鳥谷野のタグまとめ

鳥谷野」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには鳥谷野に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「鳥谷野」タグの記事(36)

  1. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑬ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑬

    先に「信達ニ郡村誌」を参考資料として浜田町付近を散策したことがあった。この時に「信達ニ郡村誌」の小字名と現在の地区名が違っていて散策しづらかった。それで、地図上に腰浜村の小字の位置を推定したことがあった。それを「奥州街道浜田町付近④」で整理している。https://kazenoshin.exblog.jp/14780170/今回腰浜町辺りを郡家遺跡とかかりで資料確認をしていて、これが少しずれ...

  2. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑫

    岩田遺跡から出土したという有孔円板と剣を模造した剣形石造模造品が、腰浜町の祭祀遺跡と直接かかわるのかどうかは分からない。しかし、岩田遺跡から出土した有孔円板と剣を模造した剣形石造模造品の確認で腰浜町の祭祀遺跡を意識したことで、腰浜廃寺の見え方が今までとは少し違うように感じている。今までは腰浜町辺りを郡家遺跡とかかわるような見え方だ。郡衙は基本的には、正倉院(米倉)と郡庁(行政施設)と付属寺院...

  3. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑪

    「すぎのめ」の「最近の発掘調査から(柴田俊彰)」では、石造模造品については、特に古墳時代の5世紀にみられるもので、祭祀用としての利用と説明する。百科事典等で石製模造品についての確認を進めると、「祭祀遺跡」だけでなく「古墳」ともかかわる遺物でもあるらしい。それはさておいて、最大の特徴は、4世紀に出現して盛行期がほぼ5世紀代に限られるということらしい。出土するのは、古墳・集落・祭祀遺跡などの遺跡...

  4. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑩

    鳥谷野・黒岩村の遺跡情報をもとに古墳情報を拾ってきた。その削ぎ落した集落情報から気になる情報を確認しようと思う。という事で、岩田遺跡にかかわる情報を確認し、その題も古墳という言葉を外して「散策を楽しむための鳥谷野の遺跡情報」としようと思ったところだった。しかし、確認をすすめていくと、気になっていたのは古墳時代にかかわる集落情報であって、題から古墳という言葉を抜く必要がなくなったので、元に戻し...

  5. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑦

    百庚申塚に向かってみたのは、もう一つの興味があったからだ。先の小原集落に立ち寄った際に、そこから黒岩村に向かう途中、この百庚申塚の案内柱を見かけていた。その案内される道筋が旧田沢道の道筋とかかわるのではないのかなと思っていたのだ。それを確認したいとうこともあった。古い地図と見比べて確認を進めてみると、結果的には現況の道筋の方が古くからの田沢道に近いように思えたのだが、このまま百庚申塚へ向かう...

  6. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑥

    これは百庚申塚だ。塚ではあるが古墳の案内はない。従って、古墳情報としては余談になるのだろうと思う。「黒岩百庚申塚について(中村善太郎)」は、黒岩の庚申を中心に案内しているのだが、そこからこの塚についての案内部分を拾ってみる。この塚を地元では庚申山と称しているとのこと。地番は黒岩字岩山1番地とのことだ。頂上には直径3間ぐらいの円形の塚石があり、中央に松の木があり、その松の木を中心に申型の石碑が...

  7. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報⑤

    マホロンの遺跡データベースで検索すると、このあたりが岩山古墳群とのことで見当をつけた。しかし、いろいろな情報を確認していくと少し位置がずれているようだ。この南側が駐車場になっているのだが、その前の辺りに3基の古墳があるらしい。いずれにしても、この季節では確認はできない。冬近くならその雰囲気の風景が眺められるのかもしれない。この写真の左手に写るフェンスの手前の道筋を進むと田沢道の主道に出るのだ...

  8. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報④

    これは弥生公園に保存されている学壇古墳群のうちの2基の古墳だ。ここは、感覚的には黒岩村を越えているように感じるが、小原村に向かう途中だ。黒岩村内という事なのかもしれない。この学壇古墳群は、南福島ニュータウン内に立地する13基の小古墳からなるそうだ。すべて円墳で、規模は10m~14m程で、幅2~3mの周溝があるという。石室は長さ3~5m、幅1.5m程とのことで、築造はいずれも古墳時代後期と考え...

  9. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報③

    これは、房ノ内地区の民家の大きな駐車場脇にある御社。案内柱には「房の内古墳」とあって、以下のような解説が記される。「塚の上に大石2個あり、その上に房ノ内の屋敷神として稲荷大明神、弁財天、地蔵菩薩(両側に大国主神と足洗神社がある)」案内されることで確認できるのは、次のような事だ。まずは、お堂の中に2体の地蔵菩薩が安置されている事。そして、堂宇の左側には足洗神社碑。昭和10年9月建立との事だ。そ...

  10. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報②

    これは、山崎地蔵菩薩堂で見かけた石だ。無造作に置かれていて案内もない。しかし、いくつかの資料を読み合わせてみると、浜井場古墳の石室とかかわるかもしれないと考えられているものなのだろうと思う。その資料の一つが「明治期の杉妻村のこと~新聞資料からの抜き書き(杉妻公民館長太田隆夫)」。まずは、浜井場古墳の出土品が博物館に寄贈された時の以下の新聞記事が紹介される。「博物館へ古器を寄贈す【福島民友(明...

  11. 散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    散策を楽しむための鳥谷野の古墳情報

    今回の散策で鳥谷野の古墳については、浜井場古墳を中心に以下のように整理している。〇黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑯~帰り道⑤https://kazenoshin.exblog.jp/239157356/〇黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑰~帰り道⑥https://kazenoshin.exblog.jp/239158895/〇黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑱~帰り道⑦https://kazenoshin.exb...

  12. 鳥谷野舟橋② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野舟橋②

    前回、架設費は小倉寺村と鳥谷野村とが折半して負担することになったらしいことにふれた。鳥谷野村ではその負担分を36戸で賄ったとのことだが、小倉寺村ではまとまらずに、大巻の佐藤某と膝付の八巻某の2戸だけでその費用を負担したとのことだ。そして、「鳥谷野舟橋余韻」本文では、以下の渡り賃でこの橋の管理維持費を捻出したのだと記される。「費用負担者は除き、徒歩は1銭、馬が2銭、馬車が4銭」、明治40年には...

  13. 鳥谷野舟橋 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野舟橋

    明治16年に初代舟橋松嶺橋がかかるとの事だが、鳥谷野舟橋が架かるのはその7年後の明治23年。渡利村・小倉寺村・鳥谷野村の三村が共同で船橋建設に行動を起こすことに決めたのは、明治21年10月のようだ。その架設費は、協議を通して小倉寺村と鳥谷野村とが折半して負担することになったという。宮城県荒浜の船大工が、櫓付きの舟を鳥谷野船場の斜面で建造して進水させ、両岸の大木につなぎ浮かべたとのことだ。「ふ...

  14. 鳥谷野舟場と鳥谷野舟橋 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野舟場と鳥谷野舟橋

    鳥谷野の阿武隈川渡河点については何度か整理しているのだが、混乱しているところがある。これを機に再度整理し直してみたい。まずは、「鳥谷野渡し跡」についてだが、「鳥谷野渡し跡」で整理している。この時には、ここは「鳥谷野渡し跡」と呼称している。https://kazenoshin.exblog.jp/7314997/渡利地区を散策した関連で同じ場所を整理したのが、「渡利地区の阿武隈川沿いの風景⑤」...

  15. 鳥谷野館と鳥谷野舟橋 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野館と鳥谷野舟橋

    歴史的な事を想像しながらのこの辺りの散策では、無意識の中で福島城を中心にしてその近郊を見てしまっている。しかし、実際に周辺の地域の散策をしていると、その文化的な影響力は薄いように思う。例えば、この前の散策地である松川地域を中心とした文化圏を眺めると、二本松の影響力が強く、福島の影響はほとんど感じない。今回の鳥谷野を中心とした散策では、福島の影響は感じながらも、そこを中心としては捉えきれない見...

  16. 鳥谷野館⑬ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野館⑬

    「靈山略史(田島敬一郎)」で得た情報を元に、「霊山文庫(河内唯治郎)」で以下の記述を確認する。「同十七日顕家の別将春日侍従顕国陸奥の国椿舘を発して常陸に入る小田治久往きて之に合ふ(陸奥椿舘福島県〇南在渡利邑)義春笠間の囲みを出て来て之を拒絶す顕国進で南郡大枝に屯して小河郷及び大塚原に戦ひ之を敗る(畑田文書関城繹史)」「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策24~鳥屋野館」で、「伊達、信達二郡に伊達氏十六代...

  17. 鳥谷野館⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野館⑫

    「鳥谷野館⑧」で、福島市鳥谷野の名主羽田家が北畠顕国の子孫とかかわるとの情報とのからみで確認していて、少なくとも南北朝時代の弁天山の椿舘主を北畠顕家の一族北畠(春日)顕国が椿館主だったと案内する資料名が見当たらないとしていたところだった。「靈山略史(田島敬一郎)」を眺めていて、次のようなこの事とかかわる記述を見つけた。「(延元2年)7月4日南党春日顕国、多田貞綱等下野小田城を囲む。桃井貞直等...

  18. 鳥谷野館⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野館⑪

    地元の郷土誌の確認で、少なくとも中世においては、鳥谷野館が大森城から最短の渡河地点を管理しているように感じた。そのことで、鳥谷野館の今までの見え方と少し違って見えてきていることがいくつかある。その一つが前回までにふれた鳥谷野館の役割だが、もう一つある。それが「鳥谷野舟橋周辺図」に「旧大森道」と示される道筋だ。「鳥谷野館⑥」で古い地図情報を元にした図でいうと、旧福島道から分かれて杉の内地蔵堂前...

  19. 鳥谷野館⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野館⑩

    地元の郷土誌で確認したことを元にして、鳥谷野館について整理してきた。その地元郷土誌の借用延長申込みをしたら、一冊予約が入っているということなので、その号だけ返却してきた。残った冊子で確認を進める。実地に鳥谷野を散策したことについては、以下のように「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策」で整理している。〇「黒岩虚空蔵堂・満願寺散策⑬~帰り道②」https://kazenoshin.exblog.jp/23...

  20. 鳥谷野館⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    鳥谷野館⑨

    鳥谷野館について地元の郷土誌で確認してきた。今までの見え方と少し違ってきたのは、鳥谷野館が、対岸の川俣道からの渡河点にある事の意義だ。「鳥谷野館③」の整理でふれたように、鳥谷野館は信夫、伊達両郡の阿武隈川の自然堤防段丘上に並ぶ大仏(または杉ノ目)・本内・鎌田・桑折・伊達崎・堀江・大枝・五十沢などの中世館の最も上流に位置する要衝だ。それぞれの城は阿武隈川を挟んだ対岸の主要幹線の渡河点を持ち、こ...

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