2018日記のタグまとめ

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「2018日記」タグの記事(104)

  1. 2018日記【106】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 35 - 久我山散人

    2018日記【106】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 35

    この迷稿は、うののさららを道しるべに律令国家の誕生を考え、菅原道真を頼りに律令国家の崩壊過程の兆しを探る(つもり)。645年 うののさらら誕生845年 菅原道真誕生なんときっちり200年差。ちなみに今から200年前は、江戸の文化文政時代。この探索を思いついたのは、実は菅原道真がきっかけ。道真は文章博士で一生を送りたいのにそうはいかず、讃岐国司にされたりしてそこで地方政治の実態をつぶさに経験し...

  2. 2018日記【105】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 34 - 久我山散人

    2018日記【105】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 34

    持統天皇(うののさらら)=左脳的(法律制定)額田王(ぬかたのおおきみ)=右脳的(蛇巫、詩人)と、トンデモ本のような書き方で恥ずかしい感じですが、「農業化」による心の変化を、日本における最古級(と言っても相対的にはそれほど古くない)の文字記録が捉えていたと解釈します。ジュリアン・ジェインズは、「イーリアス」(紀元前1000年前後に成立)によって右脳的な機能を解析しようと試みている。しかしそれは...

  3. 2018日記【104】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 33 - 久我山散人

    2018日記【104】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 33

    ジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor,ph.D.)の著作から、右脳・左脳の特徴を抜き書きします。(ヒトによって右脳・左脳の働きが逆の場合もありますがここでは一般的に多数派(85%程度)の場合)右脳の働き・物事の関係を憶える・瞬間以外の時間は存在しない・規則に縛られず自由・共感や感情移入を生む・言葉以外のコミュニケーションを理解する左脳の働き・言語で考える・右脳が作り出し...

  4. 2018日記【103】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 32 - 久我山散人

    2018日記【103】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 32

    あれが左脳的、これが右脳的などというと、血液型占いのようでちょっと気分がすぐれないのですけど(笑。ニンゲンの脳を実験的に扱うことはないできないわけで(以前はずいぶん乱暴なことをしていたようですが)、医療の一環として知りえた情報が分析されてきたわけです。最近では、磁気共鳴によって脳のニューロンの働きが詳細に解明されつつあるらしい。しかし、現実に自分の右脳・左脳がどう働いているのかを、分離して体...

  5. 2018日記【102】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 31 - 久我山散人

    2018日記【102】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 31

    うののさらら(後の持統天皇)・西暦645年生まれ・出自 父は後の天智天皇、母は蘇我氏の名門・子 草壁皇子(天武天皇の皇太子)ぬかたのおおきみ(額田王)・西暦627年頃の生まれ(推定の根拠なし)・出自 地方豪族(吉野裕子説では蛇巫女)・子 十市皇女(父は後の天武 天智の子・大友皇子の妻)うののさらら(鸕野讃良=後の持統天皇)が、父天智、ぬかたのおおきみ(額田王)を激しく憎み、反面、己の子や孫に...

  6. 2018日記【101】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 30 - 久我山散人

    2018日記【101】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 30

    ぬかたのおおきみ(額田王)と、うののさらら(後の持統天皇)との関係。「うののさららは12歳になると、1年年長の姉おおたとともに(あるいは姉に1年遅れて)、後の天武天皇と結婚するが、それは「後宮に入る」ということ」と書きました。しかし、具体的に「後宮」というものがあったのかどうか、よくわからない。が、そこ(後の天武の後宮)に、ぬかたのおおきみ(額田王)がいた。そして、(天智の娘である)おおた+...

  7. 2018日記【100】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 29 - 久我山散人

    2018日記【100】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 29

    斉明天皇の軍事行動(北方攻略・百済への援軍派遣)から推察すると、東国・西国の実力者は、天皇政権にほぼ協力的になっていたようだ。協力的ということは、現実的なメリットを感じていたということだろう。天皇ファミリーを引き連れての九州行きは、当然、募兵をしながらというものだ(したがって敗戦処理も困難を極めることになる)。◾️熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でなぬかたのおおきみ(額田王...

  8. 2018日記【099】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 28 - 久我山散人

    2018日記【099】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 28

    3 うののさらら◾️九州行きから敗戦まで・西暦660年(15歳) 斉明天皇は百済救援のため軍を発し筑紫朝倉宮に遷幸。うののさららも夫とともに同行する。・西暦661年(16歳) 祖母斉明天皇が筑紫で崩御・西暦662年(17歳) 草壁皇子を筑紫で出産・西暦663年(18歳) 白村江の戦いで大敗祖母斉明天皇の庇護のもとに成長した、おおた、うののさらら姉妹は、斉明天皇、父(後の天智)、叔父であり夫(...

  9. 2018日記【098】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 27 - 久我山散人

    2018日記【098】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 27

    2 うののさらら◾️母の死から結婚まで・西暦651年 母を喪った姉おおた、弟たける、うののさららの3人は、祖母である退位した京極天皇(父の母)に引き取られる。・西暦655年 元京極である祖母が斉明としてふたたび天皇に(重祚)・西暦657年 後の天武天皇(叔父)と結婚・西暦659年 弟たけるを喪ううののさららが、6歳から12歳までの間、京極・斉明天皇という特異な祖母のもとで育った意味は大きい。...

  10. 2018日記【097】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 26 - 久我山散人

    2018日記【097】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 26

    持統期は、農業(水田稲作)化と成文法の制定が、天皇国家イデオロギーとともに一気に成熟しようとした。そのすべてを、うののさらら(持統)が掌握していた。その特異な才能は、どのようにして開花したのか。少し迂遠になるけれど、うののさらら年表を補完していく。1 うののさらら◾️誕生から母の死まで・母 おち(遠智)いらつめ(娘)・西暦644年 姉 おおた(大田)ひめみこ(皇女)誕生・西暦645年 次女う...

  11. 2018日記【096】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 25 - 久我山散人

    2018日記【096】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 25

    うののさらら(持統天皇)◾️西暦645年 誕生・父は(後の)天智天皇◾️西暦649年(4)・母が病没?◾️西暦657年(12)・将来の天武天皇と結婚(つまり結婚相手は叔父)◾️西暦662年(17)・筑紫で草壁皇子を生む(祖母の斉明天皇の百済救援に同行し九州に来ていた)◾️西暦663年(18)・白村江の戦いで倭・百済連合軍が、唐・新羅連合軍に大敗◾️西暦671年(26)・吉野に夫(将来の天武天...

  12. 2018日記【095】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 24 - 久我山散人

    2018日記【095】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 24

    さて、「律令制崩壊過程」とはいかにもエラそうなので、「班田制度の行き詰まり」くらいに可愛くいこうかとは思ったのですが、もう書いちゃったことは仕方ないので無知を晒して参ります。このあたりから歴史時代に入りますから、妄想日本古代史、などと言って遊んでいられない(けど遊ぶ)。オオキミを元首とした大和ヤマト国による、ゆるやかなクニ連合が、天皇を中心とした中央集権国家に変貌する。その過程で政治信念(あ...

  13. 2018日記【094】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 23 - 久我山散人

    2018日記【094】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 23

    「農業化」によってすべてのヒトが水田稲作農民になってしまったわけではない。縄文人そのままの生活をしているグループもあったはずだが、水田稲作に適さない地へと移動せざるをえなかったと思う。そういうヒトビトは、「右脳的」なものを、長く保持していたのだろうか。そのことはおそらく日本人の心に特別な文化を生むことになるのだろうが、それについてはまた後日考える。しかし、右脳はおそらく、ストレスに弱いのでは...

  14. 2018日記【090+】妄想日本古代史、修正版---への追加 - 久我山散人

    2018日記【090+】妄想日本古代史、修正版---への追加

    2018日記【090+】妄想日本古代史、修正版---への追加【◾️西暦230年頃・「倭国大乱」に伴い九州ヤマト国の王イワレが九州離脱。東進し大和ヤマト国を創立。(投馬国(當麻?)の要人も同行か?)】ここで、「(投馬国(當麻?)の要人も同行か?)」と書いておいたのが何か、について追加する。投馬国の長は「ミミ」副長は「ミミナリ」と、魏志に書いてある。「ミミ」とは、結論から言うと、「巳身」=蛇神で...

  15. 2018日記【093】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 22 - 久我山散人

    2018日記【093】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 22

    大和ヤマト朝廷には、もはやヒミコやトヨの持っていた近未来予知の力は、実質的にはなく、それは宗教行事として継承された。しかし、別の実質的な近未来予知の能力がある。春に種もみを蒔けば、秋に稲穂が実る、というのも立派な近未来予知だ。暦と農業技術を授けましょう、それらを厳密に使うことによって、みんながシアワセになれるのです。ワタシたちは、大海を越えて北方の巨大国家とも友好関係を築いています。どうです...

  16. 2018日記【092】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 21 - 久我山散人

    2018日記【092】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 21

    「倭国大乱」(西暦230年頃)から「関ヶ原の戦い」(西暦1600年)まで、歴史的な基調はそれほど変わらないように見えますが、・ヒミコとトヨの平和・大和ヤマト朝廷の成立は別の「ゆるやかな連合」が基調になっていると見えます(後には強い集権化---そのツールが律令制)。例えば、古事記によるヤマトタケルを考えてみると、前半は熊襲退治です。九州ヤマト国が消滅した後、大和ヤマト国が何度も南九州に出兵して...

  17. 2018日記【091】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 20 - 久我山散人

    2018日記【091】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 20

    「倭国大乱」とヒミコの平和。その背景には、「農業化」のレベルが上がり、定着した事実がありそうです。その結果、耕地に造成できる残地はなくなり、土地や水利にまつわる抗争が起きる。いわばそれは「男の論理」だったので、戦争を終結させるために男王が退き、女王を立てた。近未来予知者として、ヒミコやトヨが優れていたという側面もあります。「農業化」が高度になるにしたがって、ヒトビトの右脳的活動が弱まり、近未...

  18. 2018日記【090】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 19 - 久我山散人

    2018日記【090】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 19

    妄想日本古代史、修正版(笑◾️西暦230年頃・「倭国大乱」に伴い九州ヤマト国の王イワレが九州離脱。東進し大和ヤマト国を創立。(投馬国(當麻?)の要人も同行か?)◾️西暦230年頃・イワレを継いでヒミコが九州ヤマト国の女王となり「倭国大乱」が収束する・ヒミコの登場により北九州各国は連合国となるが、南方の「クの国」は引続き九州ヤマト国を攻撃する◾️西暦280年頃~390年頃・「中つ国(出雲から諏...

  19. 2018日記【089】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 18 - 久我山散人

    2018日記【089】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 18

    いち早く「農業化」した北九州は、成長の限界に達していった。その結果は、「倭国大乱」だったが、ヤマト国のヒミコ、トヨの2女王の時代は、ヤマト国中心の国連合が成立し、平和を取り戻した。しかし、トヨの時代が終わると、国連合は崩壊した。それまでも南方から継続して攻撃を受けて来たヤマト国は、きわめて不安定な状況となった。結果、当時の王、イワレによる九州離脱を果たし、東方に向かった。おそらく投馬(當麻か...

  20. 2018日記【088】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 17 - 久我山散人

    2018日記【088】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 17

    邪馬台国、つまりヤマト国は、場所はいわゆる魏志倭人伝(「三国志・魏書」第30巻東夷伝倭人条)で示された通りだとすると、北九州から、1 南至り投馬国(5万余戸)、水行20日2 南至り邪馬台国女王の都(7万余戸)、水行10日と陸行1月計、水行30日では太平洋に突き抜けてしまい、陸行1月と言っても陸がないだろう、というのが邪馬台国「非」九州説のスタートですね。しかし、普通に読んで、伊都国までは現実...

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