十五年)日蓮宗不受不施派の日正は江戸時代後期の医師難波抱節の宅跡を入手し、妙覚寺を建立する。二〇〇三年(平成十五年)火災により一部が焼失し住職が焼死...

  19. 帝国在郷軍人会 - 難波一族

    帝国在郷軍人会

    難波廣太https://jokky2.exblog.jp/21038942/帝国在郷軍人会は本部を東京市牛込区原町にあった「陸軍省」に設置して誕生しました。また軍人会は各府県単位で「支部」、市町村単位で「分会」が設置され、支部・分会の指導は各地の師団司令部・連隊区司令部が行っていた様です。役員は会長1名、副会長2名、理事、監事、評議員がそれぞれ数名置かれました。会員は正会員、特別会員および名...

  20. 難波一族~古代までの一次考察を終えて~ - 難波一族

    難波一族~古代までの一次考察を終えて~

    一通り古代まで歴史を遡って色々と寄り道をしながら難波一族の先祖について、故郷の吉川について確認してきましたが、未だに不明点や紹介しきれていない情報が多々あります。これよりは時代はバラバラとするかもしれませんが、抜け落ちている情報を補填しつつ、更に研究を続け不明点の究明をしてまいりたいと思います。①我が家の難波姓の利用開始時期について。②我が家の家系図の正否について。③左三つ巴の家紋の利用開始...

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