2019日記のタグまとめ

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「2019日記」タグの記事(188)

  1. 2019日記【203】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 123 - 久我山散人

    2019日記【203】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    秦の始皇帝の時代、強烈な中央集権政治を嫌って、周辺に逃げ出した官僚や商人たちも、あてなく流亡したのではない。半島に馬韓をつくった秦人のごとく、計画性に富んでいたというべきだろう。中国官僚の記録魔ぶりは驚異的といえる。呉、越、楚がほろびた時、旧支配者層の一部が海外に逃亡した、という記録があったに違いない。海岸沿いでいえば、揚子江河口あたりから北上して、始皇帝の帝国から亡命しようとすれば、半島や...

  2. 2019日記【202】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 122 - 久我山散人

    2019日記【202】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️秦の中国統一から疎外されて亡命した秦人 紀元前200年が、ある程度まとまった帰化渡来人の初めなのではないか?そのころ、列島で古墳時代が始まる。古墳時代とは、現在目にするものが古墳だからそう言うのであって、その背景は土木工事と工作機械だ。土木工事と工作機械はそもそも墓造りのためにあるのではなく、産業基盤であり、水田稲作が飛躍的に大型化したのだろう。秦の始皇帝の圧政を嫌って逃亡したとして、そ...

  3. 2019日記【201】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 121 - 久我山散人

    2019日記【201】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    道教が自然に、この列島に流れ着いたわけではなく、往時は非庶民の秘儀であった仙術の完成を求めている誰かが、やってきたのだろう。1 越にほろぼされた呉 紀元前500年2 楚にほろぼされた越 紀元前300年3 秦にほろぼされた楚 紀元前200年4 さらに秦の中国統一から疎外されて亡命した秦人 紀元前200年5 黄巾の乱 184年(三国時代の序章)6 晋の成立 265年(三国時代の終焉)7 抱朴子 ...

  4. 2019日記【200】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 120 - 久我山散人

    2019日記【200】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️天武天皇、持統天皇、そしてその朝廷付き詩人である柿本人麻呂の「仙術嗜好」考えてみると、皇極=斉明天皇の「岩石庭園」も、仙術嗜好だったのではないか。人々はまったく意味不明の岩石庭園造りに動員され、疲弊し、それを天皇の「たぶれ心のみぞ(狂心の渠)」とののしった。渠には水を流し、酒船石で仙術を行ったのではないか。少し時代は下るが、山上憶良の書き物には、明らかに道教の書からの引用があるらしい。憶...

  5. 2019日記【199】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 119 - 久我山散人

    2019日記【199】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    天武天皇、持統天皇、そしてその朝廷付き詩人である柿本人麻呂も、道教の影響を大きく受けていたという説もある。それを「道教」というのは、ちょっと違うな、と思うのだ。道教というよりは、「仙術嗜好」と言いたい。仙術は、老荘思想とはほとんど関係がない。植物(本草)や鉱物(錬丹)を通じて、あるいは呼吸法などを通じて、人体の持っている健康可能性を極限まで引き伸ばす方法だ。それが列島に伝わってきたら、実は列...

  6. 2019日記【198】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 118 - 久我山散人

    2019日記【198】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️大君(おおきみ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上に廬(いほ)らせるかも◯大君(天皇)は神としておられるので天空の雷の上に仮宮を建てられるのだろうこの歌について、1 天皇を神格化2 低い丘をいかにも雷神がいるように誇張などと言う人がいるが、それは近江朝攻撃の前夜を想像していないからだろう。負けるかもしれず、勝つにしても、兄の後継者・大友皇子24歳を死に追いやることに...

  7. 2019日記【197】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 117 - 久我山散人

    2019日記【197】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️大雷雨が起こり、大海人皇子は吉凶を占ったその場所は、野上。壬申の乱で、大海人皇子の援軍2万が集結する関ヶ原の東方。近江朝側の機先を制して、美濃の多(おお)氏は大海人側として、「不破の関」を占拠して固めた。近江朝が東国勢に接触できないようにした。不破から下れば、琵琶湖東岸に出る。柿本人麻呂も18歳くらいの若者で、柿本氏が水運に関係しているとすれば、このあたりの地理について知悉しており、大海...

  8. 2019日記【196】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 116 - 久我山散人

    2019日記【196】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️大君(おおきみ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上に廬(いほ)らせるかも◯大君(天皇)は神としておられるので天空の雷の上に仮宮を建てられるのだろう柿本人麻呂のこの歌に戻ろう。この歌は、天皇(天武)が「いかづちのをか」(雷丘)に行き、仮宮に入った時のものだという。一説によると、天武の息子のひとり、オサカベ(忍壁)に献じたものが元だという。雷丘は明日香にある小高い(とい...

  9. 2019日記【195】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 115 - 久我山散人

    2019日記【195】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    道教は、身体的でもあります。北方の儒教や、西方の仏教との違いです。ニンゲンの統治規範(儒教)や、脳内瞑想(仏教)ではなく、「体を大事に長生き」という現実的な目標があり、それを極めれば不老不死の仙人になるわけです。「本草」や「錬丹」も、例えば抗がん物質の発見にもつながるわけなので、始皇帝が夢中になったのも理解できます。【写真】仙山線(仙台→山形)SONY DSC-RX0

  10. 2019日記【194】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 114 - 久我山散人

    2019日記【194】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    道教の特質のひとつに、「本草」と「錬丹」への強烈な傾倒があります。場合によっては、神仙思想よりも、「本草」「錬丹」が主目的のようにも見えます。「本草」は、植物エンサイクロペディアで、漢方薬などに実用化されています。「錬丹」は、金属への深い関心です。錬金術を研究した。銅器をつくり、剣と鏡を神聖視した。さらに辰砂から水銀をつくり、不老不死の薬石を発見しようとした(気の早い人は水銀を飲んで死んだ)...

  11. 2019日記【193】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 113 - 久我山散人

    2019日記【193】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    南方(揚子江下流域)からの道教の伝播があれば、それは例えば秦の始皇帝のころでしょう。繰り返しになりますが、始皇帝(道教の強力な支持者)の秦帝国の強い命令によって、錬丹術(錬金術)をおこない、不老不死の薬草を求めて四方八方を探索した(させられた)、多くの官人などがいたのです。彼らのうちの何人かが、列島にも到達した。徐福伝説が事実かどうかはさておき、派遣地で定住する覚悟の人間を伴ってやって来た。...

  12. 2019日記【192】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 112 - 久我山散人

    2019日記【192】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    福永光司氏によると、「天皇」や「神社」という文字自体、古代道教の経典に存在するという。ということは、例えば「天皇」は、仏教的、あるいは儒教的概念ではないので、それを採用したと思われる天武・持統朝は、特に道教への傾倒が強かった。さらに柿本人麻呂の、◾️大君(おおきみ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷の上に廬(いほ)らせるかも◯大君(天皇)は神としておられるので天空の雷の上に仮宮を建てら...

  13. 2019日記【191】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 111 - 久我山散人

    2019日記【191】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    福永光司氏は「明日香と道教」という対談で、「縄文期からの日本土着の思想信仰がタテ軸とすると、ヨコ軸には大陸からの(道教の)影響が考えられる」と仰っている。このことがまさに、強い緊張感を伴って現実におきて記録される、つまり歴史化するのが、斉明(天智・天武)持統期だと思うし、福永光司氏も斉明天皇、天武・持統天皇の道教的行動について指摘されている。そのことの表現者としての柿本人麻呂が、そのヨコ軸に...

  14. 2019日記【190】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 110 - 久我山散人

    2019日記【190】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️妄想。柿本人麻呂は、摂津国の凡海(オオアマ)氏と関係があり、天武天皇(大海人皇子)や高市皇子(母がムナカタ)の周辺にいた。柿本人麻呂は、その後、うののさらら<持統天皇>に認められて、(おそらく額田王の後任として)宮廷詩人になる。その過程で、高市皇子との関係はきわめて大きかっただろう。【写真】仙山線(仙台→山形)SONY DSC-RX0

  15. 2019日記【189】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 109 - 久我山散人

    2019日記【189】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️妄想。柿本人麻呂は、摂津国の凡海(オオアマ)氏と関係がある。凡海氏は、その名の通り、海運の氏族であろう。当然、アズミ氏や、ムナカタ氏とも通じている。天武天皇の長男に高市皇子(たけちのみこ)がいる。推定18歳、壬申の乱で、関ヶ原あたりに集まった2万の援軍を指揮した。桑名にいた父に「遠すぎるのでもっと近くに来てください」と呼び寄せた。(大海人皇子<天武>は万一敗戦の時、うののさらら<持統>や...

  16. 2019日記【188】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 108 - 久我山散人

    2019日記【188】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    柿本人麻呂の海に関する歌は、実感が伴っている。幼少より、海川や船に親しんでいたのだろう。◾️荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我を (旅ゆく私の姿を見て、人々はスズキを釣る明石あたりの漁師だと思うだろう)明石の浦にスズキを釣る。浦というのは海岸線が入り組んでいる岩礁まじりの海だ。そこへスズキが回遊してくる。海人は、50cm以上はあるスズキを掛けて、豪快に抜き上げるのだろ...

  17. 2019日記【187】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 107 - 久我山散人

    2019日記【187】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️白川静氏「古代集団(坐祝集団)は都を追われ、諸処の聖地を彷徨しながらついに崩壊する」ということを柿本人麻呂に重ね合わせて考えると、人麻呂の実像が垣間見えてくる。柿本人麻呂は、天武・持統に政治任用された詩人だ。つまり、既存の貴族体系とは無関係なのだろう。持統天皇の最側近にいながら、必ずしも天皇の視線でものを見ていないという面もある。持統側近の歌人として活動していた時期「以外」の人麻呂の役割...

  18. 2019日記【186】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 106 - 久我山散人

    2019日記【186】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️白川静氏「古代集団(坐祝集団)は都を追われ、諸処の聖地を彷徨しながらついに崩壊する」古代集団の崩壊は、統一国家の誕生とセットになっている、というのは秦が大陸を併呑した過程で現れる。例えば、反秦を屈原とした場合、屈原は全過程における敗亡者だ。屈原には、一度も勝つチャンスがない。「楚辞」をまとめ、おそらく「楚辞」を懐に隠棲し、あるいは追放され、逃亡し、自死した---何人もの屈原がいた。「楚辞...

  19. 2019日記【185】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 105 - 久我山散人

    2019日記【185】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    ◾️古代中国の詩集=北方の「詩経」、南方の「楚辞」「詩経」は、もともと舞踊を伴う歌謡だそうだ。そして、「楚辞」は読むものだという。初期万葉にも、舞踏を伴う歌謡があり、旧約聖書の「詩篇」も歌謡だという。「歌い舞うもの」から「読むもの」への変遷は、もちろん文字によって起こったことだろう。「言葉が神だった」時代が終わって、「文字が神になった」時代となる。旧約聖書では、「神は「光あれ」と言われた。す...

  20. 2019日記【184】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 104 - 久我山散人

    2019日記【184】斉明(天智・天武)持統期に至るま...

    屈原がなぜ人気があるのか。屈原は、楚の国で、少数派の反秦論者だった。そのため、追放された。楚王はだまされて秦で虜になり、楚の首都は秦軍によって陥落した。屈原は汨羅(洞庭湖に流れ込む長江の支流)に沈んで自死。しかし、秦の巧みな戦略(遠交近攻など)にかかって、周辺国が次々と滅亡するなか、楚国には生き残る道があったのだろうか。この時代(戦国時代)は、鉄器の農具が普及して、耕作が高能率化、人口が激増...

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