香樹院語録のタグまとめ

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「香樹院語録」タグの記事(43)

  1. 弥陀をたのむとは - 仏からの道

    弥陀をたのむとは

    一五六、たのむものを助くるとの仰せを聞いて、左様ならば私はたのみますさかい、御助け下されませの心ではない。たのむと云うは、不思議の仏智を信ずること故に、かかるものを御たすけぞと深く信ずることじゃ。各々は、これが深くたのむのじゃの、是れが緊とすがるのじゃのと、訳きくことばかりが細かな道理と思えども、それよりも内心の味いを透した心味を云うのが、一番に細かな道理じゃ程に。(香樹院語録) 見たこと...

  2. 少しばかりで了解は出来ぬ - 仏からの道

    少しばかりで了解は出来ぬ

    四五、秀存師ある時、「真心徹致するひとは、金剛心なりければ、三品の懺悔するひとと、ひとしと宗師はのたまえり」とある和讃の御意を尋ね給いければ、師はやや暫らく黙し給いて後智慧第一の舍利仏でさえ、四十年の間聞いても分らぬ仏法を、少しばかり聞いて解了しようとは、無理なことじゃ。 とのたまいければ、秀存師はただ、ヘイと云いて退出ありしを、傍見しまいらせしと、栗尾太助の話。 (香樹院語録)分別とは頭で...

  3. 今宵死ねば今宵が極楽 - 仏からの道

    今宵死ねば今宵が極楽

    三〇、左太沖の詩に、「何必糸兼竹、山水有清音」(何ぞ必ずしも糸竹を兼ねん。山水に清音あり)と作りしは、世間の人は、糸竹音曲ばかりを楽のように思うが、山の奥に世を遁れた身は、世間の楽の音はなけれども松吹く風の音、谷の流れの音など、よくよく思えば世の塵に離れたる所は、糸竹に優った妙な楽であると、人の知らぬ楽みを詠んだ詩なり。今、念仏行者は世の人から見れば、窮屈のことと見ゆれども、この御信心を得た...

  4. 仏に任せたる衆生に迷いなし - 仏からの道

    仏に任せたる衆生に迷いなし

    八二、公儀ある民に我が田地なし。先祖ある子孫に我が家なし。親ある子に我が身なし。主人ある家来に我が命なし。師ある弟子に我が智慧なし。夫ある女に我が財なし。されば公儀に任せたる民に刑罰なし。先祖に任せたる子孫に過なし。親に任せたる子に不孝なし。主人に任せたる家来に不忠なし。師に任せたる弟子に迷いなし。夫に任せたる女に不貞なし。風に任せたる柳に雪折れなし。仏に任せたる衆生に迷いなし。然るに、任す...

  5. 心に着すれば邪に同じ - 仏からの道

    心に着すれば邪に同じ

    二二〇、『摩訶止観』の破法篇に、「觀法雖正着心同邪」(観法は正といえども心に着すれば邪に同じ)とのたまいて、正しき観念の法を以って思惟しても、その観念に於て執着の念が生ずると邪に同ずるゆえに、破してしまわねばならぬとあり。今も、ただ聖教によりて伺えども、一文に偏執し一理に固執する時は、その学問より其の執着に種々の道理をつけて、まことの聖教の真面目を失い、雖正同邪の風勢になり行くとすれば、相互...

  6. これなりで助けられる - 仏からの道

    これなりで助けられる

    七〇、新井の妙意、御病中に参り申し上げて云うよう。いよいよこれなりで、助けられるので御座りますか。師の曰く。そうじゃそうじゃ、勧めるものも其処をよく教え、聴聞するものも其処をよく聞かねばならぬことじゃ。(香樹院語録) なにから救われるかといえば、自分の心から救われる。心あるゆえに苦しむ。どんな心か。事実を受け入れられずにあれこれ理由を探す心だ。事実を疑い納得できる理由を探す。しかし、納得で...

  7. 後生と云うことを存じませぬ - 仏からの道

    後生と云うことを存じませぬ

    八一、或る人、後生と云うことを存じませぬ、と申し上げたるとき、仰せに。それ知らるるまで容易でない。(香樹院語録) 後生は仏である。色も形もない一如になる。汚れも穢れもない空である。空から一切が生じ、一切は空に還る。還るところがわからずに迷っている。安心して死ぬことができない。後生とは生の後ろ、生の背景である。背景がわかってこそ今がわかる。還るところがわかるから安心して迷える。最後はそこに還る...

  8. 自力を捨てることに骨を折る - 仏からの道

    自力を捨てることに骨を折る

    三三、みな人は、信をとらんと思い、また、たのみ心にならんと思えり。それはあんまり、欲が深すぎると云うもの也。取ることばかりに骨折って、自力を捨てることに骨を折ることを知らぬの也。碁をうつにも捨石が大事なり。信を得るにも、雑行をすてることが大事也。 (香樹院語録)「自力を捨てる」とは具体的には自分の考えを捨てる。主義主張、信念、価値観、正義といった尺度を捨てる。起きていることに"いい...

  9. 文字や言葉の穿鑿ばかりでは - 仏からの道

    文字や言葉の穿鑿ばかりでは

    二四四、天保五年十月十日の夜なりき。或る人、師の御前に出でて、うつくしく領解を述べたれば、仰せに。述べた口上には間違いはないが、その言葉を便にするな。言葉さえ云いならぶれば、信心を得たものとするのではないか。それでは他力回向とも、仏智より獲得せしむるとも仰せらるる所と相違する。御教化の御言葉に隙のない様になったが実の信心じゃと思うても、それでは言葉は他力でも、心が自力の執心じゃ程に。(香樹院...

  10. 我が料簡を捨てる - 仏からの道

    我が料簡を捨てる

    二二五、江州草津合羽屋に対せられての仰せに。 往生を願うについて、二の関所がある。一には世を捨てて願い、二には疑網をすてて願わねばならぬ。この二を捨てねば極楽まいりは出来ぬ。初めの世をすてて願うと云うは、望みさえあれば随分世をすてて願うと云う人がある。しかし後の疑網の関所には、番人がいる故我が料簡ではゆかれぬで、我が力すてて唯仏智のおはからいで往生させていただくのじゃ。(香樹院語録)我が料簡...

  11. 仏の心を賜わるなり - 仏からの道

    仏の心を賜わるなり

    一二二、仏のこころを知る者は、仏の心を賜わるなり。故に大悲の御心を聞かねばならぬ。(香樹院語録)煩悩がない悟りの境地を涅槃という。仏教ではそう教えているのに、真宗では「煩悩を断たずに涅槃を得る」という。悟るのではなく、信ずる心一つで、煩悩をもったまま悟りの境地である涅槃に入るというのです。こんなことはありえないことだが、実際に起こることだから「誓願不思議」という。仏の心を涅槃という。だから仏...

  12. 心が何と思うとも - 仏からの道

    心が何と思うとも

    一〇六、ある人、今にも死のうと思えば、もう一度御目にかかりてと云うような、心で御座りますと述ぶれば、仰せに。それが肝要の所で、それが疑いの根じゃ。それで、よく聞けよく聞けと云う事じゃ。能く能く聞くと、今迄は何を疑うて居りましたやらと、如来様に御縋り申す心が信心決定じゃ。是一つさえ訳が分ったら、日本国がひっくり返っても、浄土参りに間違いはない。世上で信心安心の訳聞いて、此処でこう聞いた彼処であ...

  13. 心をすてて - 仏からの道

    心をすてて

    一〇四、或る人申し上ぐるよう。心にしっかりと落ち付きとう御座ります、と。仰せに。それは自力のこころ。それすてて能く骨折って聞け。左様なれば、心をすてて、仰せに順いまするで御座りますか。仰せに。そうじゃ、そうじゃがそれは、我が力では順われぬ。 (香樹院語録) わたしの心は落ち着かない。あれやこれやととにかくうるさい。そんなことはわかりきっている。仏のお心は静かで平和だ。仏のお心を涅槃という。わ...

  14. 無宿善の機 - 仏からの道

    無宿善の機

    五八、『御文』に「無宿善の機は力及ばず」とあるは、一向きかずに地獄へ堕つるを無宿善とはのたまはず。聞いても聞いても驚かず、地獄へ堕つるを無宿善と云う。(香樹院語録)心の内側を見ることができなければ信仰にはならない。心が内側に向かない人を無宿善というのでしょう。仏は一人一人の心の中におられるのだから、外に仏を求め回る必要はないし、自分の心を観察するのに知識もいらない。信仰とは自分の心の奥底に降...

  15. 離れられぬを離して下さる - 仏からの道

    離れられぬを離して下さる

    十四、大事な後生と知りながら大事にならぬは、この世の愛欲貪欲の手強さゆえと、聞けども聞けども地獄も恐しからず、極楽もとうとまれぬは、邪見の強き故なり。よくよく聞けば、疑いの晴れねばならぬ浄土往生に、疑いのはれかぬるは、自力執心の迷いの心が手強き故のことなり。是れが離れねば往生すべき身とはなられぬ。然れども、己が心にて、是れを離るることがならぬ故に、御成就の他力回向の大信心なり。(香樹院語録)...

  16. 地獄へ堕ちるばかりの心え - 仏からの道

    地獄へ堕ちるばかりの心え

    四十四、死ぬまいと思うて居るうちに死ぬる。真宗の者は、地獄へ墮ちはせまいと思うて堕ちる。他宗のものは業がつよくて堕ちる。仏法を知らぬものは、地獄はありませぬと思うて堕ちる。 五〇、或る人の尋ねに。私は地獄へ堕ちるばかりの心で御座ります。仰せに。地獄へ堕ちるばかりの心え、聞くたびに、ただ嬉しいばかりの御法なり。(香樹院語録)「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(...

  17. 異時因果と同時因果 - 仏からの道

    異時因果と同時因果

    七三、断見、常見 断見ーーー因果業報を知らず。地獄極楽をなしと執ず。 常見ーーー無常迅速を知らず。他力の方便を知らず。 (香樹院語録)異時因果と同時因果という。地獄極楽を死後とすれば異時因果であり、現在とすれば同時因果である。極度の精神ストレスが見る世界はまさに地獄であり、死ねば地獄に墜ちると思う。地獄があれば極楽がある。信心の智慧が開く心の世界が極楽であり、現在に感得するから同時因果という...

  18. 自分の心を観察する - 仏からの道

    自分の心を観察する

    六九、江戸淺草御坊にて、安心のことに就き、僧侶より何れが正しきや正しからざるやを、御尋ね申し上げたれば、仰せに、褄の上り下りは、着物着た上のことじゃ。裸体の乞食に其の議論はないぞ。との御一言にて、みなみな感じまいらせぬ。 (香樹院語録)信仰とは仏に遇う。仏とは自分が見えること。対象ではない。自分を映す鏡が仏。鏡は映すものを選ばない。映すものを歪めない。ありのままに映す。自分の顔は自分には見え...

  19. 疑うなよ疑うなよ - 仏からの道

    疑うなよ疑うなよ

    一八六、或る人、後生と云うことは存じませぬと申し上げたれば、師仰せられ候。おれも後生はしらぬ。しらぬがよいのじゃ。とやかく思うは凡夫の心。如来様は疑うなよ疑うなよと仰せらるる程に。(香樹院語録)心に受け入れられない現実を前にすると人は「なぜ?」となる。自分を疑わずに事実を疑う。自分に都合のいいように解釈して事実を受け入れまいとするが、どうしても受け入れなくてはならないとなると、それが「苦悩」...

  20. 信を得て念仏する喜び - 仏からの道

    信を得て念仏する喜び

    五九、此世の喜びは人々同じからず。浄土を願う身には誰もかれも同じ数多き喜びあり。 一、三悪道をはなれて、人間に生れたる喜び。 一、仏法に値いまいらせたる喜び。 一、この弘願他力に値いまいらせたる喜び。 一、六根具足の喜び。 一、悪縁に障えられず、聴聞することの出来る喜び。 一、信を得て念仏する喜び。 この喜びを知るならば、浮世の不足は云うては居られぬほどに、よくよく心得られよ。(香樹院語録)...

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